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専門家すら抱える、緩和ケアが不十分だから「鎮静」が必要になるという誤解

大津秀一緩和ケア医師
(写真:アフロ)

安楽死は有名なのに、知られておらず誤解も多い鎮静

2019年6月2日のNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」で、神経難病の多系統萎縮症を患う50代前半の日本人女性が、スイスで医療的幇助自殺を遂げるドキュメンタリーが放映され大変な話題となりました。

その際に気がついたこととして、その言葉の正しい意味はともかくとして「安楽死」という言葉はかなりの人が知っていてその後も話題が続いているのと比較して、「鎮静」のことはあまり知られておらず、誤解も少なくないという事実でした。

皆さんは、鎮静をご存知でしょうか?

ざっくりとした計算ですが、鎮静は年間92万人以上が直接・間接的に、その言葉は知らなくても、関係しうる事柄なのではないかと考えております。それなので、知られていないだけで誰にとってもけっして他人事ではありません

私はこれまで緩和ケア医として、3700人以上のがんの患者さんを担当として拝見し、2000人以上の終末期の方を診療してきました。

また、一般病院や大学病院だけではなく、ホスピスや在宅、高齢者施設など様々な場所で看取りを行ってきました。

そのため、終末期の実際及び各施設ごとの差異をよく知る立場にあります。そこから、この事に関してよりお伝えする必要があると考えました。

緩和のための鎮静とはなにか?

先日、下の記事で安楽死について解説しましたが、その中で鎮静に関して触れました。

'''何でも「安楽死」と呼びすぎる日本 「医療的幇助自殺」、「鎮静」との違いは'''

鎮静とは、2019年現在の日本では、もっぱらがんの終末期の患者さんが、残り時間が極めて限られている場合に耐え難い苦痛が存在する際、胃カメラを眠って行う際に使用するような鎮静剤を使用することで意識を低下させ、苦痛緩和するという方法です。

死をもたらすことを目的とした安楽死や医療的幇助自殺とは目的も手段も異なり、区別されます

また、日本の研究で、持続的な鎮静を行っても、生命予後が短縮していないことが明らかになっています

したがって、耐え難い苦しみに悩まされている患者さんに鎮静を行うことは問題のない医療行為で、むしろそれを行わないと厳しい最終末期の時間を過ごすことになりかねません。

一方で、基本的に意識を低下させての苦痛緩和ですので、開始後はご家族等とのその後のコミュニケーションが難しくなります。

それもあって、次のことがしっかりと確認されて、持続的な鎮静は行われます。

◯ 余命が数日以内と想定されること

◯ 他の意識を低下させない苦痛緩和策が取られても、それでも耐え難いつらさがあること

◯ 本人あるいは家族の同意があること

◯ 先に頓用で鎮静薬を使うなど「間欠的鎮静」を行っても苦痛緩和が不十分であること

なお、いきなり持続的な鎮静を始めるという理解もまだ一部であるようです。休息できる時間をしっかり確保すると、起きた後は症状が緩和されて生活できる、というのが間欠的鎮静の考え方で、原則的にはこの頓用方式の使用を先に行います。それでも次第に頻繁に間欠的鎮静が必要になる場合もあり、あるいは患者さんやご家族からより積極的な鎮静の希望があるケースも存在します。その場合は次に持続的な鎮静を考えます。

ただし、この鎮静が検討されるのは、先述したように余命数日以内が想定されるため、鎮静を行わなくても、意識がはっきりしたままとは限りません。

むしろ余命が数日の場合は、意識が混濁するのは当たり前にあることです。

鎮静をしないからと言って、そもそも正常のコミュニケーションが図れるとも限りません。そのため、むやみに鎮静を遠ざけると、苦痛は取れず、しかもそうやって我慢させているにもかかわらず(終末期に起こる身の置き所のない様態のため)ろくにコミュニケーションも図れない、という悲しい事態になることが想定されます。

コミュニケーションを取れなくなる、というと多くの方が構えてしまうと思いますが、大切な情報として、鎮静の有無を問わずに、人が死に至る過程では意識が混濁したり、せん妄という意識変容が起こったりして、コミュニケーションが難しくなるという事実を知っておかれると良いと考えます。

死の前の数日は、かくして、意識が混濁することも多いため、事前に有事の際を十分に相談しておくことの大切さが強調されているのです。アドバンスケアプランニング、昨年「人生会議」との愛称が名付けられましたが、そのような事前の話し合いが大切とされているのは、当の本人が、死期が迫ると意思表示が難しくなるという点からなのです。

緩和ケアが不十分だから鎮静になるという誤解

一方で、一部の専門家とも言える方から次のような発言が為されることがあります。

「提供されている緩和ケアが不十分なので、持続的な深い鎮静が必要となる。ちゃんとした緩和ケアをすれば、持続的な深い鎮静など必要ない」

拝見していると、在宅医療をされている医師の一部からこのような意見が時に出ている印象があります。そして、自施設では持続的な鎮静がいらない、していない、という言葉もセットです。

本当に、緩和ケアが不十分だから、鎮静が必要となるのでしょうか。

この問いに答える本は、『終末期の苦痛がなくならない時、何が選択できるのか』(医学書院。森田達也著)で日本の緩和ケアの第一人者によって書かれており、鎮静や安楽死を話題に挙げる識者にも全員読んでほしいと思う好著です。また一般の方でも読める難易度に収まっており、目を通して頂くと良いと考えます。

