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「新テスト」記述式問題採点をベネッセグループが落札。1民間企業に頼り切りの大学入試改革でいいのか?

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
日本経済新聞(2019年8月31日朝刊)

8月30日、大学入試改革「新テスト」の記述式問題の採点業務をベネッセが落札したというニュースが話題になった。誰もが予想していたことであり、驚きはしないのだが、こうなることが半ばわかっていたからこそ「本当にこのまま改革を進めていいのか」と疑問の声が以前からあったのだ。

落札額は約61億6000万円と報道されている。その額が多いとみるか少ないとみるかはわからないが、問題はそこではない。

これで、記述式問題の採点、英語民間試験の実質的に数少ない選択肢の1つであるGTEC、今後大きな話題になるであろうeポートフォリオという、大学入試改革の目玉のすべてにベネッセが大きく関わることになる。大学入試改革受託業者と呼んでも過言ではない。

一方でベネッセは、全国の高校に模試や教材を営業している。大学入試改革の混乱のなかで、現場の教員たちは、もっともたしかな情報を握っているであろうベネッセの営業マンのいいなりになるしかない。「ベネッセの模試や教材を導入しないことで、生徒たちになんらかの不利益があってはいけないから」という理由でベネッセを選択せざるを得ないと嘆く地方公立高校の教員の証言はすでに複数ある。

今回の落札はリスクも大きいものだ。ベネッセにとって直接的においしい落札かというと必ずしもそうではない。大きな批判を浴びることが予測されるが、それでもやらざるを得ない状況なのだろう。むしろ丸投げされているようにも見える。それによって得られる特権的立場を悪用しようという意図も、少なくとも担当者レベルではないだろう。

でもその看板を背負った営業マンが全国の高校に模試や教材を売りつけに来るという構造は、独禁法的な観点からいびつではないだろうか。ベネッセが国のために一肌脱いで、大学入試改革に徹底的にコミットするというのならそれはそれでいい。ならば今後ベネッセは高校への営業活動を自粛してはいかがだろう。現実的にはそれは無理でも、ベネッセには企業として非常に高い倫理観が求められ、社会からは厳しい視線が注がれることになるだろう。

「明治以来の大改革」とまで喧伝されて始まった、国を挙げての大学入試改革が、結局1民間企業におんぶに抱っこの形で進められている現実を、われわれはどう受け止めればいいのだろうか。これは結局、大学入試制度の公設民営化の話だったというのか。

記述式問題導入の問題点については、ちょっと違う観点から、ちょうど塾業界誌「塾と教育」(9月号)に寄稿したところだった。当該号はまだ流通し始めたばかりであるが、編集部の許可を得て、転載する。

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共通テスト記述式問題は矛盾だらけ

2020年度に予定されている大学入試改革の迷走が止まらない。特に共通テストの記述式問題について、関係者からは逆ギレともとれる発言が相次いでいる。

第2回プレテストの結果報告が行われた翌日4月5日の朝日新聞には、中央教育審議会長として高大接続改革の議論を主導した安西祐一郎氏が「(記述式問題の)正答率が低いのであれば、それは問題が不適切だからではなく教育改革が進んでいないからだ」「受験生のほとんどが0点であっても問題を変えず、解けるようになるよう、授業を変えることを目指すべきだと思う」などと強弁し、学習者おきざりの制度改革観を露呈した。

記述式問題の自己採点が実際の得点と不一致を起こす問題については、大学入試センターの大杉住子前審議役が「自己採点自体が、思考力・判断力が必要な作業だ」とコメント。それが十分にある受験生なら、せいぜい100字程度の記述式問題などわざわざ解かせなくてもいいはずだ。「自己採点制度自体に無理がある」という苦しい本音が垣間見える。

いずれの発言も「それを言っちゃあ、おしまいよ」という話である。

7月4日、入試本番で学生アルバイトが記述式問題の採点に当たる可能性があることがわかり大きな批判の的となった。7月12日には数学の記述式問題に関しては、当面数式だけの解答とすることが報道された。

時を遡ること2016年2月29日には、文部科学大臣補佐官(当時)の鈴木寛氏がダイヤモンド・オンラインに「大学入試の『記述式導入』批判にモノ申す」という記事を掲載している。

記事のなかで鈴木氏は「日本を除くすべての先進国では、入学者選抜にエッセイライティングの能力が求められています」と主張するが、エッセイライティングが求められるのは個別の大学の選抜においてである。

アメリカの「共通テスト」にあたるSATやACTにも「エッセイ」があるが、2018年ハーバード大学は入学者選抜にSATやACTのエッセイを要求しないことを発表した。「SATやACTのような標準テストのエッセイに意味がないことがわかった」という理由だ。アメリカ難関大学のうち、コロンビア大学、コーネル大学、MIT、ペンシルバニア大学はハーバード大学より以前に、エッセイの要件を撤回していた。

同じ記事のなかで鈴木氏は、記述式問題の導入にはコストがかかることを認めたうえで「人工知能研究にしっかり投資して、日本語処理能力を飛躍的に向上させれば、採点の手間も劇的に改善するでしょう」と述べている。が、ちょっと待ってほしい。巷では「AIにはできないことができる人間を育てなければいけない」といわれているにもかかわらず、AIに認められる人間かどうかが大学入試合否の基準となり、そのための授業が高校で行われるようになるのだとすれば、大いなる矛盾である。

はじめからボタンは掛け違っていたわけである。

※後半は塾業界誌『塾と教育』(9月号)に寄稿した文章を転載しています。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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