部活動にかかる費用がかさんで、各家庭の金銭・労力負担が増し、誰もが参加できるものではなくなっているのではないか。そう指摘する記事が、先日SNSなどで話題になりました。

 筆者も同感です。部活動や、それからスポ少も、同様の理由で参加をあきらめる子どもはよくいます。

 近年、部活動は「やりたくないのにやらされる」ことが問題になってきました。任意の位置付けなのに、全生徒が加入を求められたり、先生たちも強制的に顧問をさせられたりすることは確かに大問題ですが、同時に「やりたいのにやれない」子どもがいることも、同じくらい問題でしょう。

 付け加えると、経済的理由から部活動をあきらめた子どもの保護者が、他の子どもの部活費用を負担する事態も生じています。部活動の費用は多くの場合、部員から集める部費や、自治体の公的予算(少々)だけでは足りず、生徒会費やPTA会費、後援会費など、保護者から強制徴収されるお金でも賄われているからです(*1)。

 筆者も取材のなかで、家庭が負う経済的・労力的な負担のため、部活動やスポ少をあきらめた経験がある人に、何度も会ってきました。

 たとえば、ある20代の公務員の男性は、父親がパチンコの依存症だったため、幼いころから厳しい生活を強いられてきました。彼は小学生のとき参加した少年野球の監督やコーチに支えられてきたそうですが、中学や高校の部活は、お金がかかるのであきらめざるを得ませんでした。少年野球は、近所の子のおさがりの道具を譲り受ければなんとかなりましたが、部活となると交通費や部費などがかかり、母親のパートでは賄いきれなかったからです。

 また40代のある女性は、たびたび大家が家賃の督促に来る生活でも、なんとか部活を続けていましたが、試合はよく休んでいたといいます。交通費がかかるからです。強いチームだったため、遠征試合が多かったことも裏目に出ました。同様の状況で、退部を選択する子どもたちがいることは、想像にかたくありません。

 20代のある女性は、小学生のときに家庭の事情で母親がサッカーチームの手伝いをできなくなり、兄は大好きだったサッカーをやめざるを得なくなったそう。以来、兄はすっかり心を閉ざしてしまったということでした。

*困難な家庭の声は、他の保護者や先生に届かない

 そもそもなぜ、いまの部活は、これほどお金や労力がかかるのでしょうか。先の記事にも書かれていたように、最近はユニフォームだけでなく、揃いの練習着やバッグ等までつくるため、保護者が数万円の負担を求められるケースも珍しくありません。こういったお揃いグッズを導入するのは、顧問の先生の判断もあるでしょうが、同時に「保護者がそれを求める」という部分も大きいのではないかと思います。

 筆者自身も、子どもの学校等で感じてきたことですが、「(子どものことに)お金をかけたくない」というのは、保護者同士のなかでは言いづらいものです。「(子どものことに)お金をかけたい」というのは一般に「よい親」という評価をうけますが、逆は「子どものことに不熱心な、よくない親」とみなされます。(金銭負担を労働力で代替する場合も同様、またはもっと非難されます)

 それにそもそも、経済的に厳しい家庭の声は、ほかの保護者や先生には届きにくいのです。そういった家庭の子どもは、まず部活動に参加できないことが多いですし、もし参加していても、保護者は忙しくて保護者会や試合の応援に参加できないことが多いため、現場には「お金をかけたい」という保護者の声ばかり集まるのです。

 先日たまたま、各家庭の負担を増やすまいと「自腹で部員のユニフォーム一式を新調していた(ボーナスを十数万円投入)」という先生に会いました。正直なところ感動しましたが、でもこれをほかの先生に真似して欲しいとは、まったく思いません。

 保護者も先生も、部活動は「できるだけお金(労働力含む)をかけない」ということを、もっと前提に考えていけないものでしょうか。揃いの練習着がなくても、遠くまで試合に行かなくても、得られるものはたくさんあるのではないかと思います。

 昔と違って、いまは民間の習い事がいろいろあります(地域にもよりますが)。そのなかで敢えて、学校に部活が存在するのは、「家庭の状況にかかわらず誰でも参加できる」からだと思うのですが、その前提をもし捨てるなら、民間だけでよいのでは。

 今後、部活動が地域に移管される場合にも、この前提が失われないことを願います。そうでないなら、部活動を無理に残す必要はないのではないでしょうか。

  • *1 就学援助の費目は自治体によって異なります