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「無意識の差別」をなくすためフェイスブック社が実施・無料提供する「ダイバーシティ研修」の中身

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
イメージ(写真:アフロ)

「客観的に見て正当な評価」を歪める無意識の「バイアス」

 イギリスの公共放送BBCで、女性の中国編集長が同僚男性との報酬格差を「差別」と抗議し、辞任。それにともない高額報酬を受けていた著名な司会者ら男性6人が自主的に減額を申し出た。この件は英国議会の委員会でも取り上げられたが、BBCは「差別には当たらない」と主張している。

 日本においても男女の賃金格差は顕著だ。グローバル・ジェンダー・ギャップ指数において日本が低順位であることは周知のこと。順位は母数となる国数によっても変わってしまうので、純粋な指数がどのように推移しているのかをグラフにまとめた。指数が1に近いほど男女の差が少ないことを表す。2013年から2015年にかけて改善が見られたが、2016年、2017年と悪化している。

※World Economic Forumのサイトを元に作成
※World Economic Forumのサイトを元に作成

 「正当な評価のもとに生じた賃金格差」なのか「性差別」なのか、一概にはいえないが、「客観的に見て正当な評価」そのものが無意識の性差別によって歪められている可能性があることは指摘しておかなければならないだろう。BBCのケースに限らず、日本社会の中にも同様の歪みがきっとある。

 ひとは誰でも、まったく悪気なく、まったくの無意識で、差別してしまっていることがある。これを「バイアス」と呼ぶ。ピンクの色眼鏡でピンクの壁を見ると、その壁がピンクであることに気付けないのと同じように、社会全体に当たり前のように差別が存在していると、客観的な評価自体がその差別を前提にしてしまっていることがあるのだ。

 たとえばいつも怒りっぽいひとが少々荒っぽい言葉遣いをしても誰も気にしない。しかしいつもは穏やかな口調のひとが同様に少々荒っぽい言葉遣いをすると、まわりをびっくりさせてしまう。「前提」が違うからである。これと同じ理屈で、部下へのフィードバックとして同じ言葉を同じように言っても、男性上司に言われるよりも女性上司に言われるほうが「きつい言い方」と受け取られることが多いという研究結果がある。これも意図しない悪気もない無意識の差別といえる。

 前提として、「バイアス」は必ずしも悪いものではない。ものごとをパターン認識することで思考の無駄が省ける。しかしそれが差別につながってしまうのはまずい。性差はもちろん、人種、国籍、宗教、外見などさまざまな事柄に関して「バイアス」は存在する。

 ひとであれば誰でもがもっている「バイアス」に自覚的になるための研修を、世界の全社員に強く推奨しているグローバル企業がある。ソーシャルプラットフォームのFacebook(以下、フェイスブック)だ。フェイスブックは、世界中で21億人・Instagramでは8億アカウントが使用されている。そのサービスを提供する側の人間が性別・国籍・宗教・年齢などを問わず多様な人材を採用し様々な意見を取り入れるため、「バイアス」に自覚的でなければならないことはいうまでもない。

 さらに、多様性を担保することで、企業としてのパフォーマンスを向上する目的もある。研修では、「実力主義だと思っている人物や組織ほど成果を出せないという調査結果もある。バイアスに気付けていないとそれに対して何もできないからである」とメッセージを発する。研修の様子やバイアスの存在に関するエビデンスの出所は下記サイトで見ることができる。

・Managing Bias  https://managingbias.fb.com

 リアルな研修に参加できない場合、フェイスブックではe-learningの形式で研修を受けることもできる。そしてその研修プログラムを、無料で他社にも提供している。「ありとあらゆる職場に介在しがちな無意識のバイアスに気づきを与えられればいいという思いから」とフェイスブックジャパン広報の下村祐貴子さん。実際にe-learningの研修プログラムを見せてもらった。

 研修では、さまざまな学術研究の結果を引用しながら、4種類のバイアスを主に取り扱う。「パフォーマンス・バイアス」「パフォーマンス・アトリビューション・バイアス」「コンピタンス/ライカビリティ・トレードオフ・バイアス」「マターナル・バイアス」である。研修の内容を一部抜粋して紹介する。

