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水俣に小野田寛郎、忍者、東洋の魔女、「007」も…。海外の目で描く日本が続々。アプローチも多彩に

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『ONODA 一万夜を越えて』より。津田寛治が演じる小野田寛郎

この秋、海外の監督、視点から「日本」を描く映画がひときわ目立っている。もちろん、このケースは過去にも大量に思い出されるし、だいたい、映画やドラマで何かを描くことに、国内/国外という枠は関係ない。それでも、自国の監督、プロジェクトで描くアプローチとはまったく別の視点を発見できたりするし、時には突拍子のなさが楽しめたりもする。

「海外目線で描いた日本、日本人」は、『ブラック・レイン』の時代、そして『キル・ビル』の時代を経て、最近でも『ジョン・ウィック:パラベラム』の寿司屋や『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』でハンが潜伏していた東京など、“ありえない”ツッコミどころも含めて面白がれるわけだが、相次ぐ公開作では「真摯」なアプローチが際立っている。

圧倒的リアルさと海外目線の意外な効果

ONODA 一万夜を越えて』(10/8公開)で、小野田寛郎を描いたのは、フランス人のアルチュール・アラリ監督だ。フィリピン、ルバング島で、終戦を知らずに約30年間もジャングルの中に居続けた小野田の話は、多くの日本人の記憶にやきついている。この映画、日本も含めた国際共同製作ではあるが、監督の視点に立つなら「海外作品」と言っていいだろう。何よりこれは、アラリ監督の発案。自身の作品の企画を探しているうちに小野田寛郎の事実を知り、映画化したいと熱望したからだ。

小野田がフィリピンへ行く前の日本のパートもあるが、そこは短め。基本はジャングルが舞台なので、「日本を描いた」とは言えないかもしれない。しかしメインの登場人物はオール日本人、キャストも日本人。ゆえにわれわれ日本人観客からすれば、リアルか、そうでないかを敏感に察してしまうわけだが、その点で『ONODA』は圧倒的に細部までリアルである。フランス人監督の視点という部分は、限りなく消えていく。撮影はカンボジアで行われた。

興味深いのは、小野田と周囲の人物の間で交わされる会話が、時々明瞭でなく、聴き取りづらかったりすること(物語や状況の理解には、まったく支障がない)。もしこれが日本人監督だったら、聴き取りやすいセリフに仕上げたかもしれない。しかし、リアルな日常では会話が明瞭でないことも多く、そこはもしかしたら「海外視点」での新たな発見という気もする。その明瞭ではない会話も、海外では字幕で「はっきり」伝えられる。是非はともかく、これは、映画のひとつの効果。

日本でも再現しづらい1970年代の風景

同じく真摯さを感じさせるのが、『MINAMATAーミナマター』(公開中)だ。こちらはアメリカ人のアンドリュー・レヴィタス監督。そして共同製作ではなく、純粋なアメリカ映画。カメラマン、ユージン・スミスを中心に、水俣病の現実、被害者とチッソ(企業)の闘いに真っ直ぐに肉薄する。NYのシーンもあるが、大半の舞台は熊本の水俣である。

『MINAMATA―ミナマタ―』1970年代の日本の家屋がリアルに再現された。(c) 2020 MINAMATA FILM, LLC  (c) Larry Horricks
『MINAMATA―ミナマタ―』1970年代の日本の家屋がリアルに再現された。(c) 2020 MINAMATA FILM, LLC (c) Larry Horricks

しかし、水俣ロケはごくわずか。舞台となる1970年代の水俣は、セルビア・モンテネグロでセット、およびロケで再現された。そもそも1970年代の風景は、日本ロケで映像化するのは難しいという理由からだ。ただ、当事国のわれわれは、70年代といっても微妙なズレを意識してしまう。実際にユージンが水俣にやってきた駅のシーンなど違和感はあるのだが、それは最小限にとどめられた印象だ。これもよくあるパターンだが、メインの日本人キャストが美術や衣装、セリフなどで違和感を指摘、修正する役割を果たしたりする。今回は、真田広之が看板の文字を描き変えるなど尽力した結果、リアリティへ結びついた部分もある。レヴィタス監督が撮影前に水俣を訪れ、関係者と深い話などもしているので、現地の「空気感」をつかんでいたことも大きい。

水俣の問題にしても、小野田寛郎の事実にしても、このように『MINAMATA』、『ONODA』というタイトルで外国人監督による映画が公開される前に、日本映画として作られるべきだったのでは……という声も聞かれる。ただ、とくに水俣のようなケースでは、日本で劇映画にする場合、どれくらい深く切り込めるか、余計な心配もしてしまう。当事国ではないからこそ、より普遍的、客観的に描くことができたのではと、この2作を観ると痛切に感じる。

