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バスケ日本代表の新ACに佐古賢一氏が就任 -ミスターバスケットボールが五輪に6度目の挑戦-

大島和人スポーツライター
東野智弥強化委員長(左)と佐古賢一新アシスタントコーチ(右)

新HCは来日が遅れる可能性も

男子日本代表(アカツキファイブ)の新ヘッドコーチ(HC=監督)として、今年4月にフリオ・ラマス氏の就任が発表されている。アルゼンチン代表のヘッドコーチ、アシスタントコーチを歴任し、指導者として銅メダルの経験もある53歳だ。

一方で日本の男子は1976年のモントリオール大会を最後に、40年以上に渡ってオリンピックに出場していない。2020年の東京大会は自国開催だが、国際バスケットボール連盟(FIBA)の推薦を得られるかは未定。19年のワールドカップ(W杯)に出場し、一定レベルの戦いを見せることが東京五輪出場の前提だ。ラマス氏はアジアカップ、W杯予選と続くチャレンジを率いることになる。

ただ現在はアルゼンチンリーグのポストシーズンが佳境で、彼が指揮を執るサンロレンソはカンファレンスファイナル(準決勝)の渦中。彼が日本代表に合流するのはアルゼンチンリーグのシーズンが終わったあとになる見込みだ。サンロレンソがファイナルに勝ち残り、仮に第7戦までもつれると、来日は7月22日以降になる。

レバノン開催されるFIBAアジアカップ2017は8月8日の開幕。Bリーグを戦った選手たちは短いオフを終え、7月3日からは日本代表はトレーニングキャンプに入る。7月末には国内で国際強化試合が開催され、その流れで時差調整を兼ねたスペイン遠征に向かう予定だ。つまり新HCの来日前に、日本代表の強化日程を始める事態も起こり得る。

アシスタントコーチ2名を発表

6月23日に行われた記者会見では、アシスタントコーチ2名が新たに発表された。一人はラマスHCと同じアルゼンチン人のエルマン・フリアン・マンドーレ氏(33歳)。そしてもう一人は“日本人の顔”としてコーチングスタッフに加わる佐古賢一氏(46歳)だ。ラマスHCの来日が遅れた場合は、佐古氏が不在時のトレーニングを見ることになる。

佐古氏はいすゞ自動車やアイシンの司令塔、ポイントガードとして40歳までプレーし、リーグ戦のMVPを3度獲得している。代表選手としても五度のオリンピック予選に参加しており、1995年のユニバーシアードではアメリカに次ぐ準優勝を経験。98年の世界選手権では31年ぶりとなる“世界舞台”を踏む立役者になった。

そのプレーとリーダーシップ、華のあるキャラクターから“ミスターバスケットボール”の愛称でお馴染みだ。12年には日本バスケットボール協会(JBA)の強化部長を務め、13-14シーズンから昨季までは広島ドラゴンフライズのヘッドコーチを務めていた。またJBAの現強化委員長を務める東野智弥氏は、佐古氏にとって北陸高校の同級生でもある。

今回の記者会見は東野強化委員長と佐古新ACが登壇した。(以下、代表活動と関係のある質疑応答は全掲)

私の中では「彼しかいない」

●東野智弥・強化委員長

東アジア大会は3位に終わり、私たちにとっては満足いく結果ではありませんでしたが、しっかり分析して次に生かすようにと考えています。ただ有意義な大会だったということは間違いありません。ルカ・パヴィチェヴィッチコーチのもと、「日常を世界(標準)に替える」という一歩は進められたと思います。それをどう今後の体制にどうつなげていくか。ラマス新HCを迎えてW杯、東京オリンピックへ入っていくわけですけれど、スタートをどのような形で迎えたらいいかということを私の方で色々考えました。

現在もラマスHCのもとでやっているアシスタントコーチのエルマン(マンドーレ)も含めて、サンロレンソはまさにアルゼンチンのリーグでセミファイナルを戦っているわけですけれど、日本人の顔をどうしたらいいか。ここをずっと考えておりました。私の中では「彼しかいないだろう」という、そのコーチは、皆さんもご存知ように日本のバスケット界の中で“ミスターバスケットボール”と言われた佐古賢一コーチです。彼の実績は私から敢えて話をする必要もないくらいのもので、先日も広島のクラブを惜しまれて退任されました。10万人以上に及んだ署名活動もあった中で、私はクラブの了承を得て、話に行ったということになります。

