子どもの事件後に強化される「保護者や地域の見守り」は、大人自身のためと捉えてはどうか

「子どもを守るため」という捉え方が強いためか、見守り活動では強制が起きやすい(写真:アフロ)

 移動中の保育園児らが犠牲となった自動車事故、スクールバスを待つ児童らが包丁で男に襲われた事件など、子どもたちが巻き込まれる悲しいニュースが続いた。

 こういったとき必ず「保護者や地域の見守りに力を入れよう」という声が上がる。今回の事故はどちらも「見守っていても防ぎようがなかった」という見方が大勢だが、それでもやはり「見守りの強化」というフレーズはよく目にした。

 だが実際のところ、見守り活動にどの程度「子どもを守る効果」があるのかははっきりしない。これまで活動に注力されてきた方が不快に思われたら申し訳ないが、効果を実証する調査結果を見たことがない。

 文部科学省の「学校安全の推進に関する計画に係る取組状況調査(平成27年度実績)」によると、「保護者、地区の人々 又はボランティア等による同伴又は見守り」を行っている小学校は全体の約9割(89.4%、17,895件)にのぼる。

 だが、この調査でわかるのはあくまで「取組状況」であり、見守り活動の「効果」ではない。証拠がなければ「効果がない」とも「ある」とも断言することはできないだろう。

 過去には見守り中の保護者による女児殺害事件も起きており、絶対的に「子どもを守るもの」とは、残念ながら言い切れない。

*大人自身のためと捉え、他人に強制しない

 ただし見守り活動には、直接的に子どもを守ることとは別の効果はあるように思う。たとえば、事件を聞いていたたまれない気持ちになった大人たちの気持ちを鎮めるような効果だ。

 震災で津波が起きたとき、筆者は子どもと鶴を折っていたのだが、この気持ちと似ているかもしれない。鶴を折って犠牲者が救われるわけではないが、手を動かしていると気持ちが紛れ、自分の気持ちを少し落ち着かせることができた。

 見守り活動も、何もせずにはいられない大人自身の心を落ち着かせるような側面が、じつは大きいのではないか。

 また見守り活動を通して、通学中の子どもたちの様子を知ることは、保護者として参考になる。筆者も以前見守り活動をしていた際、1、2人で登校する子どもより、大人数で登校する子どものほうが、注意力が散漫になる傾向があることに気付いた。

 だが現状、見守り活動は「子どもを守るため」という捉え方が強いためか、「他の保護者にも参加を強制する」ようなやり方をよく見かける。

 保護者のなかには、見守りを必要と思う人・思わない人、時間を取りやすい人・取りにくい人などいろいろいるのだが、それぞれの考えや都合は考慮せず、全家庭に当番を割り振るPTAや子ども会は多い。

 そのため、乳幼児を連れた保護者までが見守り活動に参加して、かえって危険を生むようなケースも散見する。

 見守り活動は、基本「大人自身のために行うもの」と捉えなおしてはどうだろうか。

 そうすれば強制ではなく、「個々の保護者の判断で参加・不参加を選ぶ形」にしやすい。

 見守りをしたいと思わない人が、したい人を無理に止めることはできないのと同様、見守りをしたい人が、したいと思わない人に強制することもできないということを、共通認識にしていきたい。

  • 余談だが、鶴折りでも強制は起きている。息子が名門野球部に在籍する知人の話では、部の保護者会で千羽鶴折りの「割り当て」が行われたという。言うまでもないが、鶴も折りたい人が折ればよいだろう