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美空ひばり最後の出演、2部構成の導入…節目の『紅白』でこれまでなにがあった? 70回を機に振り返る

太田省一社会学者
(写真:アフロ)

 1951年に始まり、今年でちょうど第70回を迎える『NHK紅白歌合戦』(以下、『紅白』と表記)。そう思って第10回、第20回…といったほかの節目の『紅白』はどうだったか?と調べてみると、エポックメーキングなことが色々と起こっています。そこでこの機会に、出場歌手・アーティストだけでなく、番組の演出や構成にも注目して節目の『紅白』の歴史を振り返ってみたいと思います。

第10回(1959年) 視聴率記録なし ※ビデオリサーチによる視聴率調査は1962年から

 この頃には『紅白』はすでに絶大な人気を誇る番組となり、「国民的番組」への道を着々と歩んでいました。その背景には、テレビの急速な普及がありました。この年の皇太子ご成婚パレードの中継がそのきっかけのひとつになったことは、よく知られるとおりです。

 忘れるわけにいかないのは、この年日本レコード大賞が始まったことです。第1回の大賞受賞曲は水原弘の「黒い花びら」で、『紅白』でも歌われました。しかし日本レコード大賞の知名度はまだ低く、賞の権威も高くはありませんでした。

第20回(1969年) 視聴率69.7%(ビデオリサーチ調べ。関東地区。以下同様)

 その流れに変化が起こるのが、1969年です。日本レコード大賞の発表が大晦日に移り、しかもその様子がテレビで全国に夜の7時から9時まで生中継されるようになったことで夜9時からの『紅白』との連動が生まれ、一気に注目が高まりました。視聴率も上昇、50%を超えるまでになっていきます。

 ちょうど『紅白』は、この年が第20回。このあたりから、『紅白』にも趣向を凝らした演出が増えてきます。歌合戦が中心であることは変わりませんが、ショー的演出も目立つようになってきます。

 たとえばこの年、アポロ11号の人類初の月面着陸が大きなニュースになりました。そこで『紅白』ではアポロとヒューストンの基地との交信テープを流し、そのときの同時通訳の様子を実際に通訳した本人が再現しました。近年の『紅白』では企画性や演出の比重が高まっているように見えますが、その始まりとも言えます。

 また、この年の『紅白』では、第20回ということでその年のヒット曲ではなく、西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」(1960年発売)や梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」(1963年発売)のように多くの歌手が代表曲を歌いました。これなどは、現在の『紅白』に見られる定番曲を各歌手が歌うスタイルの先駆けと言えるかもしれません。

第30回(1979年) 視聴率77.0%

 この年は、やはりまず美空ひばりの出演にふれるべきでしょう。戦後の大スターである美空ひばりは、家族の不祥事などがあり『紅白』に出なくなっていました。その美空が第30回記念ということで白組の藤山一郎とともに特別出演し、3曲メドレーを披露したのです。

 そのステージは圧巻でしたが、結局彼女の最後の『紅白』出演になりました。今年の『紅白』では、最新のAI技術によってよみがえった美空ひばりが“新曲”を歌う特別企画が予定されています。いわば40年ぶりの登場というわけです。斬新な企画ですが、近年の『紅白』は最先端のテクノロジーを使った演出に力を入れていることもあり、各世代でどのような反響があるのか注目であることは間違いありません。

 一方この第30回には、サザンオールスターズが初出場し「いとしのエリー」を歌っています。ほかにもさだまさしやゴダイゴなどが初出場。フォークやロックといった歌謡曲以外の分野からの出場歌手が目立つ年、世の中の音楽的嗜好の変化がはっきり表れた年でもありました。

 あと、この年は紅組が勝つのですが、その瞬間に紅組司会の水前寺清子が紅組歌手たちによって胴上げされる番組史上初のシーンもありました。生放送ならではのハプニングでしたが、近年は少し薄れた感もある勝敗へのこだわりが強烈だった時代の雰囲気が垣間見えます。

第40回(1989年) 視聴率 第1部38.5% 第2部47.0%

 この年から、『紅白』は2部構成になります。1989年は平成元年でもあり、第2部の従来通りの紅白とは別に、第1部で戦後昭和史を歌と証言でたどる「昭和の紅白」が企画されたからです。