まずはラマスコーチとのコンビネーションで、新しい風を吹き入れてもらいたいと考えています。目標は近々だと8月のFIBAアジアカップですが、7月のスタートから、佐古コーチのリーダーシップで、本当に気合を入れてもらいたいなという思いです。

●佐古賢一AC

本日発表がありました通り、日本代表のアシスタントコーチとなりました。代表の一員としてオリンピックを目指すという使命、任務を果たしたいと思います。自分にはバスケットにずっと精通しながら、最終的には現役時代にオリンピックの切符を手に入れることができなかったという(悔しい)思いが残っています。

Bリーグは発足しましたが、日本代表がすべて強くなくては、バスケット界の発展もありません。そういう意味では2020年の東京オリンピックを最大の目標として、挑戦として、ラマスコーチのもと、バスケットを勉強させてもらいながら、自分なりに日本代表に風を吹き込ませたいと思っています。

自分自身、ヘッドコーチは広島で3年間経験させてもらいましたが、アシスタントコーチは今回が初めてになります。どういう仕事としてやっていけるのかということも、新体制の中で色んなことを模索しながらになります。一番大事なことはそこに気持ちがあるか、魂があるかです。選手、代表の戦い方と色んなことがあると思いますので、自分も組織の一員として頑張っていきたいと思います。

「危機感の共有も進めていかなければ」

★日本代表のスケジュールなどについて説明

●東野智弥・強化委員長

ルカ・パヴィチェヴィッチコーチに技術委員会のアドバイザーとして、代表ヘッドコーチの代行として東アジア大会までやってもらいました。2020年のスタートという中で、ウィンタープログラムは我々にとって欠かせないものだと思いまして、あのような形にしました。W杯の予選が17年11月、18年2月とBリーグの最中に行われます。今われわれに欠けている国際経験を埋めるため、パヴィチェヴィッチコーチの目を通してどうやって世界基準のバスケットをしていくのか(を確認する必要があった)。技術面も、今のままでは世界に通用しないんだということを伝える必要がありました。身体の部分もスポーツパフォーマンスの専門家である佐藤晃一をNBAから招いて、トレーニングのプログラムを習慣化するということも含めてやりました。長期プロジェクトの序章が東アジアの大会だったと考えています。

銅メダルの経験を持つラマスコーチを迎えてW杯の出場権、そして2020年の出場枠獲得を達成しなければいけません。まさにその準備、ベースの部分でパヴィチェヴィッチが教えたピックアンドロールのところ、そしてディフェンスの激しさやアグレッシブさ――。そういったベースのところは選手たちにとっても目からうろこの状況でした。

そういった積み上げはラマスHCにとって、望んでいるところでもありました。私がコーディネーター、調整役に入ってここまでずっと話をしてきたところです。

強化は簡単に言うとどう強くするかなんですけれども、習慣化したものがパフォーマンスとして出ます。習慣化はナショナルチームだけで、短い時間の準備をしたところで変わりません。パヴィチェヴィッチコーチのヨーロッパの高い水準のバスケットボールで、選手たちは負荷が大変だったと思います。ただスタンダードを上げるためには、東アジアの3位決定戦のゲームを見ても「こういうゲームをしなければいけない」と(思いました)。一方で何故そういう試合を準決勝の台湾戦で出来なかったのか。そこにはおそらく習慣化されていない弱さが出たと思います。

東アジア、アジア、世界の扉を叩いていかねばいけません。世界的には3ポイントシュートの脅威が強まっています。不用意な深いヘルプ、ローテーションをしてしまったら、そこに付け込まれます。オフェンスは(相手に)チームで守られていますから、どう個で破るかだったり、フィニッシュ力を持つかだったり、また日本は長身選手が少ない中でビッグマン対策などの課題が残っています。つまり様々な課題を払拭していかなければいけません。そういった中で、今回のモノを引き継ぐ、また今まで無かったものをどういう風にやるかが我々の次へのステップです。

再三申し上げている通り、日本は1976年のモントリオールから40年間以上オリンピックに出ていません。東京オリンピックまでは1130日を切りました。そういう中で一日一日が大切です。その中で今回は佐古賢一ACを紹介することができまいた。更にもうあと何日かで来日するラマスコーチを迎えるための準備をして、進んでいきたいと思っています。

