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街クラブに“マンション”を用意する支援者も バスケ全国大会で目にした中学年代の「脱部活」とサバイバル

大島和人スポーツライター
写真提供:日本バスケットボール協会

“元中学教員”のHCがBユースを指揮

1月上旬に開催されたJr.ウインターカップ第3回全国U15バスケットボール選手権大会(以下ジュニアウインター)は大阪薫英女学院中が女子の部、ライジングゼファーフクオカU15が男子の部を制して幕を閉じた。ジュニアウインターは各県を代表する男女52チームずつが参加する中学生年代の日本一決定戦。中体連(部活)とクラブチームが垣根なく競うところが特徴で、男子の決勝は“Bユース同士”の顔合わせだった。

ただし決勝戦は「元中学教員の対決」でもあった。福岡U15の鶴我隆博ヘッドコーチ(HC)は百道中、西福岡中を全国制覇に導き、比江島慎(宇都宮ブレックス)や橋本竜馬(レバンガ北海道)、松脇圭志(琉球ゴールデンキングス)の育成に携わった名将。定年で教員を退職した後、クラブの取締役育成部長に迎え入れられている。

福岡に惜敗した横浜ビー・コルセアーズU15の京希健HCはアカデミー入りして3年目の39歳で、それまで川崎市内の中学校で教員をしていた。プロの経験はないものの、高校時代に2年間アメリカへ留学していた経歴の持ち主でもある。なお横浜BCの白澤卓アカデミーダイレクターも中学校の非常勤講師を経験している。

京HCは転職の経緯をこう説明する。

「体育の教員やって県大会出たり、あとジュニアオールスター(都道府県選抜の全国大会)のスタッフやったりしている中で、バスケットにフォーカスしたい気持ちがずっとくすぶっていました。知り合いの関係で、白澤さんに話す機会があって、思い切って転職してみようと決めました」

横浜BC・U15の京希健HCは中学教員からの転職 写真提供:日本バスケットボール協会
横浜BC・U15の京希健HCは中学教員からの転職 写真提供:日本バスケットボール協会

進む私立中、クラブへのシフト

教員の過剰労働解消という意味ではポジティブな動きだが、近年は公立中の部活動に厳しい規制がかけられている。地域差はあるものの朝練が禁止されたり、下校時間も16時45分、17時といった時間帯に設定されたりして、冬場の練習時間は1時間前後と抑えられている話も聞く。

鶴我HCはこう述べる。

「中学の先生方が、部活動をやりにくくなっている現状は確かにあると思います。子どもたちの満足する場を提供してあげることが、今の中学校では難しくなっています。あとかつては部活動が生活指導の一端を担うという、非常に大きなポイントがありました。でもこの頃はその部分も、そこまでではなくなってきています」

30〜40年前ならば「未来ある少年少女にスポーツを教えたい」という志を持った若者にとって、中高の教員はそれを高確率で実現できるキャリアパスだった。しかし今は中学の部活動が上を目指す子たちがスポーツをする環境でなくなり、教員の採用枠も減った。当然ながら「スポーツへ真剣に打ち込みたい」「夢を追いたい」という少年少女は指導者志望の若者より多くいる。今までは専門的な指導者がいる公立中への“越境”が現実的な選択肢になっていたが、U15年代は私立中やクラブへのシフトが進むだろう。

日本における民間スポーツクラブの先駆は水泳や体操といった個人種目だ。団体競技、球技ならば野球やサッカーのクラブチームが昭和から活動している。特にサッカーは1993年のJリーグ開幕とともに、中学生年代の「街クラブ」が増え、高校サッカーやJユースの人材供給源となっていった。

バスケは中学生年代のクラブチームが長らく目立たず、「老舗」と言われる街クラブも2010年前後の設立だ。しかし近年は状況が激しく変化している。スポーツ、バスケ界が同時に変革期へ差し掛かった中で、いい意味で尖った指導者やクラブが続々と誕生している。ジュニアウインターの出場チームに少し話を聞くだけで、様々な発見があった。

優勝チームに善戦したB.FORCE愛媛

選手のプレーを見守る小倉貴誉HC(右) 写真提供:日本バスケットボール協会
選手のプレーを見守る小倉貴誉HC(右) 写真提供:日本バスケットボール協会

筆者にとって今大会最大のサプライズだったチームが、B.FORCE愛媛だ。1回戦で敗れたものの、優勝チームの福岡を相手に52-56の接戦を演じていた。サイズが劣るなかでインサイドのミスマッチを突かれていたものの、ルーズボールや球際の奮闘は上回っていた。オフェンスは小倉貴誉HCが「1試合30本、40本打つ」と説明するスタイルで、シューターの金子來樹は5本の3ポイントシュートを決めている。金子に加えて、左利きで運動能力が高い184センチの2年生・深水虎太郎も今後が楽しみな人材だ。

