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W杯に4選手を送り出したガンバ大阪の下部組織に見る「挫折」が生んだ大成

大島和人スポーツライター
G大阪ジュニアユースから星稜高に進んだ本田圭佑(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

ユースに昇格しなかった3選手が代表入り

ワールドカップロシア大会に参加する日本代表23名を見ると、ガンバ大阪のアカデミー(下部組織)出身者が4名いる。それは本田圭佑、昌子源、東口順昭、宇佐美貴史の4名だ。本田はここまでの2試合ともベンチスタートながら24日のセネガル戦で「3大会連続」となるゴールを決めている。昌子は先発唯一のJリーガーとして2試合に登場し、間違いなく世界レベルの守備を見せている。

ただし4名のうち3名はジュニアユース(中学生年代)からユース(高校生年代)に昇格していない。本田は星稜高校、東口は洛南高校、昌子は米子北高校に進んだ。昌子はサッカー選手として、中3の時点でドロップアウトに近い状態になっていた。だから「ガンバが育てられなかった選手たち」という見方もできる。

ジュニアユース時代の本田は脇役だったし、東口もレギュラーでなかった。昌子は中3夏の全国大会で30人のエントリーリストにすら入っていない。しかしそこから本田と昌子は高校で全国トップレベルの注目株になった。東口は福井工業大、新潟経営大学と無名校から叩き上げて、日本代表に上り詰めた。

「才能を見抜くことができなかった」というのは結果論として正しい。本田と東口は同学年だが、中3冬のデータを見ると東口は167センチ・48キロ(現在は184センチ・78キロ)しかなかった。他のポジションならともかく、GKでこの体格は厳しい。本田も173センチ・60キロ(現在は182センチ・74キロ)で、どちらも単純に晩熟だった。

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※高円宮杯第13回全日本ユース(U-15)大会プログラムより

ただ少なくともガンバのアカデミーは少年たちの未来を奪わなかった。“アニマルスピリッツ”が保たれた状態で、可能性を残したまま、次のステージに送り出した。

「遊び心のある子」を好むガンバ

ガンバ大阪JYは2012年冬の高円宮杯U-15を制したが、そのときの取材で筆者は鴨川幸司監督(当時)に「最近は他のJクラブもU-15に力を入れて、ガンバは人材を集め難くなっているのではないか?」と問うた。

それに対する鴨川監督の答えが印象的だった。「それはありません。ウチが欲しいのは“遊び心のある子”で、他と違うタイプです」

コーチに「こうしなさい」と言われてその通り実行できるのはいい選手だ。ただ「すごい選手」は得てしてへそ曲がりで、そこに自分のアイディアを加えてプレーする。本田はまさにその典型で、彼はあまり従順な選手でない。しかし、だからこそ彼はあのレベルに届いた。

「大切なのはU-13」

複数のクラブでキャリアを積み、現役日本代表選手の育成も手掛けたトレーナーが、以前こう話していた。「育成年代で一番大切なのはU-13。そこにどういう人材を置いているかで、経営者やGMの見識が分かる」

U-13(中学1年生)はメンバーの入れ替わりが激しいタイミングだ。選手は自立しておらず、心身ともに不安定で、肉体的に子供から大人に変わる時期だ。一方で大人に比べれば伸びしろが大きく、吸収力も高い。そこでセルフコンディショニング、トレーニングなどの知識と習慣を植え付ければ、それが一生の財産になる。ガンバのスタッフがそこで「いい仕事」をしたから、本田たちの今があることは無視するべきでない。

もう一つ大切なのは「牙を抜かなかった」ことだろう。ガンバのアカデミーは自分が知る限り、多少アクが強い子でも受け入れる度量がある。中学生年代で結果を出すのは要領の良い、人から教わったことをすぐ実践できるタイプの子だ。ただ「いい子」は小さくまとまってしまいやすい。

欠点と挫折が生む大成

むしろ不器用で、中高生の段階では明らかな欠点を残している選手の方が大成は起きやすい。本田圭佑は運動量がなかったし、吉田麻也は足が遅かった。もちろん今はそれを欠点と感じないほどの一流選手になっている。

ロシア大会の日本代表に「何の挫折の無いエリート」は見当たらない。例えば中田英寿はU-17からU-23まで常に主力で、日本代表も20才で主力になった稀有な存在だ。しかし日本サッカーの層が厚くなって競争も激化し、そういう「キャリアの高速道路」を突っ走る超エリートはいなくなった。今の日本サッカーを見ると、ガンバのようなクラブレベルと、代表活動の両方で挫折を味わいやすい環境ができた。

育成年代の挫折はむしろ、時に大きな飛躍のエネルギーを生む。大迫勇也はU-17時代から年代別代表候補の常連だったが、U-19、U-23も含む3カテゴリーで世界大会出場を逃した。それが今の彼にとってバネとなっているのではないか。

後に代表で活躍するような人材がガンバで花開かなかったことは、クラブにとって損失なのかもしれない。ガンバに限らず日本の育成年代に改めるべき要素がないと言うつもりもない。しかし若き才能に挫折をプレゼントし、日本サッカーに人材を送り出したという意味で、ガンバのジュニアユースが果たした役割は大きい。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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