アクションプランとしては、代表のプライドの部分をどう高めていくかも含めての取り組みになります。プロ意識としての日本代表選手の気持ちのところ、そこからどうパフォーマンスに落とし込むかです。加えて大切なのは危機感の共有です。簡単に「オリンピックに行ける」「開催国だ」と言ってはいられない状況です。3×3も入ってきていますけれど、男子の日本代表がどこにいるかという危機感の共有も進めていかなければいけないと思っています。

7月3日から第1合宿を行い月曜日から金曜日、翌週も月曜日から金曜日というサイクルを通して、我々は代表に力を注ぎます。スペインに遠征する理由は、良いチームと戦うところだけではなくて、レバノンとの時差が少ないので、調整してすぐ入るということも考えています。またスペイン遠征の前には国際親善試合も設けて、一つ皆さんにお見せできるのかなと考えています。

「国と国が戦うということで、そこにはプライドがある」

★質疑応答

――現状の日本代表に足りないものは何だと考えていますか?

●佐古賢一AC

足りないものというのはないんじゃないですか?今持っている力を選手たちはすべて出していると思います。ただ勝ち切るにはプラスαの大事なものがあると思いますね。死語になりつつあるかもしれないですけど、魂ですよね。日本代表の試合は普通のゲームと違って、国と国が戦うということで、そこにはプライドがあると思います。そのプライドをどう高めていけるか。技術的には個々の能力というモノが、アジアの中でそんなに長けているわけでもなく、劣っているわけでもなく、そこをどうつなげていくかだと思っています。

――東アジア大会の準決勝・台湾戦と、3位決定戦の中国戦は同じチームと思えないほど内容に差がありました。特に台湾戦をどう分析しますか?

●東野智弥・強化委員長

私から見るといくつかポイントがあったと思います。(レギュラーシーズンの)60試合は土日戦って、月火少し休んでから、また土日というサイクルで戦っていました。前の週が終わって、土日を戦う分にはそう問題がないけれど、月火のところで身体が反応していなかったように思います。あとはねじ伏せるというような気持ちの部分ですよね。そういう日本代表の現状があると私は見ました。

●佐古賢一AC

台湾戦は見ていません。オファーをもらう前でしたし、広島ではそれどころじゃなかったので。ただ最後の中国戦は見ましたし、ポテンシャルを感じられるゲームをしていました。(台湾戦は)スタッツと点数だけは確認しています。モチベーションとか色んな部分を上手くあてはめられなかった。少し空回りしている感があったのではないかという予測をしています。

「葛藤は大きかった」(佐古AC)

――オファーを受けた時期はいつでしたか?広島では色んなことがあったと聞いていますが、即決できましたか?それとも葛藤がありましたか?

●佐古賢一AC

葛藤は大きかったです。自分が広島を退団することを発表したのは5月30日でした。広島の契約が31日に切れるので発表しました。6月1日からは何が起きるか分からない状況で、ああいう形の署名活動もありました。本来であれば僕の予定では6月2日には横浜の自宅へ帰る予定でしたが、署名活動をしていただいたことでかなり動揺しました。代表からオファーをしっかり直接いただいたのが(6月の)6日か7日くらいだったと思います。正直びっくりしました。2020年に向けて新体制、ラマスHCも決まっていましたし、このタイミングで自分のところに来るとは思っていかなかったので悩みました。最終的には10万を超える署名の方々の思いに反して、自分の夢ですね、オリンピックという響きに挑戦したいという気持ちが強くなって、決断しました。

かなり苦しい10日間で、寝られませんでした。自分の中でもどうしたらいいか分からない状態になってしまいました。署名活動が起きる予想もしていなかったし、少し安易に言葉を発してしまったのかなという反省から、少しずつ重くなった感じです。最終的には自分の現役時代からの夢であり、オリンピックに挑戦するというところが、僕の原点でもあります。モチベーションに必ずなるなという気持ちで、このオファーを受けました。

アシスタントコーチは未経験なので、どうアシストしていけるのかも未知数です。自分の中で開き直っている部分は、僕が伝えられるのはそう多くなくて、でも一番大事なモノを、一人でも多くの戦う選手に伝えて、一緒に戦う――。そういう気持ちで臨みたいと思っています。

――佐古アシスタントコーチに求めるものは何ですか?

