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ハリウッド、2度目の『ゴジラ』。その気になる仕上がりは?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
NYタイムズスクエアのビルを囲んだ『GODZILLA』の巨大ビルボード

5月3日(現地時間)、ニューヨーク、タイムズスクエアの劇場で初めて一般向けにお披露目された『GODZILLA』。世界各国から集まったわれわれプレスと、現地の熱狂的な「ゴジラ」ファンと思われる多くの招待客は、期待と不安を胸にスクリーンに向かい合った。

ゴジラへの畏敬を感じさせる監督の演出

日本ではこれまで「ゴジラ」の映画が計28本製作されたが、今回の『GODZILLA』は、1954年製作の第1作『ゴジラ』の精神を直に受け継いでいると言っていい。物語からして、「1954年にゴジラが現れた」という事実が起点になっているのだ。しかし、明らかに違うのは、ゴジラの立ち位置である。1954年版は、ゴジラが日本人に底知れぬ恐怖を与える作品だった。もちろんゴジラの恐ろしさは、今回の『GODZILLA』でも十分に伝わってくる。なんと言っても、ゴジラ映画史上、最もサイズが大きく(体長108m)、しかも骨太(!)な肉体なので、その迫力は申し分ない。しかし今回の役割は、日本の「ゴジラ」シリーズが徐々にそうなっていったように、ゴジラにヒーローの要素が濃厚だ。「敵を倒す」という使命が、ドラマの骨格になっているのだ。

1999年、フィリピンで、得体の知れない巨大生物の骨が見つかり、時を同じくして日本の発電所で大事故が起こる。それから15年後、その2つの事実が結びついて人類を脅かす存在が姿を現すという、前半はミステリアスな展開。ゴジラがいつスクリーンに現れるのかという期待感が重なり、娯楽作としての緊迫感の高まり方はうまい。やがて満を持してゴジラが現れるのだが、ハワイの海岸で海面が盛り上がり、背びれが見え、人々が逃げまどったあげく、肉体の一部を少しずつ明らかにする…という一連の映像構成は、アングルやライティングの方向も含め、巨大モンスターへの畏敬を感じさせる。監督のギャレス・エドワーズは、前作『モンスターズ/地球外生命体』でも同様のアプローチを行なったが、今回は製作費も大幅に増えた分、さらに緻密さと、スケール感の両方をアップさせ、この見せ方のアプローチを完璧にしている。そしてゴジラが対峙する相手には、『モンスターズ〜』に登場したキャラクターから延長したデザインも見てとれ、監督のこだわりを実感した。夜のバトルがメインイベントとなるのは、昨年の『パシフィック・リム』と共通しているが、ギレルモ・デル・トロがKAIJUを、あくまでも「敵」として描いたのに対し、今回のギャレスは、敵キャラにも“人間性”として感情移入させる描写を用意し、このあたりも『モンスターズ〜』と似ている。超大作になっても、自分のテイストを崩さない姿勢は、フィルムメーカーとして好印象!

世界初の上映でポスターと写真を撮るゴジラファンたち
世界初の上映でポスターと写真を撮るゴジラファンたち

==オリジナルへのリスペクトに胸が熱くなる==

役回りのせいか、今回のゴジラの表情は、わずかに温かさも漂わせている。時折、かわいい犬のような表情にも見え、この点は観る人によって賛否が分かれるかもしれない。監督のギャレスは、「鷲のような猛禽を意識し、従来のモデルより鼻を高い位置にデザインした」と言っており、気高いサムライもイメージしたとのこと。結果的に、気高さよりも愛くるしさが上回った気もするが、違和感はおぼえなかった。ゴジラはもちろんCGで製作されたが、その動きと表情は、一部、パフォーマンス・キャプチャーも参考にされている。これは『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムや『猿の惑星』のシーザーを務めたアンディ・サーキスも少しだけ協力しており、独自のクリーチャーとしての模索がなされたようだ。敵と戦い、街を破壊するシーンはもちろんだが、俯瞰のアングルでとらえた悠然と泳ぐ姿などに、その巨体のスケール感が現れており、“着ぐるみ”時代からゴジラを愛していたファンにとっても、満足のいくビジュアルになったのではないか。

オリジナル版へのリスペクトをいくつか挙げると、まず渡辺謙の役名「セリザワ・イシロウ」。セリザワは1954年版の芹沢博士から、そしてイシロウは同作監督の本多猪四郎からとられている。そのセリザワが、映画の中で初めて「ゴジラ」と口にするシーンはかなり重要で、実際に映画を観ていたコアなファンたちからも溜め息が漏れたほどだ。さらに、おなじみの咆哮と、おなじみの「武器」、そして背ビレや尻尾の効用などを要所に仕掛けた演出は、さすが全作を観た監督だけのことはある。

1954年の『ゴジラ』を、いま改めて観ると、放射能の深刻さや、国民に真実を明かさない政府など、現代も続く問題をかなり鋭く追求していて驚かされる。今回の『GODZILLA』も、それらのテーマに、オリジナル版ほどではないが、予想外に正面から向き合っていた。東日本大震災後の日本にとって、その描き方はいくつか波紋を呼ぶかもしれないが、それも映画の意義だろうし、だからこそ多くの人に観てもらいたい作品だとも思う。

1998年の悪夢は振り払われた

1998年に一度、ハリウッドで製作された『ゴジラ』は、その「巨大トカゲ」のような外見がオリジナルとはかけ離れ、モンスターパニック大作としては悪くない仕上がりにもかかわらず、とくに日本国内での評判は最悪だった。今回も『エイリアン』や『ジュラシック・パーク』からの影響が濃厚に取り入れられ、映画全体のファンへのアピールを意識した部分もある。人間ドラマを描きつつも、とくに後半はそのドラマがどうでもよくなったのが欠点と言えば欠点だが、それもゴジラと敵の戦いに集中されたと好意的に受け止めたい。

最後まで失われないオリジナルへのリスペクトをはじめ、総合的な観点から、この2014年版『GODZILLA』の監督とプロデューサーたちには、ゴジラを生んだ日本から大きな喝采を送るべきだろう。

『GODZILLA』 7月25日(金)全国ロードショー

※写真はすべて筆者撮影

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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