男女で同じ仕事をしても男性の貢献度のほうが高く評価される

 「パフォーマンス・バイアス」とは、成果を評価する際に生じやすいバイアス。

たとえば、履歴書ベースでは、男性的な名前だと雇われる確率が79%なのに女性的な名前だとそれが49%に下がる。人種についても似たようなバイアスがある。同じく、白人的な名前は黒人的な名前よりも5割も多く面接のチャンスが得られることがわかっているのだ。これは8年分の経験に相当する差である。そもそも機会が平等ではなく、評価も平等ではない。白人や男性は能力を見込まれて雇用されたり昇進したりするが、黒人や女性は実績が求められるともいう。

 「パフォーマンス・アトリビューション・バイアス」とは、仕事の貢献度に対するバイアス。たとえば、男女で同じ仕事をしても男性の貢献度のほうが高く評価され、女性は失敗を責められやすい傾向がある。また、男性の成功は実力やリーダーシップと認められやすいが、女性の成功は他人の援助、幸運、ハードワークのおかげだとされやすい。これにより女性の自己評価が下がるという2次的悪影響も生じる。会議などで一部のひとの意見ばかりが採用される背景にもこのバイアスの影響があるかもしれないという。

 「コンピタンス/ライカビリティ・トレードオフ・バイアス」は、「能力が高い女性は嫌われる」という、にべもないバイアスである。女性のリーダーが「効果的」と見なされるのは、そのリーダーがマネジメントに女性的な面を活かしている場合のみであるという研究結果もある。要するに、女性は職場において、女性としての好感をもたれながら男性以上の結果も出さなければならない状況にある。それが雇用にも昇進にも交渉にも影響を与え、強力なリーダーシップを示すことを難しくし、結果、組織内の雑用的仕事をやらせてしまうことにもつながる。

 女性管理職に対する「あの人は攻撃的だ」「おしつけがましい」「わがままだ」というような評価も、もしかしたら「女性は控えめであるべきだ」というバイアスの裏返しに過ぎないのかもしれないのだ。

 コンピタンス/ライカビリティ・トレードオフ・バイアスに関する有名な研究結果が、コロンビア大学ビジネススクールのフランク・フリン教授とニューヨーク大学のキャメロン・アンダーソン教授が2003年に行った実験である。実在する女性ベンチャー・キャピタリストのハイディ・ロイゼンの「強烈な個性の持ち主で……幅広い人脈を活用して成功した」という物語を、2つのグループの学生に読ませた。ただし片方のグループには「ハイディ」の名前を「ハワード」という男性名に変えて読ませた。すると学生たちは、ハイディとハワードの能力に対して同じように敬意を払ったにもかかわらず、「ハイディは自己主張が激しく自分勝手」であるとして、同僚としてはハワードのほうを好ましいと見なしたのである。

 「マターナル・バイアス」は、母親や母親になろうとする女性へのバイアスだ。たとえば、PTAに加入している母親は79%も雇われにくい。50%昇進しにくい。11000ドルも給料が下がるという研究結果がある。母親は良き労働者にはなれないという強い思い込みがあるのだ。母親になる可能性がバイアスにつながることもある。「母親はかくあるべき」というイメージが多くの人の無意識の中にあるため、それに反する言動をする母親には強い反発が起こりやすい。これがパフォーマンス・バイアスやコンピタンス/ライカビリティ・トレードオフ・バイアスと融合すると、母親であることが成果に対するバイアスや好感に対するバイアスにもつながってしまう。

