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温水プールを利用した家屋内1階浸水想定セットの紹介

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
家屋内1階浸水想定セットの例。プールにあるもので作ることができる(筆者撮影)

「いざ洪水・津波が来たら救助がすぐに来ない。」こんな時に、自助・共助で何とか大事な家族の命を守りたい。そのような体験・訓練が全国どこでも四季を選ばず可能となるセットを組み立てました。

発災直後は救助がこない?

「いざ洪水・津波が来たら救助がすぐに来ない。」当たり前のことなのですが、どう考えても公助はすぐに来ないのです。浸水地域に近づこうにも消防の救助工作車の進むべき道は水浸し、ましてや119番通報はパンク状態で、救助も順番待ちの状況です。こういうのを「消防力劣勢」というのですが、消防力が劣勢から優勢に回復するには、数日くらいの時間がかかるものです。

図1 新潟県長岡市 長岡駅付近のハザードマップ。想定する降雨規模【想定最大規模】 2日間総雨量331 mm(長岡市HPより抜粋し、筆者が加筆)
図1 新潟県長岡市 長岡駅付近のハザードマップ。想定する降雨規模【想定最大規模】 2日間総雨量331 mm(長岡市HPより抜粋し、筆者が加筆)

 新潟県長岡市を例にとりましょう。図1をご覧ください。想定する降雨規模が2日間総雨量で331 mmという状況で信濃川があふれると長岡駅周辺はどうなるかという想定を示しています。まず川に近い日赤町とか草生津(くそうづ)は氾濫流地域となる想定。水深は5 m以上。長岡消防署、長岡市役所、長岡駅の周辺では水深が3 mから5 m未満の浸水地域となる想定。

 4とか6とかの数字は避難場所の位置を示していますが、いずれも浸水想定地域にあります。自宅に残って垂直避難をしても、避難所に避難をしても、とにかく氾濫流地域や浸水地域からは逃れられない運命であることをこのハザードマップは示しています。水深3 mなら、住宅でも避難所でも、1階部分は水の中に隠れてしまうことでしょう。ましてや頼りの消防署も浸水地域にあって、たとえ洪水の前に消防車両を高い場所に避難させたとしても、氾濫流地域や浸水地域に救助の手が差し伸べられるまでには相当な時間を要します。

よく聞く、垂直避難の逃げ遅れ

「道路冠水が始まったら、垂直避難」と筆者もYahoo!ニュースで何度か記事にしたことがあります。でも現実を体験した方々からは、「急に床上浸水となって、逃げようにも浮いた家具に避難路を絶たれてさ」「家具が邪魔してドアすらも開かないんだよ」「歩けない爺さんを2階に続く階段まで引っ張れなかったぞ」という話が筆者のもとにたくさん寄せられました。

 実際に平成30年7月に発災した西日本豪雨では、岡山県真備町にて家屋浸水などで溺れたなどして亡くなった方が51人でした。死者の約8割が70歳以上の高齢者でした。多くの人は高台に避難するなどして命を守ることができるのでしょうが、やはりそうは上手くいかない人もいるわけです。最後の最後まで命を守り抜くことに関しては、早く逃げた人も逃げ遅れた人も同じなのです。筆者や水難学会の使命は「それでも逃げ切れなかった人はどうしたらよいか」を考えることです。

 さて、自宅の1階が浸水したとします。家具などはほとんどが水に浮きます。冷蔵庫さえ浮きます。そういった大型家具が斜めになりながらぷかぷかと水面に浮いている、これまで見たこともないような状況にあるのです。床にあった様々な物品も浮いていたり、沈んでいたり。さらには夜だと真っ暗闇であることもあります。

 こういった状況を体験したり、そういった中で大事な家族を救助したり、そういったことは本番の災害が来るまで体験できないものでしょうか。

温水プールを使った1階浸水想定セット(注1)

 カバー写真は、深さ130 cmー150 cmの長岡技術科学大学温水プールを使って、自宅1階が浸水したという想定を体験できるように作られたセットです。全てプールにあるもので構成しています。

 まず、室内を想定した壁面を作ります。壁面は赤台とも呼ぶプールフロアを使いました。プールフロアを立てて、後ろから水中に沈めた別のプールフロアで支え、さらにロープを使ってフロア同士をつなぎ、そのロープをプールサイドの支柱等で支えます。おおよそ5 m四方くらいの場所が確保できています。

