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全国にある日和山 新潟の日和見という商売と高麗犬(こまいぬ)を回して荒天を願う人々

饒村曜気象予報士
新潟市・湊稲荷神社の向かって右側にある高麗犬(こまいぬ)

日和山

 全国には日和山(ひよりやま)と呼ばれる場所が沢山あります(表)。

表 全国で日和山がある主な市
表 全国で日和山がある主な市

 実際の山であったり、丘であったり、あるいは土を盛り上げたりと、様々な形態のものがありますが、港に近い見晴らしの良い場所という共通点があります。

 江戸時代の前期、東北日本海側から日本海沿岸を西廻りに大阪に至り、さらに紀伊半島を迂回して江戸に至る西廻り航路や、東北日本海側から津軽海峡を経て東北太平洋側と江戸を結ぶ東廻り航路が開設されましたが、このときに、日和を見る(天気を予測する)ために設けられたのが日和山と言われています。

 このため、外海に面し、特に長い距離を乗り切る難所に集中的に分布しています(図)。

図 全国の日和山の分布(黒丸が日和山の位置)
図 全国の日和山の分布(黒丸が日和山の位置)

 日和山が多いのは、紀伊半島の東側と伊豆半島の西側、そして能登半島です。逆に、瀬戸内海や江戸湾(東京湾)などの内海には、多くの船が往来していましたが、日和山はほとんどありません。

 日和山の頂上は、周囲に樹木や建物、高い山などがない場所で、そのほとんどには方角石が置かれていました。

 方角石には十二支で表した方位が刻まれ、雲の動きや風向を観測するための便がはかられていました(写真1)。

写真1 十二支
写真1 十二支写真:イメージマート

 日和山の主な利用者は、廻船と呼ばれる大型船の関係者で、次の港までの数日間の荒天と逆風を避けていました。

 また、日帰り操業の漁民にとっても、日和山での観測は重要でした。

新潟市の日和山

 信濃川河口で西廻り航路の重要な寄港地として栄えた新潟港(新潟湊)では、日本海がよく見渡せる小高い砂山が日和山で、山頂に海上の安全を祈願した住吉神社がありました。

 そこには方角石が置かれ、雲の濃淡や形、動きなどを観測し、湊の船に気象情報を提供する「日和見」という商売も行われました。

 すでに気象予報士のような人がいて、仕事をしていたのです。

 大正11年(1922年)に日和山を含む広大な新潟砂丘を訪れた北原白秋は、有名な童謡「砂山」を作詞しました。

 しかし、この年に完成した大河津分水が信濃川下流の低湿地を広大な美田に生まれ変わらせるとともに、河口に運ばれる土砂を減少させています。

 このため、海岸浸食によって新潟砂丘はほとんど姿を消し、現在は日和山の大部分が海に沈んでいます。

荒天を願った回る高麗犬(こまいぬ)

 新潟市の日和山近くには回転する高麗犬(こまいぬ)が鎮座する湊稲荷神社があります。

 この神社には、新潟花柳界の遊女たちが、高麗犬を回して頭を西の方角に向けて願をかけたところ、西風が吹いて出帆どころではなくなったという言い伝えがあります。

 このため、船乗り相手の商売をしている人々が高麗犬を回しながら、船乗りが長逗留となるよう逆風(新潟港では向かい風となる西風)を祈願したといいます。

 湊稲荷神社では、高麗犬を多くの人が回すことで損傷が激しいことから、台座と像に軸を差し込み、像と台座との間に隙間を置くことで回る構造にしています。

 全国的に珍しい構造です。

 一方、長逗留となると非常に困る荷主たちが順風(追い風)を祈願した白山神社も近くにあります。

 いろいろな人が、それぞれの目的で日和見を聞いていたのです。

ゴールデンウィークは日和山

 月日が流れ、動力船の時代になると風向きが重要でなくなり、日和山に頼る必要性がなくなっています。

 また、中央気象台(現在の気象庁)が、天気予報を行い、ラジオで伝えるようになったことから、日和山は役目を完全に終え、地名だけが残っています。

 現在の新潟・湊稲荷神社の高麗犬は三代目となり、様々な願いを持った人が訪れる場所になっています。

 そして、願懸けは、男性は向かって右の高麗犬(タイトル画像参照)を、女性は左の高麗犬(写真2)を、願い事を念じながら回し、所願成就を祈願するのが習いとなっています。

写真2 新潟市・湊稲荷神社の向かって左側にある高麗犬
写真2 新潟市・湊稲荷神社の向かって左側にある高麗犬

 ゴールデンウィークは、近くにある日和山に出かけてみませんか。

 日和山はその成立の経緯から見晴らしの良い景色が広がっており、数百年の歴史とともに、手軽に楽しめると思います。

タイトル、写真2の出典:筆者が令和元年(2019年)に撮影。

写真1の出典:イメージマート。

図、表の出典:ともに筆者作成。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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