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過熱する東京五輪開催を巡る議論 見過ごされるジレンマと避けるべき暴発

大島和人スポーツライター
トーマス・バッハIOC会長(写真:ロイター/アフロ)

開幕まで2ヶ月を切る

東京オリンピックの開幕日、7月23日まで2ヶ月を切った。日本の世論は明らかに開催反対に傾き、メディアの“盛り上げ報道”もほとんど見ない。そしてネガティブな発信が、ポジティブな発信を大きく上回っている。

3月20日に「海外からの一般観客受け入れ断念」が決定されている。観客数をどれくらい絞るか、そもそも有観客で開催するかどうか、まだ結論が出ていない。加えて仮に大会を中止・延期するなら判断を急ぐ必要がある。

大会の強行を危惧する声もある。しかしあれほど規模の大きな国際的イベントとなれば強行で済まない要素が多い。

選手とメディアをどう遇するのか?

単純に選手がいなければ五輪は開けない。膨大な運営スタッフの確保や、機材を調達・輸送・設営するロジスティクス(物流)も、平時でさえ大変なオペレーションだ。大会には選手の誘導、記録、ドーピング検査と膨大な実務があり、間違いは許されない。そして今回は入国後の隔離、PCR検査、行動確認といった別の手間も加わる。

ベストを尽くそうとする選手たちから、練習や滞在の環境について様々な要求も出るだろう。日本側のスタッフはそういった個別の課題と向き合い、対応しなければいけない。

選手以上に面倒なのはメディアの扱いだ。規律正しく従順な日本メディアなら「定められたエリア外での取材はご遠慮ください」というような申し入れに従い、逸脱行動を起こさないだろう。一方で取材するなと言われたら逆に頑張るのが世界のジャーナリスト。街に出て市民の生の声を聞き、宿舎で関係者を直撃……といった取材があるかもしれない。

開催を脅かす“現実の壁”

国際オリンピック委員会(IOC)を始めとする世界中の競技団体を大きく支える収入が、アメリカのテレビ放送ネットワーク「NBC」が支払う放映権料だ。仮に中継クルーが入国できない、入国できても放送の体制を整えられない結末になればどうだろう?オリンピック・ムーブメントを大きく支える放映権料収入が消え、IOCの存続に直結する事態となる。

五輪、サッカーやラグビーのワールドカップ(W杯)といったビッグイベントは、平時であってもスタッフが激務に追われる。今回は準備が満足にできず、直前に色んな前提条件が変わり、しかも通常の大会よりも作業量が多い。

開催中止を求める主張は「医療への影響」「国民の安全」というような切り口からされるものが多い。ただそこを敢えて無視したとしても、オリンピックとパラリンピックの開催に向けた現実の壁は極めて高い。

無視するべきでないIOCの功

個人的に「五輪のあり方を問う」といった主張に与するつもりはない。確かにIOCの契約は組織委員会、開催都市に対して過酷な内容で、アンフェアにも思える。彼らが我々に利だけを及ぼす存在かといえば違う。しかし筆者はスポーツ、オリンピック・ムーブメントを通した国際交流がこの世界における「最大多数の最大幸福」につながる活動だと信じている。

IOCは見方を変えれば「世界の大企業からお金を吸い上げ、弱者にそれを流す組織」だ。例えばサッカーならば国際サッカー連盟(FIFA)が自立していて、あれだけ大規模なW杯を独自で開ける。IOCにはスポーツ界のそのような格差を調整する機能がある。彼らは女子競技を男子と同等に扱い、小国が世界に挑戦するチャンスを与え、マイナー競技に光を当てている。IOCと関係の深い国際パラリンピック委員会(IPC)により、パラリンピックも開催されている。

そういう社会的役割の意義に目を向けず、一方的に「利権」「金儲け」と批判するのはアンフェアだ。IOCが営利を目的とした組織かといえば、それは明白にノーだ。

もちろん過去には『黒い輪―権力・金・クスリ オリンピックの内幕』のようなIOCの腐敗を告発した著書もあった。招致を巡る不透明なお金の動きがあることも事実だろう。とはいえ日本の競技団体も含めて、非営利組織のガバナンスには営利企業とは違う難しさがあり、一定の割合で不正は起こる。オリンピックとIOCをトータルに評価すれば功が大きく、筆者は「潰せ」「根本的に見直せ」といった意見に同意しない。

押された“怒りのツボ”

筆者は昨年から、なぜメディアの批判がIOCでなく日本政府に向かうのか不可解に感じていた。もちろん政府政権を批判する手段として五輪問題が使われる現実は分かる。ただIOCだけが大会を中止できる仕組みの中で、日本政府以上に重要なのはIOCの意思。その基本があまりに見過ごされているように感じられた。

