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前代未聞の「北朝鮮大使館襲撃事件」の容疑者のスペイン送還をめぐる「ロサンゼルス裁判」

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
北朝鮮大使館の監視カメラに映ったアン容疑者(カリフォルニア連邦検察が提出)

 米国時間の5月25日午前10時半、カリフォルニア州ロサンゼルスの連邦地裁で2019年2月にマドリードにある北朝鮮大使館を襲撃した容疑者の一人であるクリストファー・アン(41歳)のスペインへの引き渡しの適否を決定する審理があった。

 大使館はウィーン条約によって「不可侵」とされている。いわば「聖域」でもあるスペインの北朝鮮の大使館がアン容疑者を含む一団によって襲撃されたのは2019年2月22日のことである。

 スペイン司法当局は米国に居住しているメキシコ国籍のホン・チャンや米国国籍の在米韓国人ユ・サムら7人を割り出し、国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際指名手配した。ウィーン条約(第22条1項目)には「接受国は公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する」と定められている。

 事件を担当した全国管区裁判所のホセ・デ・ラ・マタ判事が当時、スペインの有力日刊紙「エルパイス」(2019年3月26日付)に明かした捜査内容(15ページ)に基づけば事件の全容は以下の通りである。

(参考資料:衝撃的な「駐スペイン北朝鮮大使館襲撃事件」の全容)

 ―襲撃計画は8か月前から練られ、リーダーのホン・チャンを除く6人は2018年6月にスペインを初めて訪れ、最上階の部屋から北朝鮮大使館の庭を覗くことができる「ユーロスターズ サルスエラ パークホテル」に宿泊し、下調べをしていた。

 ―犯行9日前の2月13日にスペインに再入国し、再び同じホテルに宿泊した。犯行に及ぶまでの間は白いバンを借りるなど襲撃に使用する装具などの調達に時間を費やしていた。犯行2日前には市内の雑貨店で両面テープとペンチ、梯子などを購入した。

 ―ホン・チャンは一行よりも一週間も早い2月6日にスペインに入国し、翌7日には北朝鮮大使館を事前に訪れ、下調べをしていた。この時は大使館内には入れず、庭先で応対したソ・ヨンソク商務官にUAEとカナダに事務所のある投資会社の名刺を差し出し、「北朝鮮に投資をしたい」と訪問の目的を告げるだけで終わった。差し出した名刺には「マッシュ・チャオ」という偽名が印字されていた。

 ―ホン・チャンはマドリード滞在中、銃砲店で襲撃の際に用意すべき銃器などを見て回り、8日に一旦スペインを離れたが、19日にチェコのプラハからスペインに再入国し、翌日メキシコの大使館で旅券を更新していた。

 ―ホン・チャンは「カールトン・マドリード」と「アイタナ・バイマリオット」などのホテルに宿泊しながらマドリードで拳銃6丁、戦闘用ナイフ4本、こん棒や手錠、ゴーグルなどを調達していた。ホテル宿泊時は本名を使っていたが、大使館を訪れた時は実業家「マッシュ・チャオ」を、犯行後に逃走用のタクシーを呼び出す時には「オズワルド・トランプ」という偽名を使っていた。

 一襲撃グループは当日午後4時34分頃、レンタルしたバンで大使館前に乗り付け、ホン・チャンだけが一人降りて、大使館の門前でソ・ヨンソク商務官との面会を求めた。他のメンバーは車の中で待機していたが、大使館職員が門を開けると、一斉に大使館内になだれ込んだ。大使館内には当時、外交官や職員ら7人がいた。

 ―襲撃グループは職員らの手足を縛り、一部は頭から袋を被せ、会議室やトイレなどに隔離し、ソ・ヨンソク商務官を地下室に連れて行き、首筋にモデルガンを当て、亡命を強要した。

 ―2階に隠れていた一人の女性大使館職員がテラスから飛び降り、裏門から脱出に成功し、住民に助けを求めたことで救急車と警察官3人が出動した。テラスから飛び降りた際に怪我したこの女性職員は病院に運ばれた。

 ―駆け付けた警察官らが大使館の呼びベルを押したものの、「金日成・金正日バッジ」を胸に付け大使館員を装ったホン・チャンが出てきて「何の問題もない」と言って、警察官を中に入れず、追い返した。大使館は治外法権のため警察官らは踏み込めず、大使館の外で待機せざるを得なかった。

 ―ホン・チャンが大使館を出てから10分後、大使館を訪れた北朝鮮の留学生3人が呼びベルを押しても館内から返事がなかったため塀を乗り越え、大使館に入り、縛られていた館員らを解放し、外に連れ出したことで事が明るみになった。