 実はこのとき、当時のNHK会長が『紅白』に幕を引きたい意向を公にしていました。メディアもそれを受けて、この年が最後の『紅白』になるのでは、と騒ぎました。しかし、視聴者から『紅白』継続の要望が数多く寄せられ、初の2部構成も好評であったために、結局『紅白』は2部構成の番組として存続し、現在に至ります。

 2部構成が好評だった理由のひとつとしては、特に第1部で劇的な“復活”があったことがあると考えられます。

 この日、1984年に『紅白』のステージ上で引退した都はるみが1日だけの復活をしたかと思えば、ピンク・レディーやザ・タイガースが再結成して往年のヒット曲メドレーを歌いました。まったく同じでというわけではありませんが、近年の『紅白』でもその日限定のスペシャルメドレーやスペシャルバージョンを披露するパターンが増えています。そうした“スペシャル感”を重視する演出の原点と言えるかもしれません。

第50回(1999年) 視聴率 第1部45.8% 第2部50.8%

 この年は、50回という節目に加えて世紀の変わり目というもうひとつの大きな節目が重なりました。

 そのことを受けてNHKは、事前に「21世紀に伝えたい歌」というアンケート調査を実施しています。その第1位が美空ひばり「川の流れのように」。このときは天童よしみが同曲を歌いました。

 またスティービー・ワンダーが作詞・作曲し、さだまさしが日本語詞をつけたオリジナルソング「21世紀の君たちへ〜A Song For Children」も放送中に歌われました。これなどは、今年日本レコード大賞を受賞し、『紅白』にも初出場するFoorinが歌う「パプリカ」(「〈NHK〉2020応援ソングプロジェクト」から生まれた応援ソング)を思い出させるものがあります。

 さらにこの頃女子高生などに圧倒的な人気を誇った浜崎あゆみが初出場し、「Boys & Girls」を披露しています。彼女は宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoらと同じ1998年デビュー組ですが、そのひとりであるMISIAが今年紅組のトリを務めるのも時代の流れを感じさせます。

 あとひとつエピソードとして付け加えれば、この年は白組優勝だったのですが、その際白組司会を務めた中村勘九郎(後の18代目中村勘三郎)が1979年の水前寺清子と同じく胴上げされています。

第60回(2009年) 視聴率 前半37.1% 後半40.8%

 嵐の初出場がこの年で、デビュー曲「A・RA・SHI」を含めたスペシャルメドレーを披露しています。ほかにNYC boysも初出場。1994年以来、ジャニーズ事務所からはSMAPとTOKIOの2組というのが基本でしたが、この年は4組になりました。白組司会が中居正広、さらにマイケル・ジャクソンの追悼企画でSMAPが中心にパフォーマンスしたこともあり、ジャニーズの印象が一段と強まった年と言えます。

 またそれまで『紅白』に出なかった大物アーティストのひとり、矢沢永吉が出演したのも大きな話題になりました。しかも事前の予告のない「サプライズ出演」で、この手法は2014年のサザンオールスターズの31年ぶりの『紅白』出演でも使われました。昨年松任谷由実がメドレーの途中でいきなりNHKホールに登場して驚かせたのも同様です。

 あと気づくのは、このくらいからネット動画やアニメなどの存在感が増してきたことです。

 この年、スーザン・ボイルが特別出演しています。よく知られているように、彼女はイギリスのオーディション番組に出演し、一躍注目を浴びました。とりわけ彼女の歌が世界中で有名になったのは、YouTubeにそのときの様子がアップされて約1億回の視聴回数を記録したからでした。その点、昨年初出場して大きな反響を呼び、今年も登場することが発表された米津玄師に代表されるように、ネット動画からヒット曲が生まれる近年の構図に通じるものがあります。

 水樹奈々が声優として初めて『紅白』出場を果たしたのもこの年でした。当日は、テレビアニメのオープニングソングである「深愛」を披露しています。最近の『紅白』では、アニメやゲーム関連の歌手・アーティストの出場(出演)はもはや珍しいことではありませんが、そのパイオニアということになるでしょう。

 こうしてみると、過去の節目の回にはいまの『紅白』につながるさまざまなものの起点があったことがわかります。そうしたことも少し頭の片隅に置いて今年の『紅白』を見てもらえれば、また違う楽しさもあるのではないかと思います。

社会学者

社会学者、文筆家。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。それを踏まえ、現在はテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、歌番組、ドラマなどについて執筆活動を続けている。著書として、『水谷豊論』(青土社)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)などがある。

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