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「速報をやらない」メディア『コレスポンデント』は新型コロナ関連でどのようなニュースを発信しているのか

奥村信幸武蔵大教授/ジャーナリスト
コレスポンデントのメンバーページ ここで取り上げるブレクマンの記事がトップに

(文中敬称略)

 「速報も広告もやらないニュースメディア」として、英語版を昨年秋にスタートした'''「コレスポンデント(The Correspondent)」'''はどのような発信をしているのか(彼らのジャーナリズムに関する理念については、別の記事で詳しく議論しています)、理解しやすい事例が見つかったのでご紹介します。新型コロナウィルスの世界的な感染拡大の中で、このメディアの特徴がシンボリックに現れていると思われるからです。

この半年あまり、コレスポンデントがどのような発信をしてきたかは、改めて、まとめて議論をしようと思っています。断片的な紹介だと思って読んでください。

「速報でない」ニュースとは何か

 日本時間の3月13日にポストされた「忘れないでほしい:災害や危機は人々のよい面を引き出すものだ(Don’t forget: disasters and crises bring out the best in people.)」というコラムがあります。リンクはこちらですが、会員にならなければ一部分しか読めないものもあります。コレスポンデントは、基本的に会員の人が誰かにメールやソーシャルメディアのDMでシェアした場合にだけ、受け取った人が読めるような仕組みをとっています。

 書いたのはラトガー・ブレグマンという、「進歩」担当記者(Progress correspondent)です。ホームページのプロフィールは「歴史家」となっています。コレスポンデントがオランダ語だけで国内向けに発信していた頃からの記者です。コレスポンデントは従来のニュースメディアが取ってきた、政治や経済、科学や医療などの記者の担当分けの基準ではなく、記者がもっと普遍性のあるテーマ、「より良い政府」とか「社会、公衆衛生」などを自ら選び、問題意識を読者に説明するシステムを取っています。

ラトガー・ブレグマンの記事
ラトガー・ブレグマンの記事

人は「助け合うもの」

 新型コロナウィルスの感染が世界規模で拡大していく中で、「ニュースは意地の悪いニュースと、悪意に満ちたコメントであふれている」とブレグマンは言います。トイレットペーパーの取り合いで殴り合いになるなどのニュースばかりに触れていると、どうしても人間というものは自分勝手で利己的なもののように見えてしまいます。しかし彼は、危機的な状況下では人間はかえって助け合うものだと、いくつも反証を挙げ、読者に疑心暗鬼になるべきではないと呼びかけます。

 ブレグマンは自然災害の現場を例に挙げます。災害が発生すると、商店の略奪や暴力事件などの事件が数多く報道されますが、後から検証してみると、その中には実際には発生していないものがあったり、あるいは単なるうわさに基づいたものであったりすると指摘します。

 アメリカのデラウェア大学の「災害研究センター」が、1963年からこれまで世界の700件以上の洪水や地震などのケーススタディを行い、現地に赴いて直接観察した研究では、全て同じ傾向が見られると彼は説明します。大部分の人は平静で、互いに助け合っているというのです(研究結果に関心がある人は、英語の論文はこちらにあります)。研究メンバーの社会学者によると「略奪行為は一定の規模では存在するにしても、利他主義が広範囲に広がっていくという事実の方が注目すべきことだ。大多数の人が無償で、物やサービスを人に与え、シェアしている」というのです。

 イギリスの社会心理学者のオンライン上のコメントも紹介されています。「災害や非常事態下では、人間は向社会的な行動(人の役に立とうとする自発的な行動)をとるものだ」と。パニックや買い占めは一定程度は起きるが、もっと社会の広い範囲に視野を向け、落ち着いて長い時間のスパンを考えると、そうでもないはずだと。

 ブレグマンはもう少し身近な例を出して補強します。タイタニック号が沈没した際に、パニックや集団ヒステリーが起きたとは伝えられていない。泣き叫んだり、恐れおののいたり、あちこち走り回った人がいたということもなかったと。

 あるいは、2001年にアメリカで起きた9・11同時多発テロでは、旅客機が衝突して火災になったニューヨークの世界貿易センタービルではパニックが起きず、高層階で働いていた人たちが粛々と非常階段を我慢強く降りていったことを紹介し、生存者の言葉も引用します。

