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台風14号で鹿児島県に特別警報・77年前の枕崎台風に匹敵 高齢のご家族知人へ避難するよう電話を

饒村曜気象予報士
レーダーから見た台風14号の雨雲(9月17日22時)

台風14号の急発達

 大型で猛烈な勢力の台風14号は南大東島の北を北西進しており、19日にかけて奄美地方と九州にかなり接近し、九州に上陸する見通しとなっています(図1)。

図1 台風14号の進路予報と海面水温(9月18日0時)
図1 台風14号の進路予報と海面水温(9月18日0時)

 台風に関する情報は最新のものをお使いください

 気象庁では、5日(120時間)以内に台風の暴風域に入る確率が0.5%以上である地域に対し、「暴風域に入る確率」を発表しています。

 このうち、暴風域に入る確率の時系列予報は、全国の約370の区域を対象として、5日(120時間)先までの3時間ごとの暴風域に入る確率などを示したものです(図2)。

図2 各地で暴風域に入る確率(9月17日21時発表)
図2 各地で暴風域に入る確率(9月17日21時発表)

 暴風域に入る確率が一番高い時間帯が、台風の最接近の時間帯です。

 鹿児島市で暴風域に入る確率が一番高いのは、9月17日の昼過ぎから夜遅くの100パーセントですので、その中間、夕方ということになります。

 長崎市では、台風の最接近が17日の夜遅くから未明と、九州では台風最接近が夜になりますので、17日午前中からの早めの警戒が必要です。

 令和4年(2022年)は、6~8月の日本近海の平均海面水温が記録的に高く、台風が発達しやすくなったために、例年より多く日本付近で発生しています。

 これは、日本付近は太平洋高気圧に覆われる日が多かったため、平年より日射量が多かったことや風が弱かったことが主な要因にあげられています。

 加えて、台風の通過に伴う海面水温低下の効果が小さかったことも、原因の一つとなっていたのですが、9月に入り、台風12号や13号が海面をかき回して海面水温を少し低下させています。

 しかし、台風14号は、台風12号などによってかきまわされていない、海面水温が高い海域を進んでいます。

 しかも、その海域は黒潮という深いところまで暖かい海の上でした。図1を見てすぐわかるように、台風14号が通った後は海面水温が下がっていますが、強くかきまぜて、少しの低下にとどまっています。

 このため、台風14号の中心気圧は、9月15日(木)21時に970ヘクトパスカルであったものが、16日(金)21時に925ヘクトパスカル、17日(土)21時に910ヘクトパスカルと急速に発達し、最大風速が55メートルの猛烈な台風になっています。

台風14号で特別警報

 大型で猛烈な台風14号の接近に伴い、気象庁は9月17日21時40分、鹿児島県に暴風・波浪・高潮の「特別警報」を発表しました。

 鹿児島県ではこれまでに経験したことのない暴風・高波・高潮となるおそれがあるため、早め早めに身の安全を確保し、命を守る行動を行う必要があります。

 気象庁は、17日の予報課長の記者会見で、九州南部と九州北部では特別警報を発表する可能性があると発表していますので、特別警報の範囲が広がるかもしれません。

 また、九州南部や奄美地方では17日夜から18日(日)にかけて、九州北部と四国では18日(日)午前中から19日(月)にかけて線状降水帯が発生して大雨災害の危険度が急激に高まるおそれがありますので、厳重な警戒が必要です。

 18日から19日の48時間予報を見ると、西日本の太平洋側では600ミリを超え、800ミリ以上というコンピュータの計算もあります(図3)。

図3 48時間予想降水量(9月18日0時~19日24時)
図3 48時間予想降水量(9月18日0時~19日24時)

 台風の動きが速くないため、各地とも、強い雨が降る時間が長くなりますので、雨の降り方に注意してください。

枕崎台風

 北緯25度を越えても、最大風速が55メートル以上となる台風は5年に1個くらいはありますが、台風14号の予報では、18日21時に屋久島付近で910ヘクトパスカル、最大風速55メートルの猛烈な台風となっています。

 最大風速が55メートル以上の猛烈な台風が北緯30度を越えて北上となると、過去に大災害をもたらした枕崎台風など、歴史的な台風しかありません。

 枕崎台風は、昭和20年(1945年)9月11日にグアム島の東海上で発生し、17日未明に沖縄本島を通過し、17日14時過ぎに鹿児島県枕崎

付近に上陸した台風です。

 当時、台風が沖縄本島付近にあった時に中心気圧が960ヘクトパスカルと推定され、九州に接近するにつれ著しく強力なことが分かったという状況でした。

 太平洋戦争で激戦となった沖縄での気象観測は再開されていませんが、個人的には、沖縄本島付近にあった時には、900ヘクトパスカルくらいまで猛烈に発達していたのではないかと思います。