●東野智弥・強化委員長

日本人コーチの顔を入れるべきだと思いました。ラマスコーチと選手の潤滑油としてはもちろんそうですけど、(佐古ACは)日本人の良さを知っている人間です。その彼が日本代表、母国開催で1960年以来、56年ぶりに来たオリンピックにいてもらいたいというその思いが一つあります。三屋(裕子)会長、田中(道博)事務総長に無理を言って、私の思いを伝えました。このタイミングしかなかったということもあったので、短い期間でしたけれども(交渉して)、佐古コーチもその部分は腑に落ちて、この仕事を受けてもらったと思います。

――俗にいう「ゆとり世代」の選手にどう接して、どう伝えるつもりですか?

●佐古賢一AC

伝えることは簡単じゃないと思います。ただ2020年のオリンピックというのを、選手たちも現実的に意識しているはずです。40年間もオリンピックに出ていないのだから、それは歴史を作るチャンスだと思うんです。もちろん名前を残せます。選手はそういうところにモチベーションが出てくるはずですし、そこを問いかけなければいけないと思います。そこが一番大切なことです。

“ゆとり”と言っても、この世界でやってきている以上は、何をしなければいけないか、自分たちが何を求められているかを明確にしていかないといけません。自分ができることは、接して色々相談に乗りながらも、マインドを変えていく作業をしていかないといけないと思っています。

戦術的にはヘッドコーチが求めるバスケットを理解して、選手にどう納得させて、アジャストさせていくかです。一番大事なことは求心力だと思うんですね。コーチに一番求められるのは、何かを知っているという知識より、しっかり人間として求心力を持って、魅力を伝えていくことだと僕は思っています。戦術とか、そういうところはしっかりサポートしながら、自分が大事だと考えていることを形にできればいいチームになるのではないかと思います。正しいのか分かりませんけれど、そこは信じていますし、僕ができるのはそういうことです。

「オリンピックを目指すことで人間として成長できた」

――現役時代に何度も挑戦して叶わなかったオリンピックですが、佐古さんにとってオリンピック、日の丸とはどういうものですか?

●佐古賢一AC

(質問が)重い(苦笑)。自分も代表には長くいましたし、オリンピックの予選は5回経験しています。自分が大学3年の二十歳の時に入ったのが、最初のオリンピック予選でした。

“人の思い”なんですよね……。最初はルーキーとして、戦力にならないタイミングで代表に入りましたけれど、自分が慕った先輩方の思い、これを「頼むな」という言葉から始まったオリンピックに対しての思いです。

最終的にはオリンピックを目指すことによって自分がどうなったかというと、バスケットをしながら、人間として成長できたと思っています。それが成し遂げられた、成し遂げられなかったではなくて、一つのことをしっかり追い求めていくこと。そこがあったからこそ40歳まで現役を続けられましたし、バスケット人としてのプライドを形成できたと思っています。(出場権の獲得は)成し遂げられなかったんですけれど、自分にとっては(オリンピックを)最大のモチベーションとしてバスケットに取り組むことができました。

イメージできないことを追い求めるには、相当なパワーが必要なんです。経験したものを再現させていくことは、イメージもできるし、色んなことを整理できると思うんです。ただ(男子の代表はオリンピックに)何せ44年も出ていない。出ていたときのことを伝えていける人も、少なくなっています。そういう意味では何としても現役の間に、我々が歴史を作ってやろうという思いを持っていたけれど、そこは叶いませんでした。

僕はつい先日まで広島でバタバタしていましたので、日本代表のことも正直あまりよく分からないんです。ただ自分の思いとしては、オリンピックにもう一回挑戦できるんだと。そこですね。これからは人生を懸けて、オリンピックにこだわらなくてはいけないのかなと思っています。

――アルゼンチン人のラマスHCと佐古AC、選手はどうコミュニケーションを取るのか?

●東野智弥・強化委員長

スペイン語が主になると思います。ラマスさんもアルゼンチンのリーグでは、アメリカ人選手がいるということで、英語も使っていますし、私とは英語で会話しています。ただ日本に来たら、母国語で“心”を伝えてもらいたいなと考えています。アルゼンチン代表でやってきた、90年代後半から若い選手を取り入れてどうやってチームを強くしたかというのは、我々にとって必要な学びです。そこはストレートに伝えてもらいたいので、通訳を一生懸命探しました。

候補は一杯いましたが、アルゼンチン生まれで日本人の方に、まさに交渉しているところです。近々に決まりますし、彼も決まったら報告させてもらいたい。日本語とスペイン語がペラペラの方を呼ぶ予定です。

――佐古ACが決まったことについてのラマスHCの反応は?

