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【卒業式】学校に「いらない」と言われても“謝辞”を続ける保護者の不思議

大塚玲子ライター
引き受け手がいないのならと、学校側が謝辞をなくす提案をしても…(写真:アフロ)

 全国で一斉休校の措置がとられるなか、卒業式も縮小、短縮されています。

 「来賓を呼ばない」「在校生は参加しない」といった参加者絞り込みのほか、「祝電披露(読み上げ)をやめ、代わりにプリントを掲示する」「PTA会長の挨拶をやめ、文書で配布 or メールで配信する」「保護者代表の謝辞をやめる」など、ご挨拶系の省略をよく耳にします。

 がっかりする人もいるのかもしれませんが、多くの出席者、特に式の主役である子どもたちにとっては、ありがたいことかもしれません。卒業式は、証書の授与だけでそれなりに時間がかかりますし(児童生徒数が多い学校はかなり長くなります)、この時期の体育館はよく冷えます。「もう少し時間を短くできないものか」と感じてきた人は、大人でも少なくないでしょう。

 今年は新型コロナウイルスの影響で縮小されましたが、逆に考えると、なぜこれまで卒業式は短縮できなかったのでしょう。複数の原因があると思いますが、来賓や保護者への遠慮や気遣いもあったと考えられます。学校行事ですから、式が長くなるのは学校都合に見えますが、じつはそうではない面も一部にはあるのです。

 筆者も以前、PTAのクラス役員が決まらない最大原因だった「卒業式のときの、6年保護者代表の謝辞」という慣習をなくしたのですが、このとき驚いたのは「謝辞をなくすことに反対してきたのは、当の保護者だった」という事実です。

 その小学校では毎年、6年の学年長が卒業式の際に「お着物で謝辞を読み上げる」という風習があり(PTA会長の挨拶はまた別にある)、そのために毎年6年学年長が決まらず、揉めていました。母親たちは「前に出て挨拶する役」を嫌がることが、とても多いのです(しかもお着物)。

 この年は私が6年学年長になり、洋服で謝辞を読むつもりでした。ですが、あるとき数名の保護者から「毎年、あれ(謝辞)のせいで役員決めが揉めるんだから、なくしたほうがいいよ」と言われ、「なるほど、そうだな」と根回しを始めた矢先、意外な事実を知りました。

 学校は以前から保護者に対し、謝辞をなくすことを打診していたのに、保護者のほうが断っていたというのです。「謝辞を言いたい保護者」がいないのに、「誰かに謝辞を言わせたい保護者」の声が優先されていたわけです。

 しかし、そもそも謝辞は学校へのお礼の言葉です。学校側が「不要(なしでお願いね)」と言っているのに、それをつっぱねてまで謝辞を言うのは、本当に感謝の気持ちなのか? よくわからなくなります。この年、やはり謝辞はやめることにしました。

 こんなケースは珍しいかと思ったのですが、その後たまに似たような話を聞きます。先日も、ある学校で同様の話(引き受け手のない挨拶の省略を打診された保護者側が拒絶)があったと聞いたのですが、ついに今年は、新型コロナウイルスの影響から省略することになったそうです。

 学校には、保護者や来賓(地域住民)の反発を恐れて変えられないこと、やめられないことが、じつはいろいろあるのですが、「震災などを機にようやくやめることができた」という話は、先生たちから割合よく聞きます。

 この春は新型コロナウイルスの流行で各方面に大変深刻な影響が出ていますが、意外なところで合理化を進める効果も生じています。使えるところは使っていってはどうでしょうか。

ライター

主なテーマは「保護者と学校の関係(PTA等)」と「いろんな形の家族」。著書は『さよなら、理不尽PTA!』『ルポ 定形外家族』『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』ほか。共著は『子どもの人権をまもるために』など。ひとり親。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。ohj@ニフティドットコム

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