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部活動はなぜ過熱する? 指導者がハマる魅力

内田良名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授
(写真:アフロ)

■「部活は麻薬」

2016年は、「ブラック部活」という言葉が拡散した一年であった。教員の超過勤務の主たる要因として、部活動指導の過重負担に注目が集まった。

この一年、「ブラック部活」について多くの現職教員や教員経験者と語り交わすなかで、私がたびたび耳にしたのが、「部活は麻薬」という言葉だった。「ブラック」という単にネガティブな響きとはまったく異なる世界が、そこにはあった。

「部活動改革元年」(学習院大学教授・長沼豊氏による命名)とよばれた2016年の改革のうねりを、新たな2017年においていっそう大きなものにしていくために、「部活は麻薬」と表現されるその深層を理解していく必要がある。

部活動は、なぜこれほどまでに過重負担になってしまうのか。その背景の一端を、「部活は麻薬」という言葉から探っていきたい。

■リオデジャネイロオリンピックから見えてきたこと

写真提供:pixabay
写真提供:pixabay

さてここで、2016年の夏に私たちが熱狂した、あのリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックの様子を思い起こしたい。

オリンピックにおける国民の最大の関心事は、メダルの獲得である。

レスリング女子でオリンピック4連覇を期待されながらも、決勝戦でアメリカの選手に負けた吉田沙保里選手の表情は、いまも私たちの目に焼きついている。試合直後に涙ながらに発した、「銀メダルに終わってしまって申し訳ないです」との言葉は印象的であった。

他方で、同じ銀メダルでも、陸上競技男子4×100メートルリレーの四選手は、晴れやかな笑顔だった。レース翌日の会見で四選手は皆、2020年の東京オリンピックに向けて、「次は金メダル」と高い目標を掲げた(会見内容はこちら)。

銀メダルという点では、レスリングもリレーも変わりはない。だが、金メダルを期待されている場合の銀メダルと、銀メダルの獲得が期待以上であった場合のそれとで、反応はまったく異なってくる。

競争原理のなかで私たちは、一つ成果をあげると、今度はそれ以上のものを目指したくなるものだ。次回東京オリンピックでは、陸上競技男子4×100メートルリレーに、私たちは何色のメダルを期待しているだろうか。

オリンピック選手のようなトップアスリートの世界では、これぐらい厳しくてもよいのかもしれない。だが、これと同じようなことが、「教育」の場である学校の部活動においても起きている。

■先生も生徒も「練習しすぎ」と感じている

話を部活動に戻そう。

この数日、ツイッター上では、生徒が「元旦からの部活はつらい」「なんで元旦の朝から部活があるんだろう」と嘆いている。元旦の練習はごく一部の部活動のみだとしても、お正月が明ければ、部活動は授業よりも早く、再開する。そして、教員も生徒も「連勤」が始まる。

先月中旬にスポーツ庁が公表した調査結果からも、土日に多くの時間、部活動が実施されているということが、明らかになったばかりである。

『平成28年度全国体力・運動能力、運動習慣等調査報告書』160頁より引用
『平成28年度全国体力・運動能力、運動習慣等調査報告書』160頁より引用

興味深い調査結果がある。神奈川県が2013年に実施した運動部活動に関する調査では、中学生・高校生・教員のいずれにおいても、理想とする部活動の日数(一週間あたり)と、現実のそれとの間に大きな差がある。

先生も生徒も、「本当はもう少し休んだほうがいい」と思いながらも、土日を含め毎日のように活動している。ここから見えてくるのは、先生も生徒も、お互いに首を絞め合っているのではないかということだ。

一週間における活動日数の理想と現実(2013年、神奈川県)。「理想」よりも「現実」で6日以上が多い。
一週間における活動日数の理想と現実(2013年、神奈川県)。「理想」よりも「現実」で6日以上が多い。

■麻薬、中毒、快楽

なぜ、休みが必要だとわかっていても、ブレーキがかからないのか。その答えの一つが、「部活は麻薬」である。

意外に思われるだろうが、現在、部活動顧問の過重負担について声をあげている先生には、「部活動が大好きな(大好きだった)」人がけっこういる。けっして、部活動嫌いな先生たちではない。

