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令和の学校運営は「親」で決まる 保護者同士が話すことの大切さ

大塚玲子ライター
元PTA会長で、現在は放課後学習ボランティアに携わる今関明子さん(筆者撮影)

 保護者と学校の関係には何が必要か? というテーマで、いろんな識者に話を聞いてきましたが、今回は初めて保護者側の立場から、神戸市の公立小中学校でPTA会長やボランティア活動を続けてきた今関明子さんにインタビューをお願いしました。

 今関さんは約10年前、神戸市立本多聞中学校でPTA会長をしていたとき、「校長先生と保護者が定期的に話し合う場」を設定しました。その経緯や詳細は、当時の校長・福本靖先生(現・桃山台中学校校長)との共著『PTAのトリセツ』に記しています。

 筆者は今関さんと約5年前に知り合い、以来よく連絡を取り合っています。考え方が違うところもありますが、現場の保護者や先生たちを観察する今関さんの目の確かさに、いつも唸らされてきました。

 現在今関さんはPTAを離れ、地元の多聞の丘小学校で放課後学習ボランティアの会を立ち上げ、その取りまとめをしています。

 取材の前、彼女が筆者に送ってくれた要点のメモ書きに沿って、お話を聞かせてもらいました。(2021年11月取材/以下、囲みの部分はメモ書きより)

*親とは違う視点で子を見る先生への期待

友達関係、発育、学習。子どもは保護者にさまざまな悩みを提供してくれます。親は現状を理解し、先を見通したアドバイスを、先生たちに求めます。今の我が子に対するこの悩みは、よくあるパターンなのか、稀なケースなのか、静観していればいいのか、何か現状を変える必要があるのか。迷うし不安です。

――これは、たとえばどんなことですか?

 子どもっていろんなトラブルを起こして、親を悩ませてくれますよね。そういうときに「ああ、先生~」と親は学校に相談をする。そのときはやっぱり、友達や実家の親、パートナーなどに相談するのとは違う、客観的なアドバイスを求めるんですよね。自分の悩みが取り越し苦労なのか、騒ぎすぎなのか、それとも何か自分たちに問題があって真剣に考えないといけないことなのか。

――実際に、そういう経験がありましたか?

 私、次男が中学生のとき、アルコールランプの炎に興味本位で温度計を突っ込んだんです。ビーカーの水を火で温め、水に入れた温度計の温度が上がるのが面白くて、「火の中に温度計を直接入れたら、もっと早く上がるだろう」と思ったらしく。それで温度計がバーンって破裂して、すっごい怒られて。友達に飛ばなかったからよかったんですけれど。

 そのとき親の私もいろいろ言われたけれど、最後に「この年頃の子の好奇心としてはあるあるなことで、息子さんが初めてなわけじゃない」と言ってもらって、すごく救われて。私自身にはあり得ない行動で、内心「この子は大丈夫かな」みたいな、世の中から色がなくなってしまうような絶望のとき、先生がそう言ってくれたことで安心できた。

 もしそれを私の妹に相談しても、私と同じで絶句したろうし、母に言ったりしたら、もっと悲観的。やっぱり先生って頼もしいな、という経験があって。先生は毎日多様な子を見て、親より大きな視点があるので、アドバイザーとしての役割は大きいなと思いました。

――なるほど。学校への、割りとささやかな期待ですね。

 私、あまり多くは期待していなかったんです。基本的には、勉強をそこそこちゃんと教えてもらって、悪いことを怒ってくれたらいいや、ぐらいで、「こうしてほしい」とか思うことはあまりなく。

*子どもの話が先生の話と食い違うとき

今の学校はとても丁寧なので、その日のトラブルなどは親にも即座に報告してくれています。でも子どもが親に伝える言い分と食い違うと、信じてもらえないこともあります。子どもたちも、自分をかばうため、話を歪曲することはよくあるので(大人でもよくある!)。それを冷静に受け止め、我が子の言い分と先生からの報告をすり合わせて考え、食い違いを伝える親は理想です。

――これは保護者側に求められることですね。これも、今関さんの経験から?