小倉HCは松山工業高のOBだが、バスケ選手としてのキャリアは高校まで。今は会社に務めながら指導者をしている。とはいえB.FORCE愛媛は練習が週6回と街クラブとしては異例の多さだ。小倉HCはこう説明する。

「今はちょうど部活とクラブの変革期ですが、ウチは部活をしている選手が一人もいません。一緒にやろう、日本一目指そうっていう子たちが愛媛県内から来てくれています。部活は部活で良さがあるけれど、バスケットに特化してやれる場所があっていいのかなという発想がありました。ただ僕はクラブだけど、部活に近いクラブを作りたいんです。だから規律もしっかりするし、バッグ一つ(しっかり)並んでいなかったら口うるさく言います」

「チームを作るために転職」

彼らはこの大会の主力だった中3世代が実質的な一期生という新興クラブだ。活動場所は松山市内で、私立高の体育館や公共の体育館を点々としながら練習を行っている。ただ指導の中身は専門的で、身体作りのためのトレーナー、スキルコーチなどもスポットで呼んでいる。

小倉HCは述べる。

「サッカーも野球も分業化をして、専門コーチがいます。トレーニングコーチは身体を作る、土台をつくってくれる人だし、スキルコーチは細かいスキルをやってくれる。僕がそこをまとめる立場になろうかと考えています」

そのような専門家を呼ぶとなれば、当然ながら費用はかかる。クラブとしての“月謝”も当然ながらある。一方で小倉HC自身はボランティアだ。

「普通にサラリーマンです。偉そうなこと言ったら、このチームを作るために転職しました。土日祝が休みじゃなかったら、会社が理解なかったら、(コーチは)できないですよね。だから今日(1回戦が開催された1月4日)は有給で来ています。ただそのために、ゴールデンウイークとお盆とかでも、遠征がない日は仕事に出ています。そうしないと、仕事も成り立たないので」

週末に合宿生活する能代のクラブ

シュートを放つ能代の荻田航羽(中央)と柿崎智弥HC(右) 写真提供:日本バスケットボール協会
シュートを放つ能代の荻田航羽(中央)と柿崎智弥HC(右) 写真提供:日本バスケットボール協会

まったく違う形態を採用している街クラブもある。NOSHIRO BASKETBALL ACADEMY(能代バスケットボールアカデミー)はその名の通り秋田県能代市で活動しているクラブチームで、創設から3年目。活動は金曜の夜と土日で最大週3日。選手は基本的に部活との掛け持ちだ。

選手たちは能代市、秋田市に加えて県南からも集まっている。「どうやって選手が通っているのか」と不思議に思って柿崎智弥HCに尋ねたら、意外な答えが返ってきた。

「ウチの会長が共感してくれて、住まいを提供してくださっています。金曜の夜に集まって、土日は一日練習できます。(会長は)不動産もやっていて、アパートの2LDKの部屋を(チームが使える)。保護者も寝泊まりをして、炊事などをやっていただいています」

柿崎HCは能代工業のOBで、現在49歳。職場はJR東日本で、2017年度まで実業団の強豪「JR東日本秋田ペッカーズ」の指揮を執っていた。アカデミーの指導はボランティアで行っている。

3回戦で横浜BCに56-57と惜敗して大会から姿を消したが、優勝に絡んでも不思議のないレベルのチームだった。コートを見ると186センチの檜森琉壱、190センチの荻田航羽、2年生ながら192センチの千田健太と有望選手が揃っていた。

県内には秋田ノーザンハピネッツU15を含めてクラブチームがあり、人材は散らばっているという。ただそのような中でも、彼らは県予選を圧倒的なスコアで勝ち上がった。

柿崎HCはこう説明する。

「一度アカデミーに興味を持って、練習来てくれた選手は100パーセントで来ています。お試しで来て体験して『ここでやりたい』と言ってくれる」

クラブが“選ばれる”理由は?

荻田と千田は県南の湯沢市という、能代まで車で2時間ほどかかる地域から通っている。荻田にアカデミーを選んだ理由を尋ねると、こう答えてくれた。

「遠いですけど、柿崎コーチのもとでプレーができるのを魅力に感じました。練習に体験行ってみて、このチームの中でやりたいと思って入りました」

一部屋で6人が寝るという週末の“合宿生活”についてはこう口にする。

「県南の人たちはアパートに泊まっていますが、そこで練習後もコミュニケーションを取って、絆を深めたりできる。バスケットにつながりますし、プラスの部分が多いと思います」

柿崎HCはチームの目的についてこう口にする。

「中学校3年生(の部活動)って、どうしても夏に終わるじゃないですか。進学までに1年近く、何もありません。だから次のステージでやる環境を与えて、スムーズに高校の練習に入っていけるようなコンセプトでやっています。あと、どうしても学校規模でできない、バスケットボール部がない子どもたちがいます。そういった子に環境を与えてあげたいっていう思いも、チームのコンセプトにあります」

