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最高気温41.1度の浜松は、最初の天気図記入地点

饒村曜気象予報士
日本上空の雲(8月17日12時10分)

東海から西日本の猛暑

 気象庁と環境省は8月6日夕方に、東京都、千葉県、茨城県に「熱中症警戒アラート」を発表し、8月7日は、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごしてくださいと呼び掛けています。

 これが、「熱中症警戒情報」の初めての発表です。

 その後も、湿度が高くて高温の、熱中症がおきやすい状況が続いたため、連日「熱中症警戒アラート」を発表となっています。

 そして、8月18日に対しては、関東甲信1都8県のうち3都県に対しての発表となっています(表)。

表 「熱中症警戒アラート」が発表された日(対象の1都8県)
表 「熱中症警戒アラート」が発表された日(対象の1都8県)

 ただ、「熱中症警戒アラート」は、令和3年度(2021年度)から全国展開を予定していますが、現時点では、関東甲信地方だけを対象として発表する情報です。

 日本列島を覆っている太平洋高気圧は、強いものの影響範囲が意外と狭いものです(図1)。

 殺人的な暑さは、東海から西日本にかけてであり、上空に寒気が入って大気が不安定になって雷雨がおきている関東甲信地方より、上空に寒気が入らないほどしっかりした高気圧におおわれた東海から西日本が中心です。

図1 地上天気図(8月17日12時)
図1 地上天気図(8月17日12時)

 東海から西日本は、暑さに対して厳重警戒の日が続きます。

静岡県・浜松で41.1度

 令和2年(2020年)8月17日12時10分に、静岡県・浜松では、41.1度を観測しました(図2)。

図2 静岡県・浜松の気温変化
図2 静岡県・浜松の気温変化

 平成30年(令和2018年)7月23日に埼玉県熊谷で観測された41.1度に並ぶ、日本国内タイ記録です。

 埼玉県熊谷市や岐阜県多治見市、高知県四万十市などは、これまで40度以上の観測で有名でしたが、浜松は、これまで観測していませんでした。

 数日間暑い日が続いたことに加え、17日朝の最低気温が27.8度までしか下がらなかったことに、強い日射と西よりの風によるフェーン現象が重なっての最高気温の記録てました。

 都市化や地球温暖化などの様々な要因で近年は40℃を超える暑さが増加しています。

最初の天気図

 日本最初の気象観測は北海道の函館で、明治5年7月23日(1872年8月26日)で始まりました。

 太陰暦から太陽暦に変わる半年前のことです。

 その後、明治8年(1875年)6月1日に東京で、明治9年(1876年)9月1日に札幌でと、観測地点が増えてきましたが、当初の目的は気候を観測するためでした。

 次第に観測地点が増え、観測データが積み重なってくると、観測データをもとに天気図を作って暴風警報を発表すれば、防災に役立つのではという建白が相次ぎました。

 これらの建白のうち、採用されたのが、内務省管船課で海技試験の試験官として雇われていたドイツ人のエルヴィン・クニッピングのものでした。

 クニッピングは、明治15年(1882年)1月から採用となり、天気図を作って暴風警報を発表する業務を推進します。

 クニッピングが最初に行ったのは、既存の13の観測所だけでは天気図が作れないとして、新たに8ヶ所の測候所増設です。

 鹿児島、宮崎、下関、境、秋田、宮古、沼津そして浜松です。

 そして、8ヶ所の測候所のうち、最後に開設となった宮古の開設日、明治16年(1883年)3月1日が日本で最初の天気図の作成日です。

 最初の天気図には、浜松などクニッピングが推進した8ヶ所と、別途計画が進んでいた3ヶ所が加わった24ヶ所の観測所からの観測が記入されていました。

半僧坊の鐘と天気予報旗

 明治15年(1882年)11月16日、クニッピングの指導を受けていた地理局員の板橋政範が派遣さ

れ、浜松測候所が設置されます(観測開始は12月1日)。

 浜松宿伝馬町電信局内に機械を置き、事務所を浜松検察所内に置くというもので、翌年9月15日に近くの高町の克明館(幕末の藩の学問所)に移転するまでの仮住まいでした。

 明治16年(1883年)2月から暴風警報が発表となり、翌17年(1884年)7月から天気予報が発表となります(図3)。

図3 明治20年ころの浜松測候所
図3 明治20年ころの浜松測候所

 浜松測候所は、明治20年(1887年)に国営から県営に変わっていますが、大正13年(1924年)に市内鴨江町に移転するまでの41年間、道路向かい側の半僧坊浜松別院の正副寺境内に天気予報の標識柱をたて、明日の天気予報を、風向を示す三角形の旗と、天気を示す長方形の旗の色で住民に伝えていました。

 三角形旗の白が北、緑が東、赤が南、青が西風を示し、長方形旗の白が晴れ、赤が曇り、青が雨、緑が雪を意味していました。

 半僧坊の標識は、旧宿場町の地域のどこからも見え、半僧坊の時の鐘とともに親しまれてきました。

 やがてラジオが登場し、天気予報が放送されるようになると天気予報の旗も使われなくなります。

 大正時代になると、地震観測機器など観測機器が増え、手狭になってきたため鴨江町に移転となりますが、昭和20年(1945年)6月18日の浜松空襲で焼失します。

 仮庁舎での業務が始まりますが、昭和23年(1948年)に、より良い観測環境の三組町に建物が再建となります。

 そして、平成17年(2005年)10月、浜松測候所は無人化され、特別地域気象観測所として観測を継続しています。

 令和2年(2020年)は、長い長い観測の歴史の中での、初の40度超え、そして、日本タイの41.1度です。

タイトル画像、図2の出典:ウェザーマップ提供。

図1の出典:気象庁ホームページ。

図3の出典:饒村曜(平成22年(2010年))、静岡の地震と気象のうんちく、静新新書、静岡新聞社。

表の出典:気象庁資料より著者作成。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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