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神戸ルミナリエ どこまでも続く瓦礫の山と復興の光の列

饒村曜気象予報士
最初の神戸ルミナリエ(平成7年(1995年)12月に筆者撮影)

神戸ルミナリエの中止

 神戸市で毎年300万人以上の人出がある人気イベント「神戸ルミナリエ」が、新型コロナウイルス感染症の影響を考慮し、2年連続で中止となりました。

 会場内や順路が大変混雑し、密集・密接状態が発生することに加え、電飾を施すイタリアの職人が入国できるかどうかがはっきりしていなかったことによる苦渋の決断です。

 「ルミナリエ」は16世紀後半、バロック時代の欧州に始まった「光の彫刻」で、語源はイタリア語の小電球などによる電飾(イルミネーション)です。

 そして、複数基の電飾が施されたアーチを並べることにより、正面からみると、光のトンネルのように見えるように設計されており、この光のトンネルを歩くと、どこまでも続く光の列が感動を呼びます。

 来年こそは復活して欲しいものです。

最初の神戸ルミナリエ

 神戸ルミナリエは、平成7年(1995年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災を契機に、鎮魂と復興を祈念し、震災で激減した神戸に観光客を呼び戻す目的で、震災の年の12月15日から25日までの11日間開催されました(タイトル画像参照)。

 開催場所は、神戸市中央区の旧外国人居留地と、JR新神戸駅前の2カ所で、震災に見舞われた神戸市のど真ん中です(図)。

図 阪神・淡路大震災の震度7の地域と神戸ルミナリエの開催場所
図 阪神・淡路大震災の震度7の地域と神戸ルミナリエの開催場所

神戸“復光”--復興を祈り、「神戸ルミナリエ」始まる

 観光・神戸の復活を祈り、十五万個の色とりどりの電球で彩る「神戸ルミナリエ」(神戸市、神戸商工会議所など主催)が十五日夜、同市中央区の旧外国人居留地で始まった。

 「ルミナリエ」は十六世紀後半、バロック時代の欧州に始まった「光の彫刻」。午後六時に点灯されると、旧居留地を貫く東西、南北各約三百五十メートルの通りは「光の回廊」に一変。会場を埋め尽くした市民らは、折り重なって輝くアーチ形の造形に「王女さまの髪飾りのよう」と、うっとり

引用:毎日新聞(平成7年(1995年)12月16日朝刊)

 神戸ルミナリエは、大変な評判となり、当初は11日間で70万人と見積もられていた人出は、254万人にものぼっています。

 神戸市外からの客が半分以上を占めているというアンケート調査があり、これまで神戸に来るのを控えていた人が、数多く見に来てくれたようです。

 当初は、震災犠牲者への鎮魂行事として、1回で終了する予定だった神戸ルミナリエは、感動した多くの人の声によって、平成8年(1996年)以降も続けられています。

どこまでも続く瓦礫の山

 筆者も、神戸ルミナリエを歩きながら、どこまでも続く光の列に感動を覚えましたが、同時に、この年の1月に発生した阪神・淡路大震災で経験した「どこまでも続く瓦礫の山」を思い出しました。

写真 神戸市長田区の地震による火災現場
写真 神戸市長田区の地震による火災現場

 気象庁での仕事柄、各地の災害現場を見ていますが、災害が発生している場所は限られていました。

 しかし、阪神・淡路大震災では、歩いても歩いても地震や地震で発生した火災による瓦礫の山が続くという経験は初めてでした。

 そして、狭い範囲の被害を目にするとは違う、ものすごいショックが襲ってきました。

 神戸ルミナリエの感動とは真逆の感情です。

タイトル画像の出典:筆者撮影。

写真、図の出典:饒村曜(平成8年(1996年))、防災担当者の見た阪神・淡路大震災、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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