能代市は「バスケの街」で、行政サイドもバスケ振興に理解がある。学校施設の開放は盛んに行われており、部活のない中学生が、地域の大人とともに体育館で“ストリート”的にプレーできる環境があるという。平日はそういった形でバスケに触れながら、週末はチームで活動をしている選手もいる。

チームは「バスケの街復活」を目標に掲げているが、現状として能代科学技術高校(旧能代工業)との一貫体制があるわけではない。地元やOBの思いとは別に、県や教育委員会の意向も絡み、科学技術高は往年のような強豪校ではなくなっている。檜森、荻田も進路は県外の強豪だ。とはいえ地域や能代工業OB、保護者の協力を得て、このクラブはハイレベルな活動に取り組んでいる。

Lake Forceの「将来」につながる指導

LAKE FORCEを創設した井門靖昇HC 写真提供:日本バスケットボール協会
LAKE FORCEを創設した井門靖昇HC 写真提供:日本バスケットボール協会

将来につながる育成という観点で、筆者が特に印象的だったチームは滋賀の「Lake Force」だった。井門靖昇HCは外部指導者として複数の中学で指揮を執ったキャリアを持つベテランで、2011年にこのクラブを立ち上げている。米原、野洲、甲南、大津と滋賀の各地でスクールを行い、「どの会場に誰が来ても構わない。月5回だけ行く、20回すべて行くのはフリー」という方法を採っている。

昨年も男子はベスト4入りを果たしたが、今大会は準々決勝で四日市メリノール中に敗れてベスト8にとどまった。一方でシューティングガードまで180センチ中盤以上という、中学生年代にしては異例のビッグラインアップが目を引いた。特に藪元太郎は188センチのサイズでドライブから切れ込める、スリーを正確に決められる今大会最高のスコアラーだった。

一般論としてバスケは「大きいものが勝つ」スポーツだが、育成年代は状況が違う。身体の成長が止まった小柄な選手は逞しくて動きが鋭く、コンタクトでもむしろ有利なケースが多い。井門HCはこう述べる。

「8番の子(藪元太郎)は、2年生のときに170ちょっとしかなかった。それから急激に背が伸びて、身体を扱うのが、まだ上手くできないような状態です。自分のイメージと身体がうまく一致しないので、かなり苦労している。それがちょっと走れるようになったり、動けるようになったりしてきて、良くなってきました。でもまだ伸びしろがあって、高校になったらもっとできるようになります」

育成年代はそもそも我慢が必要だが、大型選手の育成は特に我慢が求められる。そして中学生年代は待つ、休むことも大切な“トレーニング”だ。目の前の試合を勝てばいい、バスケ一筋に打ち込めばいいというわけではない。思春期の少年少女と向き合う以上、指導者には度量も要求される。Lake Forceは部活との掛け持ちを前提としているが、部活の強圧的な指導者を嫌って陸上部に“避難”していた選手もいるという。

試合を観察しても、いい意味で今より未来を優先しているチームに思えた。音山繋太はまだ細身だが、2年生で192センチある将来が楽しみな選手。井門HCはこんな裏話を明かしてくれた。

「鼻を骨折したことがあるのですが、3週間くらい寝ていたら(身長が)3センチ伸びたらしいです。『もう1年ぐらい、寝ていたら』と言ったくらいで(笑)」

Lake Forceは岡田侑大(信州ブレイブウォリアーズ)のようなプロ選手も輩出し、選手や保護者から選ばれるチームとなっている。主力には兵庫や京都の亀岡市から通っている選手、Bリーグの育成チームから移籍してきた選手もいるほどだ。

街クラブの熱、独創性に期待

彼らは滋賀のチームだが有望選手は洛南、東山といった県外の強豪に進学する例が多い。「人材を県外に出す」ことに対して、かなりの逆風があるという話を耳にしたこともある。しかしバスケで夢を追う選手と親には、ベストを尽くす権利がある。それを地元の高校、Bユースで実現できればベターだし、国体に向けた少年男子チーム(U16)の強化も大切だが、大人の都合で子供の可能性を狭めるベクトルがいいとは思えない。

今回のジュニアウインターは男子52チームのうち、Bユースが15チームを占めている。その中でも福岡や横浜BCはプロのブランドと育成の“中身”が両立している成功例だ。一方でボランティアの指導者が立ち上げた街クラブでも、選手や親から選ばれ、有望選手を集めて、将来につながる活動をしている例がある。部活に比べれば歴史は浅いが、“コピペ”ではない独創性を感じるクラブも多かった。

部活という育成の王道が危うくなる状況を、残念に思う読者も多いだろう。しかしバスケで人生を切り開きたい選手、本気で関わりたい指導者はそこにアジャストして、違うステージも用意されつつある。指導者の熱意や野心、街クラブの豊かな生態系を見て、素直に日本バスケの明るい未来をイメージできた。

福岡U15が制したジュニアウインター 中学年代の全国大会から見えた“Bユース”の現在地と方向性

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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