 フェイスブックでは、社員にこれらのバイアスの存在を認識させたうえで、次のように訴えかける。現代社会を生きる誰もが心にとめておくべき教訓ではないだろうか。

●自分のバイアスに自覚的になる

・自分の第一印象と反応を疑う

・自分たちは客観的だと思っている人や組織ほど強いバイアスを抱えがちなことを忘れてはいけない

●バイアスに自覚的な会社をつくる

・バイアスを告白することを応援する

・バイアスを指摘されることにオープンになる

・不適切なことをしたら謝る

・このトレーニングを受けるように促す

「バイアス」を攻撃するのではなく積極的に認める社会へ

 広報部の下村さんもこの研修を受けた。「まったく同じことをチームにフィードバックをする男性と女性の動画を見て、どういう印象を受けるかを聞かれます。そこで多くの答えとして出てくるのが、まったく同じフィードバックなのに女性のほうがきつい印象があるというものです。それは気づかないうちのバイアスだという気付きがあります。また小さいお子さんがいるワーキングマザーや車椅子の男性に、上司が気遣いの延長で、新しい仕事をアサインしなかったり、出張を伴うプレゼンの機会を提供しない、という場面があります。でももしかしたらそのワーキングマザーの部下や車椅子の男性はまかせてほしい、チャレンジしたいと思っているかもしれない。どんな状況下であっても確認することが大事だという気付きがありました。フェイスブックという会社にも強いカルチャーがあり、"カルチャーにフィットするか"という観点でリクルーティングすると、無意識のバイアスによって自分たちと同じようなひとばかりを選ぶことになるかもしれない危険性があることにも気付きました」。

 バイアスの存在を認識したからといって、「こうすればバイアスを補正できる」というような便利な方法論はない。ひとりひとりが自分の中にあるバイアスをできるだけ自覚しようと意識するのと同時に、チーム内での相互のチェックが重要になる。自分がバイアスを補正できないままひとを評価していたことに気付いたのならすぐに改め、できることなら謝罪する。またほかの誰かがバイアスに基づいて何らかの判断をしている可能性に気付いたら、それがバイアスを基にしたことではないかを確認する。そういうムードをチームの中につくることが重要である。「研修を受けたからといってすぐにバイアスフリーな人間になれるわけではありません。しかしチームのみんなが研修を受けていると、バイアスをなくしていこうとするムードをつくりやすくなります。『もしかしてこれってバイアス?』と思ったときに率直に言葉にして共有する前提ができます」(下村さん)。

 研修用の資料の最後には次のようなエビデンスが示されている。

●多様で包括的な組織は……

・1.12倍自主的な努力をする

・1.19倍その組織に残りたいと思われる

・1.57倍チームの協働が増える

・1.42倍チームに対するコミットメントが増す

●多様性豊かなリーダーがいる企業の社員は……

・1.6倍自分のアイディアが発展したり認められたりしたと感じている

・1.75倍自分のイノベーションが実行されたと感じている

・過去1年で1.7倍も新しい市場を得ることができたと感じている

・過去1年で1.45倍も市場シェアを向上させることができたと感じている

 ただし気をつけてほしい。これらのエビデンスはダイバーシティを推進した「結果」であって、「だから、バイアスをなくしたり、ダイバーシティを大切にしたりすべき」と訴えるための「目的」ではない。仮に企業の運営や業績にメリットが目には見えなくても、差別的なバイアスはなくすべきものである。

 企業やチーム内だけの話ではない。現在のネット社会では、とかく自分と似た者同士で集いやすく、場合によっては、異質な者たちを容赦なく攻撃するケースも散見される。それが無意識のバイアスを際限なく強化し、社会の分断を深めている可能性も否めない。

 バイアスは誰もがもっている。完全に手放すことなどあり得ない。だからこそ、バイアスに基づいた言動をしてしまうこと自体を悪いことだとするのではなく、むしろバイアスを積極的に認め改めることを良いことだとするムードを社会全体として醸成すべきではないだろうか。

 であるならば、自分のバイアスに自覚的になろうとするのはもちろんのこと、他人のバイアスに気付いたときにもむげにそれを否定し攻撃すべきではない。「悪気はないと思いますが……」と思いやりと敬意をもってそれを指摘し、「攻撃はしないから」という安心感のもとに、バイアスを認め手放す勇気を促すことを、指摘する側も心がけたい。過度に攻撃的な指摘は、それがいくら正論であったとしても、バイアスの存在を積極的に認め改めようとするムードを萎縮させかねない。

 ひとは誰でも、自分だけの視点からは見えない部分をもっている。だからこそ、お互いにお互いの盲点を補い合って、それを感謝し合う関係性をつくれたら、世の中はちょっぴり明るく優しくなるはずだ。お互いの弱さ、未熟さ、不完全さを補うこと。それが多様性の本質であり、だからこそそれぞれ違う個が相互に愛おしく有り難い存在になれるのではないだろうか。

※フェイスブック社の「Managing Bias研修」に関する問い合わせ先:press@fb.com

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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