 ―大使館員らの亡命工作に失敗した襲撃グループは午後9時40分、コンピューター2台とUSB数個、ハードディスク2個、携帯電話を1個奪って、大使館の車3台に分乗し、逃走した。ホン・チャンは他の一人と大使館の裏口から抜けだし、タクシーで逃走した。ポルトガルを経由し、23日に米国ニュージャージー州のニューアーク空港に降り立った。

 襲撃グループのうち逮捕されたのは唯一アン容疑者だけで、主犯格のホンを含め他の容疑者は今なお逃亡中である。

 アン容疑者は事件発生から2か月後の4月にロサンゼルスで逮捕されたが、130万ドルの保釈金を払い、現在は在宅起訴のまま裁判を受けている状態にある。

 元海兵隊員でもある韓国系米国人のアン容疑者は建造物侵入、不法監禁、脅迫、窃盗,傷害、組織犯罪の6つの容疑で起訴されているが、容疑はいずれもスペイ司法当局の調査書に基くもので、米国の連邦検察はスペイン政府から渡された北朝鮮大使館内外のCCTV(監視カメラ)と北朝鮮大使館員及び家族の証言、さらに容疑者らが襲撃用に購入した物品の領収書などを提示し,犯罪人引き渡し条約に基づきスペインへの送還を主張している。

 これに対してアン容疑者の弁護人団は▲アン容疑者ら一団は亡命を求めていた北朝鮮大使館員から頼まれ、亡命を手助けするため大使館に入った▲その外交官の北朝鮮にいる家族の身の安全のため拉致に偽装した▲そうした事情も知らない女性大使館職員が窓を開け、大使館の外に出て助けを呼んだため「亡命作戦」が失敗した▲北朝鮮大使館員らの供述は亡命が失敗したことによる狂言であるとして犯罪そのものが成立しないと主張している。

 弁護人団の主張は事件発生2周年の日に当たる今年2月22日に裁判所に提出したアンン容疑者の陳述書に基づいている。アン容疑者は「某北朝鮮大使館員の『拉致事件を装って亡命したい』との依頼に基づき、「自由朝鮮」なる組織が計画したものであると主張していた。

 「自由朝鮮」の前身はマレーシアのクアラルンプールの空港で北朝鮮の工作員によって殺害された金正恩総書記の異母兄・金正男氏の息子、金漢卒(キム・ハンソル)氏を中国の影響力が及ぶマカオから「第3国」に脱出させた「千里馬民防衛」という名の組織である。ホン・チャンはこの組織のリーダーである。

(参考資料:「打倒金正恩政権」の亡命者組織「自由朝鮮」の背後に米CIA!)

 「自由朝鮮」は事件発生から4日後の2月26日、「打倒金正恩政権」を掲げ、ソウル市内の公園で3月1日に臨時政府の樹立を発表し、犯行声明を出していた。

 犯行声明では「我々は誰も縛り上げ、殴るようなことはしなかった。いかなる武器も所持していなかった」こと、また「(FBI)ととてつもなく価値のある特定情報を共有してきた。情報はFBIの求めに応じて共有している」と語っていたが、この時は裁判所で明かした「真の侵入理由」については何一つ触れていなかった。

 弁護団は仮にアン容疑者がスペインに強制送還されれば、北朝鮮から殺害される恐れがあるとして、人道的な見地から送還しないよう求めているが、殺害される根拠として北朝鮮が金正男氏を暗殺したこと、アン容疑者が正男氏の息子の救出に関与したこと、北朝鮮の偵察総局が金総書記に直々に報告するため計画する可能性があることなどを挙げていた。

 また、法廷では北朝鮮で1年半にわたって拘束され、その後釈放され、昏睡状態のまま帰国した直後に急死した米国の大学生、オットー・ワームビアの両親も証人として出席し、送還に反対する証言を行っていた。

 検察側はスペインとの犯罪人引き渡し条約に基づき、アン容疑者はスペインで裁判を受ける必要性を主張し、身の安全問題はスペイン当局との協議を通じて解決できると主張したが、人道面での配慮については「米国の法律では人道主義的例外は裁判所ではなく国務省が決定する問題である」と述べ、国務省に下駄を預けていた。従って、この問題は国務省の判断の委ねられることになる。

 なお、北朝鮮は事件発生から37日目にして大使館襲撃を「重大なテロ行為」と非難し、スペイン当局の捜査が「最後まで責任を持って進められ、テロ分子と背後の操縦者について国際法に則って公正に処理されるよう忍耐を持って待つ」とする報道官談話を出していた。

(参考資料:米国は北朝鮮大使館を襲撃した容疑者らをスペインに引き渡すのか)

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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