●東野智弥・強化委員長

ラマスコーチに佐古賢一ACのことをこう紹介しました。「日本代表でチームをすごく長い時間引っ張ってきて、オリンピックの出場権を取るために本当に必死でやってきた。ハートの強い人だ。そして頼れる存在、兄貴なんだ。そういうコーチが我々にとって必要なんだ」と。それに対してラマスHCは今日もスカイプミーティングをさせてもらったので「嬉しく思う。一緒になってやろう」と言っていました。あとは佐古コーチにどういう印象だったか伝えてもらいたいと思います。

――ラマスHCの印象は?

●佐古賢一AC

僕も今日スカイプのミーティングに初めて参加しました。スペイン語は全然分からない状態でしたけれど、技術委員長からもありましたけど、英語もお話になります。英語に関しては、我々少し(英語が)苦手な人間にとっても、聞き取りやすいスピードでの英語なので、何となく分かってきました。これからは通訳を通して、色々と話すと思いますけれど、僕から話しかけることに関しては英語になるのかなとと思います。

僕も英語は全然ダメなんですけれど、多少のバスケット会話はできます。これからどれだけ上達できるか分かりませんけれど、語学力も上げられるように頑張ります。

――佐古ACにとって広島のヘッドコーチを務めたことはどんな挑戦でしたか?大事にしたもの、今回の挑戦に活かしたいものは何ですか?

●佐古賢一AC

僕が広島で一番大事にしてきたことは人です。人は財産で、選手として価値を上げることから始めなくてはいけないという環境の中で、自分ができることは教育というか、成長させることでした。それはできたと思います。

いつも言っているのは、自分は本当にだらしない男なので、何かに向かってなくては横道にそれがちになるということです。そういう意味では、いつでも挑戦というモノを持ってないと、自分のモチベーションが保てない。そういうところから、広島も挑戦になったと思います。

最終的にはB1に昇格させることができなかったけれど、その中に色んなものは残せたとはずです。その残せたものは人との付き合い、それをどう成長させていくか、自分も一緒にどう成長していくか――。そこしか日本代表でも貢献するところは無いんじゃないかなというくらいです。自分ができることを、明確に伝えていく。そこはしっかりやっていきたいと思います。自分の必要が無くなれば去るだけです。しっかりすっきりした状態で挑戦していきたい。

2020年に向けてが、自分の中では集大成になるんじゃないかなと思っています。人生を懸けなくてはいけないオリンピックという思いがあります。そういったものを伝えていきたいと思います。

課題は「リーダーをどう作っていくか」

――アジア、世界を戦う上でどんなポイントガードが必要と考えますか?

●佐古賢一AC

ポイントガードはすごく重要なポジションですけれど、今の代表を見ていて、接したこともありますので大切だと感じるのは、リーダーをどういう風に作っていくかです。リーダーというものは「僕がリーダーをやります」というものではなく、我々が引き上げなくてはいけない。

間違いなく、金の卵は一杯います。どの人間をどう引き上げて、どの人間に誰をつけてくるか。人と人との付き合いが、チーム競技では大事です。ゴールデンコンビ、ゴールデントリオというような言い方もチーム競技では出てきます。核になる人間が一人ではなくて、二人三人、五人と生まれて、チームとしてその人間にどうついてくるかが重要です。そういう部分で自分が何をできるか、それを言葉では伝え辛いですけど、しっかりやっていきます。

リーダーは育成しかないんじゃないですか?技術云々というのは、そこが伴って来ればプラスαになりますけれど。

(男子日本代表は)アジアの中でもトップと言われているチームとも、5点差くらいのゲームはしています。そこを乗り切るのは、ちょっとしたことなんです。技術がどうとかそういうことではなくて、泥臭い話になっちゃうかもしれないですけれど、本当に気持ちだと思いますよ。そこが重要で、あとはラマスHCの手腕です。

自分自身が今回この仕事を受けたのは新しい発見、気づきが自分に欲しいと思ったからです。犠牲心とか、そんなことは一切ありません。自分もやるからには得るものを得て、帰るつもりでいます。それをやりながら、選手たちに頑張ってもらって、オリンピックに出たいですね。

ガチっとしたリーダーをまず育てていくこと。そこにまず着目してみたいと思います。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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