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2014年、ロボコップのアップデートは成功したか?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『ロボコップ』 3月14日(金)全国ロードショー

「ロボコップ」。

その響きを耳にしただけで、ある種の映画ファンは心がざわめくはず。1987年。マシンの肉体に合体した警官という奇抜なアイデアで、世界的なヒットを記録した作品が再生された。21世紀の『ロボコッップ』は期待にたがわぬ作品になったのだろうか。

「ダークナイト」へ進化したバットマンと重ねたくなる

87年の『ロボコップ』は、ユニークな設定もさることながら、肉体が吹っ飛び、遠慮のない流血といった過剰なまでのバイオレンス描写や、ストップモーションアニメで合成された二足歩行ロボットなど、公開当時からカルト的な香りが漂い、そこに多くの映画ファンは惹きつけられていった。ロボコップの容姿は、いま観れば「かぶりもの」。もちろんこのアナログ感がいいのだが、2014年の現在、ロボコップの世界を再生するには、さまざまな趣向が凝らされ、旧作をまったく知らない観客にもアピールしなければならない。この点をクリアするという意味では、成功作になったと断言できる。

知名度のあるヒーロー映画を、違ったスタイルでアップデートする。その作業で、近年、最も成功したのが「バットマン」なのは間違いない。89年、ティム・バートン監督から始まったシリーズを、クリストファー・ノーラン監督が05年に『バットマン ビギンズ』として、とことんシリアス&ダークな世界に変換させた。好き嫌いは別として、2作目の『ダークナイト』が、ジョーカー役のヒース・レジャーに、死後、アカデミー賞助演男優賞をもたらしたりと、ノーランによる再生は「成功」と評価されている。

ゲイリー・オールドマンは、「ダークナイト」でいえばマイケル・ケインの立ち位置?
ゲイリー・オールドマンは、「ダークナイト」でいえばマイケル・ケインの立ち位置?

今回の『ロボコップ』は、このバットマンの変換を連想させる。ロボコップのチタン合金ボディが「黒」に進化したのもそうだが(メタリックなシルバーバージョンも出てくる)、旧作以上に主人公である警官マーフィの人間ドラマに照準を当てているところが、21世紀型のヒーロームービーらしい。と、ここまでは、よくあるパターンのチャレンジ。しかし、新『ロボコップ』は、さまざまな隠し味、スパイスが効果的に使われた再生になっているのだ。

まず注目は共演のキャスト陣。ロボコップの設計者であるノートン博士を演じるのが、ゲイリー・オールドマンで、ロボコップを提供する巨大企業、オムニコープのCEO役がマイケル・キートンと聞けば、「バットマン」の世界を重ね合わさずにはいられない(説明不要でしょう)。さらに、旧作でもポイントで登場したニュース番組が出てくるのだが、そのホストでもあるジャーナリスト役を演じているのが、サミュエル・L・ジャクソン! これはもう、「アベンジャーズ」が頭をよぎるのが必然。というわけで、偶然とはいえ、近年の人気ヒーロームービーを連想させるキャスティングは、パクリとかいうレベルを超えて、ヒーローアクションへの「愛」を感じさせる。

関連づけられるのは、他のヒーロー映画だけではない。もっとマニアックな部分もある。マイケル・キートンのCEOのオフィスに飾られているのは、フランシス・ベーコンの絵画だ。人間をモデルにしながら、それらを異様で奇怪に変容した肉体として表現したベーコン。まさしく、ロボコップに変容させられた主人公を象徴している。ベーコンの三連作は、あからさまではなく、ちらっとしか画面に登場しない。そんな“さり気なさ”にも監督のセンスがうかがわれる。もうひとつの関連は、『オズの魔法使』だ。少女ドロシーの旅の仲間たちは、みな自分に欠けている何かを得るために、魔法使いの元へ向かうのだが、その一人、ブリキ男に、今回のロボコップが重ね合わせられるシーンがある。ブリキ男に欠けているのは「心」。この新作でのマーフィ=ロボコップも、旧作とは異なる状況で、人間としての心を失っていく展開が用意されており、ブリキ男の例えは絶妙なだけでなく、切なく胸を締めつける。『オズの魔法使』のブリキ男は、実際は心を失っていなかったのだが、ではマーフィは…というくだりも本作の肝になっているのだ。

ルールにとらわれない監督の英断に拍手!

残された右手は温度調整で温もりが…。スーツのお値段は開発費込みで26億ドル!
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現代の大作として再生させるわけだから、映像のリアル感も要求される。さまざまな最新技術が駆使されるなか、このリアルさで必見なのが、ロボコップの「内部」だろう。マーフィの肉体でわずかに機能していた、頭部と心臓、右手(旧作では残った左手も切除された)がマシンの肉体に“はめこまれた”状態のビジュアルは、覚悟して観てもかなり衝撃的だ。このあたりは旧作も追い求めた、生々しさグロテスクさの精神を受け継いでいる。「そこまで見せなくても」と感じる観客もいるかもしれない。とくに旧作の「手作り感」にこだわるファンの中には、新ロボコップの機能も含め、リアル映像への進化にとまどう人もいるはず。

しかし、そのすべてをひっくるめて、新ロボコップは「再生」へのチャレンジ精神が溢れていると、温かい目で応援したい。決め手となる理由は2つ。

ひとつは、クライマックスに必ずド派手バトルをもってくる、王道のアクション大作のルールを無視し、物語に添った戦いの場面を演出したこと。その分、主人公のマーフィに感情移入しやすい仕上がりになったのは間違いない。旧作ではあまり描かれなかった、マーフィの家族ドラマがかなり出てくるが、そこも押し付けがましくない範囲だったのも好印象だ。

もうひとつは、絶対的なアメリカの正義への皮肉が込められている点。ここはサミュエル・L・ジャクソンのジャーナリストが、得意の「マザファッカ!」連呼で絶妙に表現してくれるが、監督のジョゼ・パジーリャの功績も大きい。ブラジル出身の彼が、初めてのハリウッド大作を任されつつ、大国への批判をしっかりと、あるいは何気ない演出に込めている。彼の不屈の精神に拍手を贈りたい。

と、いろいろ書き連ねつつ、作品全体の印象を表現すれば……

シンプルに面白い」!

最近のアクション大作が忘れかけた魅力が、『ロボコップ』には備わっていた。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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