ネット上で、「ブラック部活」の問題を訴えている先生の一人に、直接会って話を聞くことができた。その記録の一部を紹介しよう。

  • A先生:じつは私には、部活動に燃えていた時期があるんです。けっこう多くの教員が通るんですよ、部活動に燃えていた時期。とっても楽しかったです。
  • 内田:え? 部活動が楽しかった?
  • A先生:帰りの会が長引くと、もう向こうで部員が集まってるんですよ。そうすると、早くそっちに行きたくて、イライラ、イライラする。そして、私なりに指導方法を勉強して頑張って教えれば、やっぱり勝つんですよ。そうすると、もっと勝ちたいみたいになる。中毒ですよ。
  • 内田:だんだんとハマっていくんですね。
  • A先生:だって、あれだけ生徒がついてくることって、中学校の学級経営でそれをやろうとしても難しいんですよ。でも、部活動だと、ちょっとした王様のような気持ちです。生徒は「はいっ!」って言って、自分に付いてくるし。そして、指導すればそれなりに勝ちますから、そうするとさらに力を入れたくなる。それで勝ち出すと、今度は保護者が私のことを崇拝してくるんですよ。「先生、飲み物どうですか~?」「お弁当どうですか~?」って。飲み会もタダ。「先生、いつもありがとうございます」って。快楽なんですよ、ホントに。土日つぶしてもいいかな、みたいな。麻薬、いや合法ドラッグですよ。

部活動に力を入れる → 生徒が試合に勝つ → 生徒さらには保護者からの信頼も得られる → さらに部活動に力を入れる →・・・ こうした流れにより部活動の過熱に歯止めがかからなくなっていく。そして、この負の循環にふと気づいて立ち止まった先生たちがいま、部活動のあり方について、ネット上で声をあげているのである。

私たちは、人間である以上、努力して一つ上の段階へと進むことに魅力を感じる。そして、一つ上に到達すると、今度はそこから降りられなくなる。気がつけば、自分も周りも皆、「さらに上へ」を期待している。オリンピックにおいて、日本のトップアスリートに対する期待のハードルがどんどんとあがっていくなかで、日本国中が盛り上がっていく状況と、なんだかよく似ていないだろうか。

■首を絞め合っている手を一斉に放す

写真提供:足成
写真提供:足成

競争原理が優先される世界では、ひとたびスイッチがオンになると、あとはヒートアップしていくばかりで、もうオフにはできない。それを主導するのは、先生でも生徒でも保護者でもない。誰かのせいというわけではなく、お互いに首を絞め合いながら、休みたいけれど、休めない状況が進んでいく。

「授業」であれば、時間数はカリキュラムのなかで固定化(制約)されている。日数や時間の面では、過熱しようがない。だが「部活動」はちがう。学習指導要領上は「自主的」な活動に位置づけられているがゆえに、際限なく過熱する可能性がある。ひとたびそこに力を入れたとたんに、後戻りできない流れがつくられていく。

ここで改めて、部活動は学校教育の一環であるという、ごく当たり前のことを思い起こす必要がある。部活動は、競争の原理ではなく、教育の原理にもとづいておこなわれるべきである。

学校教育において部活動がはたす社会的役割というのは、生徒に付加的なスポーツや文化活動の機会を保障することである。その場合、週3、4日で十分だ。それ以上を求める場合、すなわちメダリストを目指す場合には、その分は学校の部活動ではなく、民間に託されるべきである。

ここまで肥大化してきた部活動を前にして、私たちがすべきことは、お互いの首を絞め合っている手を一斉に放すことである。部活動とは、いったい何だったのか。2016年と2020年のオリンピックを通じて考えるべきことは、メダル獲得の大切さ以外にもあるはずだ。

[注]

本記事におけるツイッターやインタビューの内容は、大意を損なわない限りにおいて適宜言葉を改変している。

名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授

学校リスク(校則、スポーツ傷害、組み体操事故、体罰、自殺、2分の1成人式、教員の部活動負担・長時間労働など)の事例やデータを収集し、隠れた実態を明らかにすべく、研究をおこなっています。また啓発活動として、教員研修等の場において直接に情報を提供しています。専門は教育社会学。博士(教育学)。ヤフーオーサーアワード2015受賞。消費者庁消費者安全調査委員会専門委員。著書に『ブラック部活動』(東洋館出版社)、『教育という病』(光文社新書)、『学校ハラスメント』(朝日新聞出版)など。■依頼等のご連絡はこちら:dada(at)dadala.net

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