私は今も在宅医療に携わっていますが、結論から言えば、それは患者さんの層の違いです。

心身の苦痛が甚大な患者さんは、病院から在宅に帰るのが難しいため、基本的には在宅で生活している患者さんのほうが、相対的には苦痛が少ない患者さんの割合が増えるというものです。

もちろん私は、在宅の良さを知っていますから、「家で生活すること自体で、苦痛も軽減する」という要素があることを存じています。けれどもそれだけをもって、「家では鎮静が必要ではなくなる」「病院では緩和ケアが拙劣だから鎮静が多い」というのは、偏りがある意見であるとも感じます。

そもそも、この鎮静が積極的に話題になったのは、1990年代に、現在のがんの痛みの治療法の基本であるWHO方式の開発と普及を行った緩和ケアの第一人者であるVentafridda(1952-2008)が、「患者が亡くなる数日か数時間前に症状コントロールがつかなくなることは普通によくある」と論文で述べたことに端を発しています<Symptom prevalence and control during cancer patients' last days of life.>。

世界の緩和ケアを引っ張った人物が、「モルヒネなどの鎮痛薬治療を駆使しても、最後の数日は苦痛は取れないよね」と述べたことから、その時期にいかにして苦痛を緩和するかという話になったのです。いかに技を尽くしても、最後の数日は難しいがゆえに、鎮静という方法が発展してきたという経緯は重要です。

一方日本では、なぜか「在宅では鎮静するほどの苦痛は出ない」という言葉がしばしば使われます。

しかし世界的には、在宅でも鎮静が重要であることは指摘されています<Palliative sedation in patients with advanced cancer followed at home: a systematic review.>。

なお、世界の緩和ケアの第一人者を著者として今年出た鎮静に関する最新の文献<Reflections on palliative sedation>では、世界各国の持続的な深い鎮静の率は次のように示されています。

・英国   19%<2010年の論文>

・オランダ 18.3%<2015年の統計>

・ベルギー 12.0%<2013年の統計>

・スイス  25%<2013年の統計>

この論文では日本での緩和ケア病棟の施行率として、一施設のデータが示されていますが、それは1.39%と極めて低い結果<Effectiveness of multidisciplinary team conference on decision-making surrounding the application of continuous deep sedation for terminally ill cancer patients.>で、『終末期の苦痛がなくならない時、何が選択できるのか』では複数の施設の結果を統合して21%という結果が示されています。

概ね、緩和ケアの先進国と言われている国と大きく変わらないことがわかります。

もちろん高すぎるのも問題でしょうが、低いから一概に良いとは言えないでしょう(本当は必要な人までなんとか鎮静率を下げることでケアの質が高いということを示そうという価値観の存在もうかがわれるためです)。

オランダやスイスでは、多くの例で家庭医のもとに鎮静が行われています<Reflections on palliative sedation>。

そして、緩和ケアの先進国と目される英国でも19%程度の施行率があるのが持続鎮静です。

もちろん「意識を低下させないで苦痛緩和する」技術を尽くすことは大切です(私もそうしています)が、余命が数日となっても、「持続的鎮静=ケアの未熟さと同義」と捉えてそれを厭うと、結果的に苦しむ時間が増えてしまう方がいます。

そろそろ、過剰な鎮静率の低さを肯定的にアピールしたり、安楽死を結びつけたりすることや、在宅では鎮静が一切不要とのやや偏った言説が減ると良いのではないかと考えます。

まとめ

鎮静は、安楽死でも、緩和ケア技術が不十分だから行われるわけでもありません。

終末期の苦痛の程度は差があるため、鎮静がなくても穏やかな最期を迎えられる方もいますが、その真逆に、鎮静がないと穏やかな最期を迎えることが難しい方もいるため、鎮静を適切に施行してくれる医師にかかることが、いざ後者となった場合に厳しい最期となるのを避ける有効な手段となります。

がんの最終末期において重要な治療であり、それを適正に行ってくれる(病院及び在宅の)緩和ケアに習熟した医師にかかることが大切です。

生涯でがんにかかる確率は男性62%(2人に1人)で女性47%(2人に1人)という統計が示しているように、誰もがいつかがん患者あるいはその家族になる可能性があります。

鎮静は、知っておくと良い一つの情報と言えるでしょう。もちろん話題のアドバンスケアプランニングや人生会議を行う上でも、よく相談すべき事柄です。

正しい理解が広まることを願ってやみません。

緩和ケア医師

岐阜大学医学部卒業。緩和医療専門医。日本初の早期緩和ケア外来専業クリニック院長。早期からの緩和ケア全国相談『どこでも緩和』運営。2003年緩和ケアを開始し、2005年日本最年少の緩和ケア医となる。緩和ケアの普及を目指し2006年から執筆活動開始、著書累計65万部(『死ぬときに後悔すること25』他)。同年笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。ホスピス医、在宅医を経て2010年から東邦大学大森病院緩和ケアセンターに所属し緩和ケアセンター長を務め、2018年より現職。内科専門医、老年病専門医、消化器病専門医。YouTubeでも情報発信を行い、正しい医療情報の普及に努めている。

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