 たとえば、長女が小学生のときのことです。娘はクラスの状況をよく見ていて、家でこと細かに「お母さん、今日こんなんがあってね」とか話してくれる。客観的な立場で聞くと、トラブルを起こした子と先生の説明の食い違いはよくありました。

 知っているお母さんから「うちの子、何にもしてないのに先生がいきなりこう言ったって、泣いてんねんけど」と言われたとき、娘に聞くと「でも、その前にこんなんがあって、あの子にあんなんしたから怒られてん」と時系列で状況がわかる。女の子は割りと、俯瞰(ふかん)して見ていたりするので。

――それを聞くと、当人と先生の話とのズレが見えてくると。

 見えてきます。たいがい子どもは必死で、怒られたら怖いから「私は悪くなかった」と親に報告する。それも当然のことで、昔なら親はそれを聞いて、わが子の話の矛盾を突いたり、よその親に「こんなん言うてるけど、ほんとだと思う?」とか確認をして、最終的に学校に電話していたのですが。

 最近はもう、子どもの話を聞いたらすぐ学校に「うちの子、いま泣いてます」みたいな電話をするパターンが増えてきたように感じるんです。私が相談を受けても、「もう学校にも電話したんですけどね」って、「え、もうしたんや」というような。だんだん親同士の、横のつながりも薄くなっているし、事実確認や、ひと呼吸置くことが減っているように見えます。

 その部分は、やっぱり先生たちもしんどいかなって。先に、親がほかの子や親の話をちょっとでも聞いてくれていればいいところ、ストーンと学校にこられたら、先生も事実の擦り合わせがし辛い。そのへんは最近特に、きつくなってるん違うかな、とは思いますよね。

――「え、そんな内容で学校に苦情が来るの!?」と驚くような話を、私も取材で聞くことはあります。

 先生に怒られたとか、傘が壊れたとか、「ジュース飲みたい」って言うたけど「駄目」と言われたとか、いろんなことですよね。親は最近、「子どもの権利を守ることが学校内でも必要だ」とか、マスコミを通して知り意識が変化していることに、日々忙しい先生方は気がつく機会がないのでは、と思います。「なんで急に白い下着の校則とか問題になったんやろ?」と、戸惑っている先生もいますし。一方で、「教室でジュース駄目」は、妥当だと思いますけど。

親と先生が思うことを遠慮なく伝え、やり取りして、立場を超えて見守る。そこに必要なのは、お互い相手の話に耳を傾ける尊重・信頼の気持ち。

――これは保護者と先生、両者に不足している部分でしょうか。たとえば今関さんの地元では以前、先生同士のいじめが発覚しましたが、保護者は動揺したのでは?

 私たち保護者は、教員採用試験の倍率が下がっているだの、各地での先生の不祥事だので、無意識に昔よりネガティブになっている面もあります。だから悪い噂を確認せずに「ほら、やっぱり」と、鵜呑みにしてしまったり。

 でも、もっと日常的に、保育園のお迎えのときの会話のように、とまではいかなくても、先生方と話す機会があれば、保護者も自分の感覚で判断できます。だから実際、私たちも驚いたけれど、自分の学校への不信感にはならなかったです。

*先生も保護者も互いを諦めないこと

学校や先生には「一つでも発言を間違えたら、えらいことになる」というトラウマがあるのでしょうか。それでも今の学校の状況を開示し続け、親の力、保護者の会やPTAなどの力を諦めず、面倒くさがらず、一緒にやっていく気持ちをもってほしいと思います。

――これは今関さんが取り組んできた「校長と保護者の話し合いの場」についてのメモですね。こういった取り組みが全国に広まるといいのですが、校長先生たちが及び腰で、なかなか広がらない状況を、今関さんはよく嘆いています。こんなふうに考えてほしい、ということですね。

 そうです。たとえばコロナ禍で「修学旅行をどうしよう、どの辺りまで行ったらいいか」というとき、先生たちだけで一生懸命考えても、生徒や保護者のニーズと違うかもしれない。「保護者に言うたところで、余計なことまで言われてうっとうしい」という先生もいると思うんですけれど、それでもやっぱり面倒がらずに、保護者が今何を思ってるかを聞いたほうが、うまくいかなくても、納得はしてもらえると思うんです。

 でもそれを、一本一本各家庭に電話をかけて聞くわけにはいかないので、まんべんなく親に聞けるような機会をもっておくこと。学校に言いたいことがある親が来られるよう、間口を広げておくことが大切です。それが、学校を代表して校長・教頭と、保護者の話し合いの場。

