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父は甲子園を制した元プロ野球選手 流経大・鹿野修平がライバルと競い「6年目」でつかんだ守護神の座

大島和人スポーツライター
鹿野修平選手 (C)JUFA/REIKO IIJIMA

高校から続くライバル関係

GK(ゴールキーパー)は特殊なポジションだ。CBやFWなら複数の同時起用が可能で、途中出場もよくある。しかしGKは必ず一人で、試合中の交代も極めて稀だ。二番手、三番手はアピールの機会が乏しく「序列」を覆してポジションを取ることが難しい。

流通経済大のGK鹿野修平と薄井覇斗のライバル関係は、流通経済大付属柏高校を含めて6シーズン目。五輪代表候補のオビパウエルオビンナ(現横浜F・マリノス)が卒業し、鹿野は高校時代も含めて初めてファーストチームの定位置をつかんだ。

流経大は日本の大学サッカー界でも最多のプロ選手を輩出しているチームだ。付属も高校サッカーの名門で、7年かけて若者を競わせる環境がある。

今季の流経大は17年ぶりに関東2部リーグを戦っている。ただ2部でも層の厚さ、競争の激しさに変わりはない。7月4日に開幕したリーグ戦もここまで3連勝と好調で、鹿野はフル出場を続けている。

「裏の意識」を高めて好プレー

チームは攻守に人数を割くアグレッシブなスタイルを取り入れている。最後尾を任されるGKにとって負担の大きな戦術だ。開幕戦の東京国際大戦は3点を奪ったものの、DFラインの背後を取られて2失点を喫している。

ただし19日の拓殖大戦で鹿野は課題を消化し、スイーパーに近い動きで的確なリスク管理とカバーリングを見せていた。攻撃面でも意欲的にビルドアップへ参加し、「11人目のフィールドプレーヤー」の役割を果たしていた。

鹿野はシュートストップ、コーチングといったGK本来のスキルも高い。183センチ・74キロと体格はやや小柄だが、Jリーグ入りを視野に入れる実力者だ。

彼は2-0で終えた拓殖大戦後にこう振り返っていた。

「1節目に裏の処理のミスから2失点していた。そこからすごい裏の意識があって、処理できるようにしたいと目標を決めていて、それを実行できた」

1-0で迎えた80分に1対1のシュートを止め、悪い流れを食い止めた。

「自分でもよく止めたなと思います。重心を両足に乗せて、両方に動けるようにして、そうしたらゴロのボールが来て左足が出ました」

中野雄二監督はその活躍を称える。

「何気ないプレーだけど、あれを止めてくれるのは大きいですね」

出番はなくとも練習で強みを磨く

5年におよぶ雌伏を経験した鹿野だが、周囲の評価は早くから高かった。彼は高1の6月に、早くも高円宮杯U-18サッカーリーグで出場機会を得ている。大会直前のエントリー変更で外れたとはいえ、高1夏のインターハイは17名の登録枠に入った。しかし最終的に、高校では定位置をつかめなかった。

高3時は薄井がポジションを獲得し、2017年度の第90回全国高等学校サッカー選手権準優勝に貢献。大会の優秀選手にも選出されている。決勝戦で第2GKとしてベンチに入っていたのは鹿野でなく猪瀬康介(現FC琉球)だった。

鹿野はそんな状態で、流経大への進学を選択した。系列の大学に「昇格」せず、層の薄いチームを選択する発想もある。進路に迷いはなかったか?と尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「(迷いは)なかったですね。逆に絶対勝ってスタメンを奪ってやろうという気持ちしかなかった」

将来性を評価されつつ、チャンスは与えられず、同級生に後れを取る。アスリートとしてそれが悔しくないはずはない。一方で鹿野はそんな感情を糧として、そのときできる努力を重ねてきた。彼は振り返る。

「同年代に(薄井)覇斗という凄いプレイヤーがいて、自分が出られない。その中でどの武器を伸ばせばいいのか考えました。覇斗より自分が勝っているものを考えたらビルドアップと足元の技術。それを大学でもぶらさずにやったら、結果的に今は試合に出られている」

流経大特有の「逆転現象」

中野監督は薄井と比較しつつ、鹿野をこう評する。

「1対1のシュートストップは抜群にいいです。付属高校のときは薄井がファーストキーパーになって、高校選手権も薄井がずっと出て、高校選抜にも入って脚光を浴びていた。鹿野は影に隠れていましたけれど、運動能力は鹿野のほうがあります。今は完全に鹿野のほうが評価は高くなっています。ただ今度は薄井が黙っていないでしょうね」

高校サッカーは究極の大舞台だが、サッカー人生の終わりではない。流経大には付属高で控えだったが、大学でレギュラーを勝ち取ってプロに進んだ例が過去に複数ある。高校時代の序列を固定しない、させないカルチャーがある。

流経大の名伯楽は説く。

「大学で逆転現象が起こることは今までもありました。いい意味のライバルとして、どちらも伸びていけば、どちらもプロに行けるわけですよね。選手って『オレは監督に認められていて、いつでも試合に出られるんだ』と感じると、特に学生は緩くなっちゃう。常にライバルがいて、調子が悪ければポジションを取られちゃう環境を作るのが一番いいのかなと思います」

この大学と付属高は、単に振り落とすのでなく、努力を続けた「敗者」に挽回のチャンスを与える環境がある。付属時代になかなか出番を得られなかった鹿野だが、高校のコーチも彼の将来まで否定していたわけではない。中野監督は明かす。

「大学に来たらこっちのほうが伸びるんじゃないか?とは付属のコーチ陣も言っていたんです。高校時代にレギュラーになれなくても、伸びてくる子が日本はいますから」

プロ野球選手のDNAも

鹿野の父・浩司氏はロッテオリオンズ、千葉ロッテマリーンズで計5年プレーした元プロ野球選手だ。1989年の第71回全国高等学校野球選手権大会で帝京高校の初優勝に貢献し、決勝戦は三番打者として大越基(仙台育英)から決勝打を放っている。

中野監督は述べる。

「(鹿野の父が)帝京からプロに行ったのは知っていますし、反射神経とか、そういうDNAは間違いなく持っている」

最近のJリーグ、大学サッカーを見ると甲子園で活躍した野球選手の「二世」が妙に多い。親譲りの運動能力、メンタリティがやはり強みになるのだろう。もっとも鹿野が生まれたときに父は既に球界から退いていて、野球の話も「そんなに聞かない」とのこと。キャリアに関するアドバイスも「プロになったら聞くかもしれないですけど、聞いていない」という。

どんなに恵まれた天性があっても、継続的な努力がなければアスリートは大成しない。挫折を喫しても挫けず、むしろバネにできる人間が成功の入口に立てる。GKは特にそういうメンタリティが問われるポジションだ。

強力なライバルの存在は鹿野の出番を奪う試練だった。しかし厳しい競争環境はその潜在能力を引き出し、強みを磨くための刺激になっている。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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