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高校の投球数制限で問題は解決するのか? 野球の専門医が危惧する単純化

大島和人スポーツライター
(写真:アフロ)

吉田輝星の熱投で更に高まる投球数制限論

第100回全国高等学校野球選手権は、大阪桐蔭の優勝で幕を閉じた。大阪桐蔭に敗れたものの、秋田県勢として103年ぶりの決勝進出を果たし、今大会の話題を独占したのが金足農業だ。吉田輝星投手は最速150キロの速球と技巧、スタミナを誇る今大会最高の投手。1回戦から決勝まで5試合、54イニングのうち50イニングを一人で投げている。7月15日の秋田県大会初戦から39日間で、1517球を投げ切った。

一方で吉田投手が圧倒的だったが故に「投げ過ぎ」の懸念が広まっていることも事実だ。夏の甲子園大会は酷暑、連戦という過酷な条件下で開催され、健康や負傷のリスクは今回に限らず危惧されている。「甲子園大会で投げ過ぎた投手は大成しない」といった主張はよく目にするし、中学生年代の全国大会、U-18年代の国際大会、ワールドベースボールクラシックなどで採用されている投球制限の導入を訴える意見も根強い。野球界の外からも、橋下徹・元大阪府知事がツイッターを通して連投を批判し、投球数規制の導入を訴えていた。

同じ高校生でも、より過酷なインターハイの競技日程(特にサッカー)に関する記事はそこまで読まれない。大学野球の連投がここまで議論になることもない。甲子園大会は報道量が圧倒的に多く、社会全体を巻き込む吸引力を持っている。だからスポーツの媒体はもちろんワイドショー、週刊誌などでも「ネタ」にされることが多い。

野球医学の専門家が語る新しいコーチング

「球児の障害」「投球制限」について話を聞いてみたい専門家がいた。それは馬見塚尚孝医師。自身も野球のプレー経験があり、医師として少年野球から大人まで幅広い症例と向き合ってきた人物だ。

彼は野球医学に関する啓発書を2冊出している。また昨年に日本でも翻訳・出版されたノンフィクション『豪腕 使い捨てされる15億ドルの商品』では著者であるジェフ・パッサン氏の取材に応じ、日本の球児が置かれている現状についてコメントを寄せた。今年5月に出版された『敗れても 敗れても ――東大野球部「百年」の奮戦』(門田隆将著)でも、宮台康平投手(日本ハム)の復活と成長を証言している。

一方で吉田投手の起用に対する批判、投球制限論に関して少し距離を置くスタンスに見えた。それが気になってアプローチをしたところ、快く電話取材に応じて頂いた。

野球が「選ばれるスポーツ」であるために

取材が始まってしばらくすると、彼が吉田投手や高校野球だけでなく「野球界全体」を考えていることに気づいた。馬見塚氏はこう述べる。

「今後も野球が選ばれるスポーツであるためにはどうなったらいいか。変革期を迎えた新しい社会にフィットする人材を出していくことが、保護者たちが『野球やろうね』『野球は大変だけどサポートしようね』となる大きな要因だと思う。野球が日本社会で選ばれる存在になって欲しい。そのためには昭和社会の主流であったトップダウン型コーチングでなく、新しいコーチング理論を学んで欲しい」

その上で育成年代の現状をこう説明する。

「慶應高校や大阪桐蔭を見ていると、新しい社会の考え方に応じてコーチングを変えていると感じます。一方で昭和のコーチングを行う“残党”が一杯いる。社会は多様性を許容する(ダイバーシティ)、ハラスメント対策としての怒りのコントロール(アンガーマネジメント)、高潔性(インテグリティ)、新しい上司像(コーチングスキル)など、求めるよき人物像が大きく変わってきた。また保護者も子供たちの意見を尊重し、自己決定でやる気を高めるように接することが増えた。しかし野球の現場は『俺の考えについてこない奴は使わない』といった、社会でハラスメントとされる指導が今もなおなされている。そういった古い体質の指導が、子供たちや保護者の方々に選ばれなくなってきた理由のひとつではないか」

肘、肩にとどまらない負傷リスク

馬見塚氏は「肘」「肩」にばかり着目する報道に対しても警鐘を鳴らす。

「腰が悪くなる子も一杯います。特に成長期の腰痛が2週間続くと50%に腰椎疲労骨折が発症しているとの研究もあります。それは過剰な走り込みや『マスコットバットを千本振っておけ』といった練習で発症する。早期発見早期治療をしないと、腰椎分離症となり将来に渡って腰痛のリスクが高くなる」

確かに腰痛によってスポイルされる、キャリアが短くなるプロ野球選手は多い。三拍子の揃った選手が、腰椎分離症によって練習を積めず、「打つだけ」の選手になっていく残念な例も見た。元野球選手が引退後に腰の手術を行う例も多いのだという。それは小学生時代、中学生時代に無理をした影響であることが多い。