「人々がほんとうに『いやいや、どうぞお先に』って言ってたんです。あんな事態のときに、『私の場所にどうぞ』って言うんですよ。気味が悪かったです。」(訳は筆者)(この本の中に出てきます)

中国やイタリアの声から考える

 コレスポンデントの記者の仕事の30〜40%はソーシャルメディアを通じた読者や一般の人との対話であるという決まりになっています。ブレグマンも読者と対話する一方、新型コロナウィルスに関するさまざまな現場からも、人々の助け合いの意識を裏付けるポストを探し出しています。

 武漢市在住の女性は「私は他の人の助けを、どのように受け入れるかを学びました」というツイッターポストで「隔離政策によって、私たちは団結し、在住9年で経験したことのないような助け合いをしています」とコメントしています。

 別の報道では、武漢の高層アパートでは外に向かって住民が口々に「加油(がんばろう)」と団結を示す歌声が広がっている(ガーディアン記事)ことも伝えられています。

ブレグマンの記事のツイート。「コロナウィルスより優しさ、希望、奉仕の心の方が伝染性が強い」「危機の時こそ人は助け合うとの多くの科学的根拠」と書かれている
ブレグマンの記事のツイート。「コロナウィルスより優しさ、希望、奉仕の心の方が伝染性が強い」「危機の時こそ人は助け合うとの多くの科学的根拠」と書かれている

 ブレグマンはイタリアでも窓から窓へ歌声の広がりがあったことを紹介しています。街の出入りが禁止されたシエナやナポリなどで、人々がバルコニーで歌う声が街中に広がっていく様子(英デイリーメール紙の記事)を引用するほか、今、イタリアの子供たちが壁や道路などに落書きをしている合言葉「andra tutto bene(きっと全部うまくいく)」は、南部プーリア地方の何人かの母親が使い始めたもので、フェースブックにポストしたところ、全土に急速に広まって、人々を力づけているという事実も紹介しています。

事実を読み解き文脈を提示する

 災害や新型コロナウィルスのような命にかかわる危機的な状況に関しての報道では、とかく暗いニュースが多く、気が滅入ってしまうものです。メディアは関係のある人を力づけたり、ニュースを消費する人に希望を与えたりできる題材を探そうとします。しかし、武漢やイタリアの街での歌声などは非常に範囲が狭く、当事者に物理的に近い人たちにしか説得力がないようにも感じられます。

 東日本大震災の時には東北地方で津波に遭った街のひとつを取り上げても、産業や文化の均質性もそれなりにある程度の広がりだったため、ある程度共感することが可能で、単発にそのようなものを伝えてもそれなりに励ましたり、教訓を共有するという効果はありました。

 しかし、新型コロナウィルスや、あるいは地球温暖化や地雷、テロなどの世界的な広がりを持つ問題の報道では、時に文化や経済的な基盤が違いすぎて、特定の地域のことを取り上げても、伝えられた現象の中からどのようなメッセージを受け取り、読者が自分たちの糧にするには、少し無理がある場合もあります。ブレグマンのコラムは、バラバラに伝えられているニュースに文脈を与え、学術研究の結果も引用するなどして、私たちが共有すべき価値について平易な言葉で説明しています。

 そのような分析を通して初めて、「危機に直面した時に現れる人間の本性は、むしろ助け合いではないか」と明確に言語化された考え方になります。そのような具体的な理解が進むと、ベランダからの音楽の輪が広がる現象を見て、コミュニティ意識が強化され、希薄だったご近所のつながりが強化されている「兆し」であることを理解できます。他の地域で誰かが実践しているように、ダメージを受けている自分のコミュニティの助けになるような行動を始めるきっかけを提供できるかも知れないのです。

 アメリカでジャーナリズムを勉強する人は必ず目を通す名著'''『The Elements of Journalism (ジャーナリズムの原則)』'''(ビル・コヴァッチ、トム・ローゼンスティール著)にはニュースの世界で仕事をする人が知らなければならず、また、ニュースの消費者が当然期待すべき10項目が挙げられています。その7番目は以下のようになっています。

“It must strive to make the significant interesting and relevant.”