ハリウッド作品、異例の大がかりな日本ロケ

さらに「日本」を描いた作品として、別ベクトルも相次ぐ。『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』(10/22公開)は、日本の秘密忍者組織「嵐影」が舞台になるが、多くのシーンが日本で撮影されたことで、作り物としての過剰さに、風景のリアリティが合体した貴重なサンプルとなった。この点では『キル・ビル』や『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』『ウルヴァリン:SAMURAI』の流れをくむ。岸和田城や圓教寺(姫路市)、関西の市街、時代劇でおなじみの茨城のワープステーションのセットで撮影したことで、世界観自体は「ありえねぇ」系ながら、映像はとことん日本の風景。プロダクションデザイナー(美術監督)も、日本各地の神社仏閣を回り、江戸時代からの文化を徹底リサーチしたと語っていたので、過剰な装飾も違和感は与えない。日本ロケでは、多くの日本人現地スタッフも関わっているし、アクション監督が『るろうに剣心』の谷垣健治なので、ハリウッド大作にありがちな「勘違い」も少なめなのである。監督はドイツ人のロベルト・シュヴェンケ(ハリウッドでも『RED/レッド』などを監督)。時代劇など日本映画に深い造詣があることを、自身だけでなく周囲も認めている。

『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』より。日本でロケしたからこその風景が広がる。
『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』より。日本でロケしたからこその風景が広がる。

007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(公開中)も、日本ロケは行われていないが、この『G.I.ジョー』に近いテイスト。あるシーンで日本を意識した世界が出てくる。そこには枯山水、石庭、盆栽、畳などが登場しつつ、『007』の世界なので、やや過剰な美術が完成されている。シリーズ初期、世界観を形成した、伝説のプロダクションデザイナー、ケン・アダムのデザインへのリスペクトが感じられたりもする。監督は、父親が日系アメリカ人3世の、キャリー・ジョージ・フクナガ。大人になってから6ヶ月、北海道で暮らした経験はある彼だが、あくまでもアメリカ人。日本文化で育ったわけではない。『007』製作の前に、香川県の直島を訪れてインスピレーションを受けたという。もしこれが、日本文化ネイティヴの監督だったら、もっとリアリティにこだわっていたかもしれない。そう考えると、この海外視点のアプローチも楽しいと割り切れる(Qが自宅で着けるエプロンは、オマケの日本ネタ)。ちなみに『007』で、ここまで“日本風”のシーンが描かれるのは、東京でロケが行われた1967年の『007は二度死ぬ』以来、半世紀ぶりとなる。

日本人監督なのにハリウッド視点?

Netflixで9/10から配信された『ケイト』も、主人公の暗殺者が、自分を狙う敵を探して、東京を駆け巡る。浅野忠信やMIYAVIも出演し、一部、東京でも撮影されており、新宿・歌舞伎町で有名な「バニラカー」なども登場。しかし基本は、カリカチュア(誇張)された日本で、奇妙な自動販売機や、刺青した男ばかりの銭湯、変な日本語の看板など、明らかに海外目線のビジュアルで楽しませる。そこを狙っているのは明らかだ。監督はフランス出身のセドリック・ニコラス=トロイアン

『ケイト』 Netflixにて独占配信中
『ケイト』 Netflixにて独占配信中

このカリカチュアの方向性を示し、「ハリウッド目線の日本」という点で、意外な作品もある。『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』(10/8公開)だ。監督は、園子温。しかも撮影は滋賀県を中心に行われているが、ニコラス・ケイジ主演のアメリカ映画である。園監督が創り出した世界は、遊郭の女たちがスマホを持って、車を運転し、サムライが戦ったりと、あえて時代を不確定にしつつ、海外の観客がイメージする「ザ・日本」的な風景を、これでもか、これでもかと注ぎ込んでくる。じつにユニークなアプローチだ。

ハリウッド視点ということでは、東京で撮影も行い、現在、製作中のドラマ『TOKYO VICE』(WOWOWで2022年春放映)は、巨匠マイケル・マンが監督。日本からも渡辺謙、伊藤英明、山下智久らが参加しているので、リアリティ志向に行きそうな気配である。

1964東京五輪と人気アニメを結ぶ検証

そして、この海外目線の日本という点で注目してほしいのが、『COME & GO カム・アンド・ゴー』(11/19公開)。監督は中華系マレーシア人のリム・カーワイ。大阪を舞台にした、さまざまな国籍の人々の群像劇だ。ただ、カーワイ監督は日本での生活も長く、これまでも大阪などで映画を撮っている。日本人としての感覚、そして外国人としての感覚、その両方を持った監督が、日本をどう見つめているか。この作品からは鮮烈に伝わってくるはずだ。

さらに、ドキュメンタリー『東洋の魔女』(12/11公開)もある。タイトルのとおり、1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した、女子バレーボールチームの軌跡と当時の日本、現在の選手たち、そしてアニメ「アタックNo.1(アタックナンバーワン)」まで絡めたのは、フランスのジュリアン・ファロ監督。日本文化に傾倒してきたという監督が、日本人の精神にも切り込んでいく独自の作品になっている。

こちらはフランス版の予告編。「アタックNo.1」の映像と音楽も使われている。

なぜ、ここまで海外目線で描く日本の映画がラッシュなのか? 公開が続いているのは、あくまでも偶然ではあるし、グローバルな視点で見れば、日本関連の作品が急増しているわけではない。しかし日本文化が世界のクリエイターを刺激するポテンシャルはまだまだ高いことを、この多様なアプローチから感じることはできる。そしてわれわれ日本人は、自分たちでは描けない理由に思いを巡らせ、親しみのある題材での目からウロコの発見に感心したりする。その意味でも、ぜひ観てほしい作品ばかりだ。

『ONODA 一万夜を越えて』

(c) bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』

2021 Paramount Pictures. Hasbro, G.I. Joe and all related characters are trademarks of Hasbro. 2021 Hasbro. All Rights Reserved.

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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