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新型コロナウイルス対策の「不要不急の外出自粛」で思い出した阪神・淡路大震災での「不要不急の車の禁止」

饒村曜気象予報士
阪神淡路大震災における震度7の分布

不要不急の外出自粛

 令和3年(2021年)1月8日に東京都と埼玉・千葉・神奈川の各県、1月14日に京都・大阪の各府と栃木・岐阜・愛知・兵庫・福岡の各県に緊急事態宣言が行われました。

 新型コロナウイルスの新規感染報告が過去最多を記録し続け、医療体制がひっ迫している現状に歯止めをかけ、減少傾向に転じさせることが目的です。

 これを受け、各都府県の知事は、不要不急の外出は徹底して自粛するよう強く呼びかけています。

 感染拡大を食い止めるためには徹底的に人の流れを抑える必要があり、深刻な状況にあることを1人1人が強く認識することが必要で、異論は全くありません。

 ただ、いくら呼び掛けても、自粛はあまり進んでいないのが現状です。

 このことで思い出したのは、26年前の阪神・淡路大震災での「不要不急の車の禁止」です。

阪神・淡路大震災

 平成7年(1995)1月17日05時46分の地震が発生した時に、私は神戸市中央区中山手通りにあった神戸海洋気象台(現在は神戸地方気象台となり移転)に隣接する宿舎で寝ていました。

 神戸海洋気象台の予報課長として神戸に赴任していたからです。

 上下動の揺れで目がさめた後、身体が横に叩きつけられる感じの揺れを感じましたが、この地震が阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震です。気象台では「震度6強」、神戸市沿岸部に細長く東西に延びる「震度7」の領域が切れているところにありました(タイトル画像参照)。

 当時の神戸海洋気象台予報課長は、大災害発生時には神戸海洋気象台災害対策副本部長になると決められていましたので、すぐに駆け付ける必要がありました。

 地震と同時に停電となりましたが、隣接する気象台がすぐに予備電源に切り変わったので、その光が部屋に射しこんできました。その光でただちに背広を着、ネクタイを掴み、ラジオを聞きながら気象台に駆けつけました。

 津波の心配があるにしても、神戸ではこれほど大きな被害を受けるとは思わなかったため、私の職責として防災機関や報道機関等との対応が一日中あると考えたからです。

普段通りの業務

 地震により多くのインフラが停止しましたが、神戸海洋気象台では、地震があっても観測も予報も情報提供も、通常通りの業務を行っています。

 普段からの備えや準備、それに対応できる職員が揃っていたこともありますが、大阪管区気象台の素早い支援も大きな要因でした。

 大阪管区気象台のある大阪府中央区の震度は4で、地震による大きな被害は発生しませんでした。

 大阪管区気象台では、地震発生とともに、運転を行う職員に休憩をとらせています。

 詳細がわかる前から、大変なことが起きていることは確実な神戸海洋気象台に支援が必要という判断からです。

 そして、手分けして地震で壊れた神戸海洋気象台の機器の修理用部品や、支援物資を集め、それらを集め終わると同時に車を神戸海洋気象台に向けて出発させました。

 阪神間の交通網は地震により寸断し、立ち往生した車で大混乱をしていましたので、普段なら高速道路を使って1時間くらいで着くところが、10倍以上の時間がかかって到着は1月18日の朝でした。

 大阪から神戸に向かった車が、あまりの渋滞で目的地に近づくこともできずに引き返したという話を数多く聞きました。

 大阪管区気象台の車は、10倍以上の時間がかかったとはいえ、神戸海上気象台に必要な物資を届けています。

 この差は大きな差でした。

 車の渋滞は、その後も続き、何をするにしても時間が桁違いにかかるという状況は長く続きました。

めちゃくちゃな交通渋滞

 地震発生の3週間後の2月8日にNHKラジオの取材をうけました。

 横山義恭チーフアナウンサーと上田良夫チーフディレクターが、なんとしても被災された方々の声を聞き、それを放送で伝えたいとのことでした。

 当時は、めちゃくちゃな交通渋滞で自動車が思うように使えないため、二人は機材を担いで徒歩で取材を続けている最中でした。

 この時の話は、「31人のその時 証言・阪神大震災(彩古書房)」という証言集にまとめられていますが、下記は、その中にある、地震発生3週間後の生活情報交換について、私が話したくだりです。

多分どこも同じだと思うんですが、普段でしたら、例えば簡単に車で物を取りに行ける。それが今は、大渋滞に巻き込まれて、それ一つでさえ大変な作業であるというように、これは気象台だけではないんでしょうけれども、ほんのちょっとしたことにも、皆さん非常に苦労しながら、いろいろな活動をされている。これが私の感じでございます。

緊急通行車両の通行証

 めちゃくちゃな交通渋滞を受け、「不要不急の車の使用禁止」が言われるようになり、「緊急車両票」の表示がない車は通行できないという措置が取られました。

 しかし、ある意味ではどの車も優先車両です。

 地震発生前に決めたわけではありませんので、地震発生後の混乱の中では「何が不要不急なのか」ということは簡単にはきめられません。

 新型コロナ対策で「不要不急の外出自粛」と言われて、何が不要不急なのか、戸惑っている現状に似ています。

 阪神・淡路大震災のときは、住民の強い要望で次々に優先車両の申請が行われ、21万枚という多数の緊急車両票が発行されています。

 加えて、多数の違法コピーが出回り、手作りの緊急車両票まで出回わったため、実質的に優先車両はなくなり、混乱は続いています。

 当時、優先車両票をつけて車が狭くなっている道で路上駐車をしているのを見ると、「優先車両は、一人乗り禁止で、必ず一人は車に残すという条件付」のほうが良いのではないかと思っていました。

 これらの経験から、災害対策基本法施行令が平成7年(1995年)8 月25日に公布され、これを受けた総理府令第39条により、災害応急対策が的確かつ円滑に行われていないとき、又は、行われない恐れがあるときに使用する緊急通行車両の標識が決められています(図)。

図 緊急通行車両の標識
図 緊急通行車両の標識

 大きさは、縦15、横21で、地色は金色ですが、カラーコピーをすると大部分が真っ黒になるものでした。

 阪神・淡路大震災で「不要不急の車使用禁止」が言われなくなったのは、震災復旧が進み、交通渋滞が解消したときです。

 「不要不急の外出自粛」のような大事な呼び掛けは、事前の周知等が必要とは思いますが、新型コロナウイルス対策が効果を発揮し、「不要不急の外出自粛」ということが言われなくなる日が早くくることを望みます。

タイトル画像、図の出典:饒村曜(平成8年(1996年))、防災担当者の見た阪神・淡路大震災、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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