重要な出来事を興味深く、かつ、社会的に意味のあるものにするよう努めなければならない。(訳は筆者)

 ジャーナリズムには、事実を確認して、素早く印象的に伝えるというだけでなく、その出来事が、社会においてどのような意味を持つのかという「文脈」を解説する役割もあるのです。

「速報の嵐」の中で何をよりどころにするのか

 BBCやニューヨークタイムズ、あるいは日本の新聞などのウェブサイトを見ると「Live Updates」とか「最新情報」と銘打って、世界中の新型コロナウィルスに関する様々な情報が分単位で更新されていきます。感染者数の動向や各国の公衆衛生当局の対応、あるいは政治的リーダーのリアクションなどの情報の洪水の中で、市井の人々がどのようにして「小さな助け合い」をしているのかなどという情報は埋もれがちです。

 そのようなニュースは単発で紹介されるだけでは、目立ってもせいぜい「一服の清涼剤」程度の認識しかされません。むしろ「大勢の生命がかかっている」「国の経済が危機」のようなニュースだけが目立ってしまいます。しかし科学的な根拠に乏しい予防法などのミスインフォメーションや、単に「買い占めはやめましょう」というような呼びかけだけがなされても、かえって不安を募らせている人も多いのではないかと思われます。

 コレスポンデントが「ブレーキング(速報)ではないニュース(Unbreaking News)」とか、「毎日押し寄せてくるニュースの解毒剤(an antidote to the daily news grind)」というのは、このような時こそ最新情報の渦に巻き込まれないための「よりどころ」となるものの見方や考え方を提示したいということだと思われます。創設者のひとりで編集責任者のロブ・ワインバーグがこれらのフレーズを使って、このメディアの「ミッション・ステートメント」的な文章をまとめているのを、こちらで読むことができます。

新しい価値観を考えていくニュース

 ブレグマンは私たちが、このような非常事態に助け合い、つながりを確認し合う人たちのことを今ひとつ、手放しで信用できていないのは、私たちの価値観に問題があると指摘します。彼は映画『ウォール街(Wall Street)』(1987年)の主人公、マイケル・ダグラスが演じる投資家、ゴードン・ゲッコーの「強欲さは良いことだ(Greed is good.)」というセリフが、そのような考え方を端的に表しているとしています。ゲッコーは「他に良い表現が見つからないが、強欲さこそ発展の原動力だ」と主張し、そのような考え方はむしろいいことだと言うのです。

 事実、ここ20年ほどの世界で制定された法律や規制などを見渡してみると、「大部分の人々は悪人」という前提で作られているとブレグマンは分析します。そしてオランダ人で霊長類の行動学の分野では世界的に有名なフランス・ドゥ・ヴァールの言葉を引いて締めくくります。

「あまりに多くの経済学者や政治学者が、支配が最高の価値だと考えることが人間の本質だと信じて疑わず、それを求めて競争するという社会のモデルを採用している。しかし、その信念は思い込みの投影でしかない。人間の本質についての考え方を根本的に見直すことが絶対に必要だ。」

 コレスポンデントは、ニュースではなく評論ばかりではないか、ジャーナリズムではなくて研究論文のようだ、などと批判されてきました。しかし世界中が、新型コロナウィルスの問題では、発生した現象に「受身」(リアクティブ)にならざるを得ず、巻き込まれ、アドレナリンが分泌しているような状況下では、コレスポンデントのように、立ち止まって思索し、希望を探るような視点も大切だと思うのです。

 彼らがどのようなニュースを伝えているのか引き続きウォッチしてお伝えしていくつもりです。

武蔵大教授/ジャーナリスト

1964年生まれ。上智大院修了。テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクターなどを務める。2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員としてイラク戦争報道等を研究。05年より立命館大へ。08年ジョージワシントン大研究員、オバマ大統領を生んだ選挙報道取材。13年より現職。2019〜20年にフルブライトでジョージワシントン大研究員。専門はジャーナリズム。ゼミではビデオジャーナリズムを指導し「ニュースの卵」 newstamago.comも運営。民放連研究員、ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に取り組んでいる。

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