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世界陸上400mハードル出場の岸本鷹幸(富士通)。32歳の彼が、世界を目指して競技を続ける理由。

折山淑美スポーツライター
22年世界陸上400mハードル、予選第2組6位の岸本(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 7月24日まで、アメリカのユージーンで開催された世界陸上。そこには12年ロンドン五輪以来の世界大会出場だった男子やり投げのディーン・元気(ミズノ)とともに、懐かしい顔があった。15年大会以来の出場となる、男子400mハードルの岸本鷹幸(富士通)だ。

 参加標準記録48秒90の突破は果たせなかったが、世界ランキングで出場。予選敗退という結果を、「一緒に練習している黒川和樹(法大・標準記録突破出場で準決勝敗退)とはハードルを置いた練習では同じくらいで走れていたし、調子は悪くなかったので準決勝に行って勝負できればと思っていました。ランキングで出場の可能性はあると思って練習はしていたが、体の作り方のミスがあったんだろうと思います」と振り返る。

 法大4年だった2012年に、現在でも日本歴代5位となる48秒41をマークした岸本は、世界陸上銅メダル2回で47秒89の日本記録を持つ為末大や、日本歴代2位の47秒93を持つ成迫健児の後を継いで世界と戦う存在になると期待された選手だ。

 11年にはユニバーシアード2位のあと、初出場の世界陸上で準決勝に進出。48秒41を出し、大会前の世界ランキング5位で決勝進出を狙った12年ロンドン五輪は直前の肉離れの影響で予選失格となったが、13年世界陸上は再び準決勝に進出した。

 だがその後は、主要大会には出場したがケガに苦しめられることが続いた。

「実業団になってからケガが多くなって、心が折れそうになったことは何回もありました。でも、『世界へ行ったからこそ』というのはあって‥‥。ケガをしないように練習するのは簡単だけど、世界で戦うためには『ケガをするかしないか』というところまでやらなければダメだというのは承知している。諸刃の剣というより、切れる面をつかむような練習をしないと自分は戦えないと思っていました。だからケガをした時も、『今回はこれが出来ていなかったから、こういうケガをしたんだ』というのがわかっていたし、いいことではないかもしれないけど、徐々に次への切り替えが直ぐ出来るようになってきました」

 かつての日本男子400mハードルは90年代から世界に肉薄し、一時は48秒台を出さなければ代表になれないほどレベルが高かった。だが岸本が日本選手権で初優勝した11年頃は48秒台が出るのは希で、それ以降は出ても1年にひとりだけ。19年には2名、21年は4名出たが、すべて48秒台後半のタイムに止まっている。

 その中で競技を続けた理由を、岸本は「ひと昔前なら自分もとっくに引退しているレベルだが、周りが伸びなかったという要素が一番大きかったと思います。ケガをした時は動けないが、動けるようになって試合に出ると上位に食い込め、『まだまだできそうだな』という感覚になった」と話す。

「国内では戦えても、世界になると決勝レベルにはとうてい届かない、というもどかしさはあったけど、『次こそ戦いたい、次こそ戦いたい』という気持は毎回あって、ここまで来た感じです。今はやらせてもらえているという気持は強いけど、まだ指導者の苅部俊二さんの記録(日本歴代4位の48秒34)を超えられていないというのもあります。長い間お世話になっている人の記録を抜くのが恩返しになると思っているから、『辞めます』という言葉を苅部さんにはなかなか言えないですね」

 何のために競技を続けるかという話は、家族や会社ともした。そんな中で最近は、自分への問いかけにも、ひとつの答えが出てきたという。

「会社に勤めていると30歳過ぎには『そろそろ仕事にシフトして』という時期になるけど、今は競技年齢が上がっているのでもったいないとも思います。富士通の僕の後輩も含め、多くの人がそういう状況になっているから、そうではなく、競技をやりつつ、どうやったら仕事にうまく入り込めていくか。競技も仕事も両立していけるスタイルを示したいなと思って。今はそれを具体的に始めていて、陸上部のOBで管理職になっている田野中輔さん(110mハードルで世界陸上2回出場)の部下になって連携を取りながら、競技と両立したうえで管理職を目指せるようなロールモデルを作りたいと思って取り組んでいます」

 現在では午前中に練習をして午後から働くなど、競技優先では無くどちらも手を抜かないという気持で取り組んでいる。それが本来の実業団選手のスタイルではないかと。

「そういう中で今回のように世界陸上の代表になれば、会社の中でも応援してもらえると思うし。富士通自体が、社員のために陸上部を抱えているというイメージなので。会社の理念とも一致するし、それが一番じゃないかと考えるようになりました」

 32歳になった岸本が、今でもその挑戦が可能だと考えるのは、400mハードルという種目の特殊性もある。「この種目以外だったら、多分もう自分には無理でしょうね」というように、単なる走力だけではなく、ハードリングの技術やペース配分など、戦略の重要度が高い種目だからだ。

「やれることが多すぎる種目だな、という印象はありますね。戦略も内側のレーンか外側のレーンかによって変わるし、風向きによって前半に行くか後半に行くかもある。ウォーミングアップで相手の選手の動きを見て作戦を考えたりもするが、実際にレースになるとその判断は一瞬で‥‥。バックストレートに入った時に思っていた風と違っていれば、その瞬間に『こうしよう』というのも決めなくてはいけない。それは多分若い選手にはできないところだし、経験値が重要になると思います」

 今は一緒に練習をする後輩の黒川が日本選手権連覇を果たしているが、彼に敵わないという感覚もなく、しっかり準備をすれば勝つための戦略も立てられそうだともいう。

 だが、世界の舞台で決勝進出を果たすには、48秒台中盤の記録は必要になる。今年の世界選手権の決勝進出者は着順では49秒09もいたが、記録のプラス進出2番目は48秒40だった。

「正直、今の体だと49秒台中盤が精一杯だと思います。48秒台のために何が足りないかというと、単純に400mの走力だと思うので、今後はそこに向けたトレーニングをやる予定です。長い間競技をやってきたことで、自分の体が『これをしたらこうなる』というのも想像がつくので、そこはもう時間との勝負ですね。『この時期にこれをやって、このくらい走れるだろう』という目標を細かく立てながら、最終的にはパリ五輪の年の日本選手権に合わせたいと思います」

 長く続ける中で増えてきた、競技を続けようとする理由。岸本はそれを背負って走り続けようとしている。

スポーツライター

1953年長野県生まれ。『週刊プレイボーイ』でライターを始め、徐々にスポーツ中心になり、『Number』『Sportiva』など執筆。陸上競技や水泳、スケート競技、ノルディックスキーなどの五輪競技を中心に取材。著書は、『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)など。

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