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MLB入りが決まった遅咲きサブマリン 牧田和久の知られざる紆余曲折

大島和人スポーツライター
(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

社会人2年目の重傷を乗り越えて

アメリカのメディアが、埼玉西武ライオンズで活躍していた牧田和久(33歳)のMLBサンディエゴ・パドレス入りを報じている。(補足:1月7日午前に両球団から正式発表)

牧田は1984年11月生まれで、静岡県焼津市出身。焼津は人口14万人ほどの都市だが、特に「野球どころ」として知られている地域ではない。しかし牧田と同学年には増井浩俊(オリックス・バファローズ)、川端崇義(元オリックス・バファローズ)も含めて3人のプロ野球選手が出ている。しかもそのうち二人は侍ジャパン経験者だ。

牧田は平成国際大を卒業した後に日本通運へ入社したものの、2年目の2008年秋に開催された社会人野球日本選手権で右足の前十字靭帯を断裂。俊足・荒波翔(トヨタ自動車/現横浜DeNAベイスターズ)のセーフティーバントを処理しようとした動きの中でのアクシデントだった。

下半身の動きがフォームの肝になる下手投げ(サブマリン)の彼にとって、これは大きな試練。結果的に彼はほぼ丸1年を棒に振ることになった。筆者は09年秋に牧田が登板している試合を見たが、その時点でプロを感じさせるレベルには戻っていなかった。

高速シンカーで打者を手玉に

しかし2010年、彼は完全復活を遂げる。未だに印象深いのが同年6月の都市対抗南関東第1代表決定戦で彼が見せた快投だ。被安打1、四死球2という完ぺきな内容でJFE東日本を完封し、チームを東京ドームに導いた。

速球の球速は今と変わらず120キロ台後半だったが、下手投げは一般に「体感」が速いと言われる。この試合で彼は10個の三振を奪った。打者が全く「合っていない」「まともにスイングできていない」場面が目立った。

下から浮き上がってくる球筋はスイング軌道と合わせ辛い。牧田は178センチ・85キロの現在より若干細身だったもののパワフルで、強靭な下半身を活かしてボールに体重を上手く乗せていた。加えてその球筋が独特だった。ファーストボールとひとことで言っても牧田は右に沈む球筋、左に沈む球筋、浮き上がる球筋の3種類を投げ分けていた。当時の彼は「右打者の内側(左打者の外側)」に沈むシンカー系を多投していた。

「瞬間最大風速」がすごい投手はアマチュア球界にもいる。ただ牧田は9回を通してほとんど落ちなかったし、ゆとりを持って投げていた。加えて制球力が高く、内外角の厳しいコースを突ける。社会人野球でこれだけ強烈なインパクトを感じたのは田澤純一(JX-ENEOS/現マイアミ・マーリンズ)以来だった。

圧倒的な実力を見せつつ 薄氷のプロ入り

自分は名サブマリン・渡辺俊介の投球もネット裏から見たことがあった。牧田を見た結論は「渡辺より上」「ほぼ確実にNPBで通用する」「1年目からローテーションに入れる」というもの。彼は都市対抗の本大会でも1回戦で日本新薬を完封し、次戦はJR九州を相手に9回1失点と好投。2回戦はタイブレークで敗れたものの、18イニング1失点の好投を見せた。

ただ後に当時の日本通運監督だった神長英一氏に聞くと、西武以外からは事前のアプローチがなく、その西武からも「何位になるか分からないけれど大丈夫か?」と確認があったのだという。日本通運は現西武監督の辻発彦、近鉄やパドレスで活躍した大塚晶彦など毎年のようにプロへ人材を送り込んできた超名門。しかし2010年秋のドラフトは指名漏れを想定し、メディア対応用の部屋も用意しなかった。

実力的には誰がどう見ても間違いのないレベルに達していたし、都市対抗の予選と本戦を見れば安定感も証明されていたと思う。おそらくプロ入り時点で26歳という年齢と、右膝の負傷歴が問題視されたのだろう。

現在のドラフト戦線では牧田や攝津正(福岡ソフトバンクホークス)らの活躍により、20歳台中盤の社会人投手の価値が見直されている。ただ牧田が遅咲きだったことは間違いのない事実。ダルビッシュ有と田中将大は高卒8年目に海を渡ったが、牧田は同じタイミングでようやくNPBへ加わった。

プロ入り後に見せた「引き出し」

どんな経緯があったかは不詳だが、西武は無事に牧田を2位で指名する。当たり前のように入団直後から先発ローテーションに入り、シーズンの途中からはクローザーに転向。5勝22セーブを挙げて2011年の新人王に輝いた。プロの打者は「シンカー系」を簡単に空振りしなかったようで、牧田は「ライジング系」を多投して打者を詰まらせる狙いに切り替えていた。ただスタイルは多少変わっても、プロに難なく適応していた。

その後の西武、侍ジャパンにおける大活躍は皆さんもご存じの通りだ。西武では7年間で276試合に登板し、先発中継ぎ抑えでフル回転。2013年、17年にはワールドベースボールクラシックにも出場した。変則派は「相手の慣れ」が大きな敵になる。しかしその後のコンスタントな活躍を見れば牧田は研究をされても、慣れられても、それを上回るだけの「引き出し」を持っていたことが分かる。

MLBは一般的にマウンドが高く堅い。サブマリンが投げやすいのは一般的に「低くて柔らかいマウンド」で、そういう意味でアメリカは牧田にとって「アウェイ」になる。だが、牧田が今まで乗り越えてきたハードル、プロで見せた引き出しを考えれば、アメリカでもやってくれるのではないだろうか。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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