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東大至上主義を批判する一方で、東大合格者減少を揶揄する世の中の矛盾

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
(ペイレスイメージズ/アフロ)

日本の受験社会に対するアンチテーゼ

世界大学ランキングで東大の順位がまた落ちたということが話題になっている。大学としてはこれを健康診断だと思って、どこか悪いところがないかこの機会に自己点検をすべきだとは思うが、一般の人たちにはさほど関係のないことだ。それでもみんなが話題にする。「たかが東大、されど我らが東大」というわけだ。

旧態依然とした「東大至上主義」に対する批判がある一方で、東大合格者が減った学校を揶揄する風潮もある。矛盾だ。東大を巡るダブルバインドメッセージだ。これぞ日本の教育を規定する「東大の呪縛」である。

そのジレンマの中で、恐ろしいほどのマイペースさで独特の教育哲学を守り続ける学校がある。私立・武蔵高等学校中学校(以下、武蔵)だ。

今でこそいろいろなところで「自ら調べ自ら考える=自調自考」という言葉が理想の学習者の姿として使用されるが、これは武蔵が創立当初の大正時代から掲げる理想であり、武蔵が本家本元である。

武蔵という学校はちょっと変わっている。超進学校でありながら、日本の受験社会、学歴社会、塾歴社会に対するアンチテーゼのような教育を実践している。拙著『名門校「武蔵」で教える 東大合格より大事なこと』(集英社新書)を最初の10ページだけでもご覧いただければ、いまどき「こんな学校があるのか!?」とびっくりするはずだ。

高2の現代文ではクラスを2分割して少人数でのゼミ形式授業を行う。基本文献となる長編小説を読んだり、評論を読んだりしたうえで、そこから先は生徒自身が参考図書を見つけ、調べ、レポートにまとめる。

「本物に触れる教育」も特徴。理科では実験に多くの時間を割き、毎回レポートを提出させる。理科実験室はたくさんあるが、置かれている器具は古めかしい。あえて最新機器は置かないことにしている。

最新機器を使えば実験結果は簡単に得られる。電卓を使って計算をするようなものだ。しかし電卓だけを使っている限り、計算の原理原則はいつまでたっても理解できない。同様に、武蔵の理科実験ではあえて古めかしい原始的な実験道具を組み合わせて実験することで、原理原則を理解することを旨としているのだ。

教科の枠を越えた授業の数々

「総合的な学習の時間」を利用した「総合講座」では、毎年20以上の講座の中から生徒が自分の興味にあうものを選択する。過去には北海道に漁業・農業実習、沖縄での農業実習にに行ったこともある。過去には「ピア・カウンセリング」「数学の基礎を学ぶ」「『標本庫』学」」「八王子稲作実習」「フィールドワーク入門」「修繕部」「マーラー」「幼稚園で学ぶ」など多彩な講座が用意された。「総合講座」の一環として、学内にやぎもいる。

平常授業でも頻繁に教科の枠組みを越える。たとえば音楽の授業では、歌舞伎とオペラが生まれた時代背景を調べる宿題が出されたこともある。シューベルトの「菩提樹」の曲に合わせて作詞をさせたこともある。音楽から歴史へ国語へ思想史へと、教科の壁を越えるのだ。

世界に目を向けた教育も創立以来の伝統。高校の英語の授業ではネイティブ・スピーカーが担当する授業の中で、スピーチ、演劇、アカデミック・ライティングなどを教える。

中3からは第二外国語が必修だ。ドイツ語、フランス語、中国語、韓国朝鮮語から選択する。高2の終わりから高3のはじめにかけて、第二外国語の成績優秀者には国外研修制度の機会が与えられる。ドイツ、オーストリア、フランス、中国、韓国へそれぞれ約2カ月間留学する。もう30年ほど前から続く制度である。

世間の中高一貫校生の多くは大学受験勉強体制に突入している時期である。大学受験のことだけを考えればマイナスだ。しかし国外研修は単なる語学研修ではなく、武蔵で学んだことのすべてを、世界を舞台に試してみる機会なので、これが1年早かったら意味をなさない。これでも早すぎるくらいだというのだ。

また海外からの短期留学生も受け入れる。生徒たちの家庭にホームステイする。それが刺激になって、第二外国語を一生懸命学んだり、自分も国外研修に行きたいと思うようになったりする生徒も多い。

「何が何でも東大」という生徒は少ない

武蔵の6年間ではこのように多種多様な本物の刺激が得られる。結果、進学先には文系・理系の偏りがない。文系・理系それぞれの中でも、さらに各分野にバランスよくきれいに分かれる。「何が何でも東大」という生徒はそれほど多くない。世の中の価値観に迎合するのではなく、自分の価値観で判断できる生徒が育っているとも言える。

自ら調べ自ら考えるための教育を行った結果、子供たちが東大至上主義の呪縛から自由になり東大進学者が減ったのなら、その学校は堂々と教育の成果を誇ればいい。それができる学校こそ、日本の教育の未来を変える学校ではないだろうか。

現在「高大接続」「大学入試改革」などの議論が盛んだ。その中で、「知識偏重」から「知識活用」へ、レクチャー型授業からアクティブ・ラーニングへ、教科指導から教科の枠組みを越える指導へ、企業戦士育成からグローバル人材育成へと教育の方向性も大きく舵を切ろうとしている。しかし武蔵では創立当初からそのような教育を行っていたのだ。

「大学入試や学力観が大きく変わろうとしている。これからは子供にどんな教育環境を与えればいいのか」と質問されることがよくある。武蔵の教育がそのロールモデルの1つになるだろうと私は思う。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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