肘肩腰以外にも熱中症、落雷、心臓震盪、脳しんとうなど多岐に渡る医療的な課題がある。指導者ライセンスの整備などにより、育成年代の指導者が健康や故障などスポーツ医学に関する最低限の知識を持ち、意識と指導方法を変える――。そのような改革は競技者の減少を止める必須条件といっていい。

投球障害解決に必要な長期的視点と広い理解

ただし甲子園大会の投球制限に関する議論について、馬見塚氏は少し醒めた意見を持っている。彼は視点を広げて、こう強調する。

「野球障害の予防は選手の長期育成の一部です。障害という副作用を考えるときは、主作用であるパフォーマンスや人材育成と併せて考えることが大事になる。甲子園大会の一時期でなく、ジュニア期から継続した、予防とパフォーマンス向上を考えたプログラムで育てることが重要です。これは進化しつつある『コーチング学』を学ぶことで変化できます」

投球障害のリスクについては、こう整理する。

「皆さんは球数に注目されていますが、この障害は材料工学でいう疲労現象と同じような5つの要素を考えねばなりません。それは『投球数』、『投球強度』、『投球フォーム』、『コンディショニング』、『個体差』です。例えばジュニア期は成熟の度合いが違って、骨端線を見ると13才でも骨年齢が11才の子と15才の子がいますし、190センチと160センチではコーチング法を変える必要があります」

そのために指導者が配慮するべき部分をこう述べる。

「ケガをしやすい投球フォームは同じパターンがあるので、そこを学んで見なければいけません。あと障害予防のためには、全力投球を控えることは非常に有効です。またチェンジアップは全力で投げても(速球に比べて)2割くらい肩肘の負担が少ない」

甲子園大会ではテクノロジーの活用も可能

言うまでもなく消耗した状態で無理をして投げるボールと、体力的な余裕がある状態から「70%」のパワーで投げるボールでは、身体にかかる負荷が全く違う。一流のプロならば皆が持っているスキルだが、「余力を残す」メリハリも投手には求められる。投球数が全く無意味な指標ということではないが、その中身でリスクは全く変わる。技術へのアプローチも重要だし、「夏の球数」にとどまらない広い視野、長い取り組みが必要だ。

また馬見塚氏はテクノロジーの活用も提唱する。

「甲子園球場には阪神タイガースにより『トラックマン』と呼ばれる球速やリリースポイント、回転数を測定する機器が導入されています。そこから得られるデータを高校野球で活用すれば有益で、監督が投手の消耗度を探り、交代のタイミングを計る良い材料になる」

「投げさせない」ことによるリスクも

馬見塚氏は「投げさせなさ過ぎる」リスクも認識しており、東京大学時代の宮台康平投手(現北海道日本ハムファイターズ)を指導したときは逆に投球数を増やすことでコンディションを戻した。

「宮台は投球数増で(ケガの)リスクが増えると考えて、練習でも1日50球くらいに球数を制限していた。しかし、もし完投すれば1試合に140球程度投げることになる。彼は練習で50球くらいしか投げていないから、5回くらいになると疲れ始めて球速が落ちていた。そうすると打者を抑えたいから努力量を上げようとするし、フォームが変わってケガのリスクも増える。42.195キロを走る人はそれに応じた距離を走らないと、持久力も身につかないことと同じです。よき投球動作を習得するためにも、実戦の投球数に耐え得る持久力を獲得するためにも、それなりの投球練習は必要である――。そこを投球数が障害のリスクであることを伝えるときに教えておかなければ、逆にリスクは高まります」

コーチング学では「選手が自己決定することでやる気は高まる」と紹介されている。彼はそれを踏まえて「野球界も選手が自ら学び、自己決定を繰り返して成長する場になって欲しい」と説く。

野球が好きで楽しいから自ら練習をする、痛みがあるなら残念だけど練習を止めて診療を受ける――。そのような選手が良き判断をできる雰囲気作りこそ、日本野球のあるべき針路だ。

「野球の諸問題を投球数、甲子園の決勝戦だけに矮小化してほしくない」

馬見塚氏はそう訴える。野球界の育成年代を俯瞰すれば小学生年代から見られる強圧的な指導、肩肘に留まらない故障リスクの軽視、ライセンス整備の不備と課題は山積みだ。

吉田投手の活躍が感動的だった一方で、彼の故障を心配する人々の思いも分かる。善意が強いからこそ、投球数制限に「救い」を求めたくなる心理も理解できる。しかし高校野球、決勝戦の眩い光に目がくらんで、より広く深い野球界の問題が見えなくなることは避けねばならない。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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