 枕崎観測所(現在の枕崎特別地域気象観測所)では、台風の接近とともに風速が増大し、風向は東南東に釘付けされたようになっています。

 そして、17日14時16分に最大瞬間風速62.7メートルを観測しましたが、直後に庁舎の東半分が吹き飛ばされ、風速計が壊れたことにより、この台風の最大風速は求められていません。

 また、枕崎観測所では,14時38分に急に風速が弱くなり、天空はそれまでの暗雲低迷の状態からにわかに雲が薄らいで台風の眼に入っています。しかし風向が東から南、西へと変わるとともに雲に覆われ、15時12分に再び猛烈な西風が吹き始めています。

 台風の眼に入っていた時間(34分)と、この頃の台風の時速40~50キロから、眼の大きさは25~30キロということになります(図4)。

図4 枕崎台風の眼
図4 枕崎台風の眼

 そして、枕崎観測所では、台風の眼に入った直後の14時40分に最低気圧916.6ヘクトパスカルを観測しています。

 これは、当時の世界記録である昭和9年(1934年)の室戸台風時に室戸測候所で得られた911.9ヘクトパスカルにつぐ値でした。

 このため、室戸台風の例にならい、枕崎台風という名前がつけられました。

 枕崎台風は、西日本を中心に所により400mmを超える雨をもたらし、全国で死者・行方不明者3756人、建物被害9万棟、浸水被害27万棟など甚大でした。

 特に被害が大きかったのは、台風が上陸した鹿児島県ではなく、広島県です(図5)。

図5 枕崎台風の経路と県別死者・行方不明者数(50人以下の県は省略、経路上の白丸は9時の位置)
図5 枕崎台風の経路と県別死者・行方不明者数(50人以下の県は省略、経路上の白丸は9時の位置)

 広島県の中でも最も被害の大きかったのは、呉市で、土砂くずれなどの災害で1154名もが死亡したり、行方不明となっています。

 呉市における災害を大きくした誘因として、

・戦争中の山林の伐採や軍用道路の建設、爆弾の投下等によって山が荒廃したこと

・軍港都市として特異な発達をしたため、山腹や渓谷沿いに無計画に家屋が建てられたこと

・終戦直後で気象予報がなく、市民はこのような大災害を予知できなかった(災害に対して備える余裕がなかった)こと

があげられています。

 また、枕崎台風によって広島県の被害が著しかったのは、県の防災機関の中枢である広島市が8 月6日の原子爆弾で壊滅した直後で、機能がマヒしたことが大きいともいわれています。

 広島地方気象台は天気予報を再開していませんでしたし、唯一のラジオ局であるNHK広島中央局も、臨時放送所で東京からの全国放送を中継するのがやっとでした。

 また、住民も原爆・敗戦と続く混乱の中で日々の食料を確保するのがせいいっぱいで、多くの人々は、台風が接近していることさえ知らずに災害に巻きこまれていったといわれています。

 当時の天気図を見ると、枕崎台風の進行とともに西日本の空白地域は広がっています。

 また、中国大陸や朝鮮半島は、観測データがほとんど記入されておらず、国内では広島の観測データが、原爆直後の8月6日から記入のないままでした。

 柳田邦男氏は、これらのことを題材にして「空白の天気図(新潮文庫)」を書いています。

親しい高齢者に避難を呼びかける電話を

 枕崎台風の広島県の被害が著しかった原因の一つは原爆という特異な原因ですが、何らかの形で防災機関の機能が十分発揮できなくなったり、住民が台風に対して全く気を配る余裕がなくなったり、情報が全く入ってこないときには、同様のことがいつでも起こりえます。

 今は、テレビなどのマスメディアでは伝えきれない詳細な防災情報はインターネット等で取りに行けば入手できる時代です。

 取りにいっても情報が多すぎて使いこなせないなどの問題がありますが、自分の身を守るのに役立つ情報が、どこかにある時代になっています。

 ただ、これらは、インターネット等を使いこなせない高齢者にとっては、非常に高いハードルです。

 最近の大きな災害における死者を、年齢別にみると、高齢者の割合が特に大きくなっており、高齢化が大きな問題となっています。

 そこで提案です。祖父母など、親しい高齢者の住んでいる場所の防災情報をインターネット等で調べ、電話をしてみてください。

 高齢者でも過去に経験したことがない現象が起きる時代ですので、体をいたわってほしい、すぐに避難してほしいという電話です。

 最新の技術を使って、自分のために調べてくれた電話は、うれしいと思いますし、元気で会えたときの楽しい話題になると思います。

タイトル画像、図2の出典:気象庁ホームページ。

図1、図3の出典:ウェザーマップ提供。

図4、図5の出典:饒村曜(平成5年(1993年))、続・台風物語、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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