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ひとつの時代を作ったウォン・カーウァイ。その記憶が時を超え、日本、タイで新たな作品へ

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『裸足で鳴らしてみせろ』より、音を探す主人公たち

ある時代を体現した映画監督というものがいる。ウォン・カーウァイは、そんな一人だろう。

『恋する惑星』『天使の涙』『ブエノスアイレス』といった1990年代のカーウァイ作品は、ひとつのカルチャーアイコンのように愛された。しかし厳しい言い方をすれば、ウォン・カーウァイは2000年の『花様年華』以降、その輝きを再び取り戻せないまま今に至ってしまった印象もある。実際に2013年の『グランド・マスター』から9年間も彼は映画を撮っていない。

しかしウォン・カーウァイに影響を受けた映画作家は数知れず。時として、思わぬ瞬間に彼の名作が甦る瞬間もある。2022年の夏、そんな作品が2本、日本でほぼ同時公開となる。日本映画、そしてタイ映画だ。

8/6公開の『裸足で鳴らしてみせろ』は、新人監督の登竜門ともいえるPFF(ぴあフィルムフェスティバル)の映画製作プロジェクト「PFFスカラシップ」の作品で、工藤梨穂監督の長編2作目。劇中で重要なキーワードとして引用されるのが、カーウァイの『ブエノスアイレス』である。

2人の青年が、片方の養母の願いを叶えるため、世界の名所の「音」を収集する物語。とは言っても、実際にその場へ行くのではなく、国内の身近な場所で似たような音を作り、あたかも現地で録ったかのごとく見せかけるのだが、そのプロセスとともに、2人は本能に突き動かされるように惹かれ合っていく。

『ブエノスアイレス』は、2人が手にする古いレコードから同映画で使われた曲の話になり、養母の思い出の場所としてイグアスの滝が言及され、その滝の音を彼らが再現しようとする。

相手への高まる想いを、肉体をぶつけ合うことで発露する。
相手への高まる想いを、肉体をぶつけ合うことで発露する。

主人公2人の、おたがいへの高まる想い、相手に触れたいという欲求が格闘と化すシーンは何度も出てきて、本作のテーマを表すが、これは『ブエノスアイレス』の主人公たちがタンゴを踊るシーンを連想させる。工藤監督も主人公の一人のモデルとして『ブエノスアイレス』のレスリー・チャンと『アデル、ブルーは熱い色』のレア・セドゥをイメージしたと語っている。

『ブエノスアイレス』でも、トニー・レオンが痛切な想いを録音したカセットテープが重要なキーアイテムとなった。『裸足で鳴らしてみせろ』も録音した音の数々はカセットで再生される。それ以外にも、やたらとアナログなアイテムが強調され、ネットやスマートフォンが一切出てこない描き方が、90年代前半あたり、つまりウォン・カーウァイの全盛期の空気を共有していく。男たちの愛の行方は『ブエノスアイレス』が重なりながら、偶然の出会い、思いのすれ違いなどは『恋する惑星』や『天使の涙』も彷彿とさせる。

ナイーヴさと鋭利さが同居する工藤監督のセンスは、どこかウォン・カーウァイの90年代の感覚に近い気もするのだ。

しばらく自身の監督作がないウォン・カーウァイだが、脚本家やプロデューサーとしては『グランド・マスター』以降も、いくつかの作品に参加していた。ただ、日本で公開されたのは、東京フィルメックスやアジアフォーカス福岡国際映画祭2019でのプロデュース作品『轢き殺された羊』のみ。映画ファンにも忘れかけられた存在になりつつあったが、ようやく製作総指揮で関わった映画が、日本で8/5に劇場公開される。タイ映画の『プアン/友だちと呼ばせて』だ。

天才女子高生を中心に、世界同日の入試テストでカンニングの大計画を進行させる……。そんな大胆なストーリーで、日本でも公開されて映画ファンの間で話題を呼んだ『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』。同作に惚れ込んだウォン・カーウァイが、監督のバズ・プーンピリヤに自らアプローチして、次作のプロデュースを買って出た。

『プアン/友だちと呼ばせて』
『プアン/友だちと呼ばせて』

NYでバーを経営する青年ボスが、かつての友人ウードが余命宣告を受けたことで、彼の最後の願いを叶えてやるため、タイに帰国する。タイのあちこちを車で移動する男2人のロードムービーは、脚本の段階からカーウァイのアイデアが提示され、1年ごしのやりとりを経てストーリーが完成された。

できあがった映画を観れば、プーンピリヤ監督がそこかしこに『恋する惑星』や『天使の涙』あたりの絵作りを意識して撮ったことが明らか。タイの夜の街、そのネオンの色合い。光や風が奏でる叙情的なムード。キャッチーな曲の使い方……。ここまでプロデューサーの“色”が込められた作品も珍しいかもしれない。そしてここでも、カセットテープが重要な役割を果たしている。

主人公の2人、ボスとウード、彼らを取り囲むタイの若者たちは、NYでの関係も綴られる。このあたりも『ブエノスアイレス』で、香港から地球の反対側に渡った主人公たちに重なる。やはり同時代の香港映画で、ピーター・チャンの『ラヴソング』も、NYへ渡った恋人たちの運命が語られた。『プアン』に90年代の香りが漂うのも、そうしたシンクロとも無縁ではない。

図らずもしてウォン・カーウァイの記憶が甦る作品が、ほぼ同時に公開された後、8/19からはカーウァイ自身が4Kレストアを監修した5作が劇場公開される。2022年の夏は、映画史に鮮烈な楔を打ち付けたウォン・カーウァイと、再会する歓びを味わえそうだ。

スタイリッシュかつノスタルジックな映像の数々に、カーウァイ作品が重なる。
スタイリッシュかつノスタルジックな映像の数々に、カーウァイ作品が重なる。

『裸足で鳴らしてみせろ』

8月6日(土)より、ユーロスペース ほか全国順次ロードショー

配給:一般社団法人PFF/マジックアワー

(C) 2021 PFFパートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人PFF

『プアン/友だちと呼ばせて』

8月5日(金)全国ロードショー

配給:ギャガ

(C) 2021 Jet Tone Contents Inc.All Rights Reserved.

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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