 次に、浮遊物と沈下物をこのエリアに配置します。浮遊物には、プールで使うビート板、浮島、ヘルパーあるいはビート板を格納しているかごなど、プール外からは大型のクーラーボックス、発泡スチロール箱、空のペットボトル、バケツなどを使いました。沈下物には赤台を通常使用したり、ひっくり返したりしました。

 また、水に入るための梯子を自宅の階段に見立てて設置しました。このようにして完成したセットを間近にし、実際の家屋内浸水で地獄を見たという参加者からは「リアルです」という言葉が聞けました。

家人による救助訓練(注2)

 日中の明るい時間を想定した救助訓練の一部を試験的に行いました。高齢者が部屋の片隅で逃げ遅れて、リュックサックを浮き具にして浮いている状況です。家人が救命胴衣を着装して高齢者に近づき、確保。陸の人が家庭に常備してあるひもを引くことで階段下まで高齢者を移動させます。動画1をご覧ください。

動画1 家人による家屋内浸水区域からの救助訓練の様子(筆者撮影、1分39秒)

 動画を視聴できない人に向けた説明を図2を使って行います。

図2 家人による家屋内浸水区域からの救助訓練の様子の図解(筆者撮影)
図2 家人による家屋内浸水区域からの救助訓練の様子の図解(筆者撮影)

 想定では1階が浸水した家屋内に高齢者が取り残されています。水深は130 cmで高齢者はリュックサックを浮き具として水面に浮いていて、意識がはっきりしています。高齢者一人では2階に続く階段のたもとまで近づくことができません。

 そこに家人がやって来て、救助を試みます。まずは①入水から。家人は頭を保護するための帽子、軍手、長袖・長ズボンの服装で、靴を履いています。浮力を得るための救命胴衣、さらに陸上の人から自分を引っ張ってもらうためのビニールひもを救命胴衣に結んでいます。階段を後ろ向きにゆっくりと脚から入水します。

 救命胴衣の浮力を借りて、ゆっくりと泳ぎながら接近し、高齢者の検索に入ります。②の写真ではどこに高齢者がいるかわかるでしょうか。もちろん、水面に浮かぶ家人からは高齢者が見えません。

 がれきを押しのけて視界を確保し、やっと高齢者を発見しました。③確保です。腕やわきの下など手でつかめるところをしっかりとつかんで、陸の人にひもを引っ張ってもらいます。

 ④搬送では、浮きながら高齢者を離さずに階段に近づく様子が写っています。このようにしてがれきの間をぬうように戻ります。

その他の応用

 夜間の体験・訓練も行うことができます。同じプールを使って照明を落として暗闇にして試験的に実施しました。通常のカメラでは暗くてなにも映りませんので、サーマルカメラ(3万円以下の赤外線カメラをスマートフォンに装着した)を使って熱を動画2のように映像化してみました。これなら、暗闇でも生存している要救助者を浸水区域において比較的早く発見できます。

動画2 暗闇の中での家屋内浸水区域における救助訓練の様子。熱映像を使って撮影したもので、3倍速としている。音はなし(筆者撮影、37秒)

 本格的なプロフェッショナル向けの闇夜の浸水室内検索・救助訓練については、全国に先駆けて富山県消防学校で今年初めて導入しました。

まとめ

 まだ始まったばかりではありますが、温水プールを利用した家屋内1階浸水想定セットは、家屋内浸水を体験したり、家族で共助の訓練をしたりと、消防力劣勢の中でも自助・共助を通じて市民が自分で自分の命を守る取り組みにつながると期待しています。

 全国の水難学会指導員を通じて今後セットを広めていきますし、中身のプログラムに関して、より確実化・深化させるために一緒に考えていただける仲間を募集しています。筆者に声をかけていただければ幸いです。

注1 プールフロアの取り扱いや固定方法には、水中結索などの高度な知識や技術を必要とします。溺れたりフロアを破壊したりする可能性が高いので、この記事を読んだだけの見よう見まねは慎むようにお願いします。

注2 救助訓練には、きちんとした救命胴衣の着装訓練を予め受けるなど、高度な知識や技術を必要とします。また、けん引ロープの取り扱いに慣れていないと溺水事故を誘発します。この記事を読んだだけの見よう見まねは慎むようにお願いします。

水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

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