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「黒いディズニー映画」は、どこまでブラックだったか?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『エスケイプ・フロム・トゥモロー』 7月19日よりロードショー

血塗られたミッキーの手

ミッキーマウスを許可ナシで映画に使ってはいけない。これは多くの人が「当然」と認識していることでしょう。何かと著作権問題は話題になりますが、ディズニーがその問題に厳しいのは周知の事実。筆者もかつて、東京ディズニーランドで働いていた経験があるので、その厳しさは肌で実感していました。

ところが、そんな常識をあざ笑うかのような問題作が完成しました。フロリダのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート内で無断で撮影を行った映画が、劇場で公開されるのです。日本でもおなじみのアトラクションの数々や人気キャラクターたちも映像に収められた作品で、観客から入場料金をとって商売をしようというわけですから、誰でも「ヤバい」と感じますよね? しかもその内容は、主人公がパーク内で危険な妄想にとらわれていくというもの。「夢の国」が「悪夢の国」に変貌する……というわけで、おなじみのミッキーの手が血塗られているメインのビジュアルなど、穏やかではありません。

訴えが起こる日までをカウントダウン

もちろん製作側もその点は重々承知で、この『エスケイプ・フロモ・トゥモロー』がアメリカの劇場で公開されるにあたり、あるカウントを始めました。「本作がディズニー側に訴訟を起こされず、無事でいられる時間」です。つまり製作側は、当然、訴えられると確信していたわけですね。しかしオフィシャルサイトによると、現在も、このカウントは止まっていません。39週と4日(2014年7月15日現在)が経過しても、ディズニー側は公式にクレームさえ出していないのです。話によると、ディズニーの法務担当者は本作の試写に呼ばれ、無言で製作者側と握手を交わしたそうです。つまり今後も訴訟の動きはないでしょう。よほど作品が大ヒットして、関連グッズを販売するなど新たな暴走行為が始まれば、また別の話でしょうが……。

ディズニー側がなぜ訴えないのか。気になりつつ、本作を観てみました。

妻と2人の子供たちを連れてディズニー・ワールド・リゾートを訪れた主人公は、会社から突然の解雇通知を受け、精神的に追い詰められます。家族と一緒にパーク内で遊ぶ気も失せてしまいます。しかしその事実を妻に打ち明けられない主人公は、パーク内のアトラクションを体験しながら、悪夢に襲われるのです。さらにキュートなフランス人少女たちに挑発され、現実逃避するかのようにイケない妄想がふくらみ……。

突然、息子の目が真っ黒になり、「イッツ・ア・スモールワールド」の人形たちが恐ろしい顔に変貌したりと、要所に悪夢的ビジュアルが挿入されますが、パークが主人公の精神をむしばむわけではありません。パークは、あくまでも「背景」。これがもし、アトラクションやキャラクターが主人公に直接、悪夢をもたらす設定になっていたら、ディズニー側も怒っていたかもしれません。言い方を変えれば、逆にそこが物足りないと感じます。ワールド・リゾート内のエプコットにある、有名な銀色の球体建造物「スペース・シップ・アース」では、ある重大な事実が明かされますが(もちろんフィクション)、こうしたパークの裏ネタ的な演出がもう少しあれば、ディズニーランドの恐怖を主人公と一緒に体験できたかもしれません。無許可撮影を行ったうえ、訴訟までのカウントダウンをしているくらいなら、もっと「禁断」のネタを期待しますよね? ちなみに無許可のゲリラ撮影を行いつつ、いくつかのシーンは、別の場所での撮影を合成しています。

パークのファンには貴重な瞬間がいっぱい

率直な感想を言えば、「取り立てて話題になる作りではなかった」というところ。

とは言え、イマジネーションを刺激する結末も含め、ひとつの世界観は形成されていますし、何より、日本にも大勢いるディズニーのパークのファンにとっては貴重な瞬間が散りばめられていると思います。前述の「スモールワールド」の他にも、「スペース・マウンテン」「プーさんの冒険」「バズ・ライトイヤーのスペースレンジャースピン」、さらにエプコットの日本庭園などを、意外なアングルを通して劇場のスクリーンで観られるのです。目を凝らしていれば、さまざまな小ネタを発見する楽しみもあります。ディズニーのパークが映画の撮影で公式に使われるのは、トム・ハンクスがウォルト・ディズニーを演じた『ウォルト・ディズニーの約束』など、極めて稀なケースですから。

あまりディープな世界を期待しなければ、ディズニーランドが好きな人にとって。これは一見の価値がある作品と言えるでしょう。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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