Yahoo!ニュース

琵琶湖水難の怪 謎解きに迫る水難事故調レポート

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
安息角を超えると砂は崩れる。この現象が水難事故を引き起こす(筆者作成)

 琵琶湖水難の怪。例えば事故がJR湖西線近江舞子駅周辺に集中し、溺れた人の年齢構成はバラバラ、さらには溺れた場所から発見場所がずれることも。琵琶湖特有ともいえる水難事故の怪の謎解きに、科学で迫ります。

崩れ砂

 湖底の崩れ砂が、謎解きのキーワードとなります。近江舞子駅周辺の湖岸にて崩れ砂が見られ、ここではどの水深でもそれが見られ、一度沈むと人は崩れ砂とともにより深い湖底にずり落ちていきます。

 カバーイラストをご覧下さい。崩れ砂とは、人間の足(いらすとやの図を利用)などがのると安定を失って崩れていく砂のことです。水中の底質である砂利はある条件にて崩れるギリギリの角度で安定しています。この角度を安息角といいます。陸上なら安息角にある砂利の斜面に人がのると砂利が崩れて、最悪の場合は砂利の下敷きとなって生き埋めになるという、時々工事現場で耳にする事故を誘発します。

近江舞子駅周辺で水難事故が多いのはなぜか?

 図1をご覧下さい。大阪や京都から電車で琵琶湖に遊びにこられる方々はJR湖西線に近江舞子駅行きがあることをよくご存じです。要するにここで人が多く下車するので、シーズンになれば近江舞子駅周辺はたくさんの湖水浴客で賑わいます。水難事故の数は、人出(人数)×危険度で決まりますから、この駅周辺にて水難事故が多いのは当然と言えば当然のことなのです。

 新聞横断検索(2014年ー2023年)の結果によれば、琵琶湖にて湖水浴を楽しんでいて事故に遭ったと思われる人の数は30人。そのうち近江舞子駅付近で溺れた人の数は図1に示すように総計18人。半分以上の人は、この近江舞子駅周辺で溺れています。

図1 琵琶湖西岸のJR近江舞子駅周辺の地図と湖岸水泳場毎の水難溺水者数(Yahoo!マップをもとに筆者作成)
図1 琵琶湖西岸のJR近江舞子駅周辺の地図と湖岸水泳場毎の水難溺水者数(Yahoo!マップをもとに筆者作成)

年齢構成はバラバラ

 この10年間に近江舞子駅周辺の琵琶湖で溺れた人の年齢構成は次の通りです。

  0-9歳 4人

  10-19歳 4人

  20-29歳 4人

  30-39歳 2人

  40-49歳 3人

  50歳以上 1人 

 遊泳中に溺れる水難事故では、その原因は単純で、水面に顔を出すことができなかったことに起因します。すなわち、事故に遭う大多数の人は足が水底に届かなかったから溺れたわけです。そうなると、溺れる深さはだいたい身長と同じくらいなので、一般論としては「プールの深さによって溺れる年齢がほぼ決まる」という現象につながります。

 上に示した表のように、身長は関係なし、年齢による運動能力の影響も関係なしで年齢構成がバラバラということは水難事故では比較的珍しく、この現象も琵琶湖水難の怪の一つと言えます。

 崩れ砂が溺水の原因だとすると、どうでしょうか。実際に、事故がおこりやすい水深120 cm(子ども)から水深150 cm(大人)までの範囲の傾斜の勾配の測定を現場にて潜水して直接行いました。その結果、角度はおよそ11度でした。

 角度11度と言うと、一般的な水中安息角からは小さい角度です。つまり、ここに立っただけでは砂は崩れない可能性が高いと言えます。ところが、ギリギリ足が届く水深で岸に戻ろうと足で水底を蹴ると話が変わってきます。動画1をご覧下さい。顔を水面とほぼ平行になるくらいで、ギリギリ呼吸ができるような深さで水底を足で蹴ると、砂が崩れて全く前に進めなくなります。静止した足なら支えられるのですが、動く足を支えきれないのが、この角度の底質だということができます。

 子どもから大人まで、同じような場所で溺れてしまうのは、同じ原因によるものだったと考えられます。

動画1 勾配11度、深さ160 cmにて水底を蹴って成人男性が前に進もうとしている様子(水難学会撮影、13秒)

溺れた場所から発見場所がずれる

大津市南小松の近江舞子中浜水泳場の沖合約45メートルで、技能実習生(21)が琵琶湖の湖底(約18メートル)に沈んでいるのが見つかり、まもなく死亡が確認された。技能実習生は友人3人と近江舞子中浜水泳場に来ていたという。沖合約10メートル付近で溺れている男性がいるとの別の湖水浴客からの通報を受け、大津北署員や消防隊員が捜索していた。朝日新聞社 2018.08.16 (筆者一部改変) 

 琵琶湖ではよくあることで、溺れた場所あるいはボートから落水した場所と沈んだ溺者が水中から発見された場所がずれます。上の記事ではそれが35 mほどずれています。川のようにはっきりした流れがあるのであればその通りなのですが、琵琶湖では別の理由で位置がずれます。

 近江舞子駅周辺の琵琶湖では、沖合に15 mほど進むと湖底の傾斜が急にきつくなります。潜水して直接測定した結果と深浅測量をして計算した結果の双方から、勾配はおよそ28度だと判明しました。

 28度ということは砂利の水中安息角としてはほぼ説明できる角度です。すなわち、その斜面にのったものは、砂とともに下方に流れ落ちていきます。例えば湖岸から15 mほどの水面で人が沈んでしまうと勾配28度の斜面に到達し、そのまま砂とともにさらに深い方に落ちていきます。実際に水深3 mの付近で底質採取している時に、潜水者の身体は砂とともにずり下がっていきました。「底なし沼を感じた」そうです。因みに深浅測量の結果、岸から40 m離れた場所における水深は14.6 mでした。

琵琶湖の怪を謎解きしてまとめると

 水難学会では、この9月に琵琶湖の近江舞子中浜水泳場に事故調査委員会(委員長 犬飼直之 長岡技術科学大学准教授)を派遣し、現場の深浅測量と底質解析を中心に調査を行いました。その結果をまとめると図2のようになります。この周辺の湖底の構造として湖岸から沖に向かうにあたり、距離8 mのあたりまで勾配6度、水深は0.8 m。距離15 mまでは勾配が11度となり、さらに距離15 mを超えると勾配が急に28度に達します。

 この結果から水遊びに適した距離は湖岸からの距離8 mまでで水深は0.8 m以下となります。距離8 mから距離15 mまでは子どもも大人も溺水危険範囲。距離15 m以遠では沈んだ場合に捜索が困難になり、場合によっては体内にガスがたまり水面に浮上するまでは身体の揚収はできないことも覚悟しなければなりません。

図2 琵琶湖の近江舞子中浜水泳場の湖底構造。縦軸は横軸より引き伸ばしているため、勾配は実際の数字よりきつく見える(筆者作成)
図2 琵琶湖の近江舞子中浜水泳場の湖底構造。縦軸は横軸より引き伸ばしているため、勾配は実際の数字よりきつく見える(筆者作成)

さいごに

 この調査は、近江舞子中浜水泳場において行なわれたものであり、ここで得られたデータは琵琶湖全体の湖岸に当てはまるものではありません。

謝辞

 本調査を含む一連の調査研究は、日本財団助成事業「わが国唯一の水難事故調査 子供の単独行動水面転落事故を中心に」と日本学術振興会科学研究費補助金 基盤研究(C)課題番号22K11632の助成により行われています。

水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

斎藤秀俊の最近の記事