状況は一気に変わっている。5月5日付のワシントン・ポスト紙の報道が「ぼったくり男爵」というフレーズとともに広がり、国内の批判も一気にIOCへ向かい始めた。

その気持ちはよく分かる。不当な負担を強いられる被害者意識と「外人」に見下される屈辱感は、日本人にとってまさに怒りのツボだ。それこそ鎌倉時代から「ナメられている」という感覚は日本男児の“憤怒スイッチ”だ。そこに焦燥感が加わる状況下で、冷静さを保てというのは無理な相談かもしれない。

さらに今の日本はリスクセンシティブ、コストセンシティブな社会だ。五輪を開催するメリットがゼロとは思わないが、楽しさを実感できるのは開幕後の話。そして「盛り上がり」「社会の活性化」は数字で図りきれない要素だ。スポーツに限らず無駄遣いの指摘は有権者に刺さる。オリンピックの理想、価値を説く発信は抽象的になりがちだが、「こんな施設に〇〇億も使った」という批判は具体的で伝わりやすい。

避けるべき強硬策

話を開催の可否に戻すと、中止の判断は当然あり得る。ワクチン接種が徐々に進み、感染者数も減少トレンドに戻っているとはいえ、対応を緩められるタイミングがあと2ヶ月で来るとは想定しがたい。

自分はスポーツを取材して生活している人間で、アスリートの思いも分かる。「五輪が開催できるなら開催して欲しい」「いざ始まれば盛り上がるだろう」という期待は当然ある。彼らが「社会に対する遠慮を強いられる」「口を封じられる」現状は痛ましくも思う。とはいえ社会の安全安心と、「大会の実務を本当に遂行できるか」という問題は無視できない。

しかしIOCに絶縁状を叩きつける、一方的に中止を通告して損害賠償を拒否する強硬策は禁物だ。大切なのは正しいプロセスで結論を出し、決定内容をきっちり遂行するガバナンスだ。もちろん、それはほとんど不可能にも思えるプロセスだ。

IOCは財政的に見れば存続の危機にあり、容易に大会の中止に応じるはずがない。組織委は先般の会長人事を見れば分かるように、いわば日本政府の傀儡で当事者能力がない。小池百合子・東京都知事がイニシアチブをとって中止に動く方向性が現実的にも思えるが、かといって都が損害賠償を丸かぶりするソリューションも筋が悪い。

政府の介入は最小限に

そもそもの筋論を言うと政府が競技団体の運営、五輪の開催問題に介入するのはタブーだ。多くの利益相反がある中で、スポーツ界の事情より「お国の事情」が優先される意思決定になるからだ。ただ悲しいかな、現実は理想から大きく乖離している。日本政府は今回の大会に対して財政的な保証をしていて、損失を被る立場にもなっている。彼らを無視してことを進められるはずはない。

スポーツの自主独立は実現困難な理想で、きれいごとだ。当然ながら妥協も必要になる。ただこの問題に言及するスポーツを愛する人は、権力の介入に対する問題意識を頭の片隅に残しておいて欲しい。「政府の要請で大会の中止が決まった」という形式を避けることは、日本スポーツの未来を守る最低線だ。

ストレスに耐え、ジレンマと向き合う

大会中止は開催以上に複雑で困難なプロセスだ。契約解除を強引に進めればこの国の信用が落ち、中長期的な国益を損なう。ワーストケースを考えれば、日本がIOCから締め出される可能性もある。巨額の賠償を支払うとなれば、今度は国民が収まらない。そこは極めて深刻なジレンマだ。

ただ大会をしっかり中止させようとするなら、日本政府の「助言と承認」を受けた組織委とIOCが向き合い、強硬策でなく話し合いで結論を出すべきだ。仮に負けることが分かっていても、世界とフェアに戦い、不本意な結果を受け入れるしかない。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことが、「万世に太平を開く」ことにつながる。

今回の東京オリンピックについては我々をイライラさせる“ストレス”が充満している。仮にすっきりリセットできれば、皆がハッピーになるだろう。もっとも歴史を見れば分かるように目先のカタルシスを優先した暴発は、その社会を害する。市民の発言、報道はもちろん自由だが、責任がある立場の当事者は批判に耐え、粘り強く面倒なプロセスを続けるしかない。

中止の主張も、開催の主張もジレンマに向き合わない内容はすべて非現実的だ。そして妥協なき解決はない。もしかすると数週間後にはメディアが「国辱」「弱腰」と憤慨する受け入れがたい現実が待っているかもしれない。しかしスポーツを愛するものとして、自分はそれを粛々と受け入れたい。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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