 これまで学校は、PTA会長さんや本部役員の4~5人だけに相談して、それを「保護者の声」としてきたけれど、それじゃダメで。そうじゃなく、保護者みんなの声を聞けるような仕組みが必要です。

――校長先生が、保護者との話し合いの場をもつことに及び腰になってしまうのは、ある種、諦めがあるんでしょうか。保護者との関係について。

 そう。保護者のなかにも「先生なんて、何言うてもあかんで」という人はいるし、先生にしても、「親に相談したらややこしいし、個人情報(プライバシー)の問題もあるから話せることには限界があるし、違う話まで蒸し返されるし」とかありがちですが。それでもやっぱり、面倒くさがらずにそういう場を設定することで、良いほうにまわると思います。私たちは良さを感じてきましたし、このやり方を採り入れた学校や親を見ていても、やっぱりそう思うので。

 令和の学校運営は「保護者のかかわり方で決まる」かも。いま一度、保護者の存在に気がついてほしい。子どもたちの多様性や、それを認めることは、特別なワガママではなく、時代の流れですよね。今の学校の仕組みや考え方を根本的に変えなければ不具合が出ます。

――子どもたちの多様性を認める、というのは、たとえば制服以外もOKにする、とか?

 そうそう、制服自体もそうやし、夏服や冬服の衣替えのタイミングもそう。体育会だって、盛大にやればみんなすごく喜ぶように思われてきたけれど、逆に「その体育会やったら行きたくない」という子もやっぱりいるわけです。学校はそういう多様な子どもがいることを、いろんな子の親の声を聞いて、わかってほしいと思います。

――子どもたちの多様な声やあり方を代弁する存在として、保護者の声に耳を傾けてほしい、ということですね。

 そうです。子どもが多様ということは、親の反応も多様。言い換えるなら、親も多様やから、その影響を受けた子どもも多様。親と子どもはやっぱり連動しているので、学校は子どものことを理解しなければいけないですけど、子の後ろにいる親と組むことで、子どものこともわかる。

*保護者同士が自分と異なる声を知る必要

――「いろんな保護者の声があることを、学校に知ってもらう」ことももちろん大事ですが、「保護者同士が、自分と違う保護者の意見を知ること」も必要だよね、みたいなことを我々は普段からよく話していますが、それってどうして大事なんですかね。

 私たちがめいめいに思っていることを学校にぶつけるだけでは、状況が見えないじゃないですか。たとえば「明日の調理実習で、魚料理します」というとき、「前の日に言われても用意できひんから困る」という人もいれば、「うちの子、魚嫌いやからやめてくれ」という人もいる。それを聞いて「え? 魚か肉かで文句言う?」と感じる人もいて、かといって肉料理になれば、「肉はうちの子が嫌いだから変えてくれ」という人がいるかもしれない。

 そういうことはやっぱり、保護者同士が話すことでわかる。ほかの人の声も聞いたら「あー、なるほど」って思う。それを学校に各々電話するだけじゃ、もうどんどん「自分だけが正しい。うちの子が困ってるから変えてくれ」になる。だから、「こんな1つのことを決めるにも、これだけ要望が出るねんな」ということを、みんなが知ることが大事なんやと思います。

――もちろん、保護者同士が話しても意見が1つにまとまるわけじゃないし、「最終的にどうするか」というのは、やっぱり学校がしっかり決めなければいけないんですけれど。でもやっぱり、保護者が自分と異なる意見を知っているのと知らないのでは……。

 結果の受け止め方が違うと思いますね。こんな意見もあるけれど、あんな意見もあったから、いろんな意見をまとめた結果こうなった、ということを保護者が知っていれば。

――そうすると、学校の判断に納得がしやすくなるんですかね。自分と違う、こういう考えの保護者もいたから、こういう判断に落ち着いたんだな、とわかる。

 そう、そう。だから学校は、この程度でとどまってるんだなとか、ぎりぎりで決めてくれたんだな、といったいきさつがわかる。「いい加減にポッと出した判断ではない」とを保護者に知ってもらうことは、学校にもすごくメリットはあると思います。

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今回のお話に関する筆者の考察は、月刊誌『教職研修』に執筆します。

ライター

主なテーマは「保護者と学校の関係(PTA等)」と「いろんな形の家族」。著書は『さよなら、理不尽PTA!』『ルポ 定形外家族』『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』ほか。共著は『子どもの人権をまもるために』など。ひとり親。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。ohj@ニフティドットコム

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