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被災した神戸の復興に貢献した安室奈美恵のアムロブーツ

饒村曜気象予報士
安室奈美恵引退日に行われたHANABI SHOW前の夕焼け空の玄日

阪神・淡路大震災の火災

 平成7年(1995年)1月17日5時46分、兵庫県南部地震が発生し、阪神・淡路大震災と呼ばれる大災害を引き起こしました。

 当時、筆者は神戸海洋気象台(現在の神戸地方気象台)の予報課長で、気象台に隣接する宿舎で寝ていました。

 地震(最初におこった上下動の揺れ)で目を覚ましたあと、体が横に叩きつけられる感じの揺れを感じました。体が宙に浮く感じがあってから激しく揺れたという記憶が残っています。

 地震と同時に停電となりましたが、気象台がすぐに自家発電に切り替わったので、その光が部屋に差し込んできたので、その光でただちに背広を着、ネクタイをつかみ、ラジオを聞きながら気象台に駆けつけました。

 大きな地震であるものの、これほどの被害とは思わなかったため、予報課長の役割分担として、一日中、連続して防災機関や報道機関等との対応があると考えたからです。ただ、実際の対応は飛び飛びでした。

 地震発生の約10分後、気象台から見て南西方向の真っ暗闇の中にいくつかの火の手が見えました(写真、著者撮影)。

写真 地震発生直後の神戸市長田区の火災(地震で傾いた使われていない百葉箱の右側の小さな2つの点が火災)
写真 地震発生直後の神戸市長田区の火災(地震で傾いた使われていない百葉箱の右側の小さな2つの点が火災)

 まだ、夜もあけておらず、月や星も見えない曇りの日であるといっても、普段なら町の灯りがある長田町付近(2~3キロ先)にです。

 消防車のサイレンの音も聞こえず、静寂な暗闇の中、火の勢いが強くなってゆくという不気味な状況でした。

神戸市長田区

 地震により発生した火災を消すための消防車は、現場に駆けつけようとしても、あちらこちらで倒壊家屋によって進路を阻まれ、道路は避難民のマイカーであふれていました。その近くの瓦礫の下から助けを求める声が聞こえ、これを無視してまっさきに火災現場に駆けつけられませんでした。

 現場に駆けつけても水道排水網がずたずたになり、消火栓が断水で使えませんでした。また、海から水を引こうとホースを何本もつないでも、その上を避難のための車が通り、瓦礫を踏んでいるタイヤでホースをずたずたにしていました(現在は阪神・淡路大震災の経験から、各消防車には、ホース防護用の板が常備されています)。

 このため、神戸市で66ヘクタールが焼ける大火となりましたが、平成5年(1993年)の全国の年間焼失面積が167ヘクタールですので、その約4割がまたたくまに焼けたのです。

 そして、神戸市の火災の約半分の32へクタールは、日本の合成皮革婦人靴の生産拠点である長田区でした。

 当時、合成皮革婦人靴は、中国製の低価格な類似品によって市場を奪われかかっていました。そこに地震による生産拠点の消失です。

 この大ピンチを救ったのは、アムラー・ブームによる高価な厚底ブーツの特需でした。

 厚底ブーツを綺麗に作るには高度な技術が必要で、簡単にはその技術を真似ることができなかったからです。復興中の長田区でしかできない製品でした。

 大災害を受けた被災地の復興は、元の状態でに戻るのではなく、もっと良い状態で戻るという一つの例が、長田区の厚底ブーツではなかったかと思います。

アムラー・ブーム

 平成4年(1992年)9月16日にSUPER MONKEY’S の一員として、「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」でデビューした安室奈美恵は、阪神・淡路大震災のあった平成7年(1995年)「TRY ME~私を信じて~」の大ヒット以降、大ヒットを連発しています。

 そして、茶髪のロングヘアーにミニスカート、細眉、厚底ブーツなど、安室奈美恵のスタイルに憧れた若い女性たちを大量に発生させ、アムラー・ブームをまきおこしています(図1)。

図1 アムラー
図1 アムラー

台風直撃で幻のアニバーサリー・ライブ

 安室奈美恵デビュー20周年のアニバーサリー・ライブは、平成24年(2012年)9月16日に沖縄県宜野湾市の宜野湾海浜公園特設会場で開催予定でした。

 しかし、非常に強い台風16号が北上して沖縄本島を通過することが予想されたため、ライブ2日前に開催中止が決定しています(図2)。

図2 平成24年の台風16号の経路図
図2 平成24年の台風16号の経路図

 幻のアニバーサリー・ライブから6年後の平成30年(2018年)、安室奈美恵は、9月16日に引退しました。

 その前日の15日に、沖縄県宜野湾市の沖縄コンベンションセンターでラストライブが行われました。

 ラストライブの一週間前、台風22号が海面水温が29度以上という暖かい海域を通りながら猛烈な台風まで発達して沖縄を直撃するのではないかという懸念がでてきました(図3)。

図3 台風22号の進路予想と海面水温が29度以上の海域
図3 台風22号の進路予想と海面水温が29度以上の海域

 しかし、台風22号は予報円の南側を通ったため、ライブ会場への直撃はおろか、台風周辺の雨雲もかからず、晴天の中で行われました。

 ラストコンサートの最後の言葉は、「アムロ行きま~す!」など、普段とは違う言葉ではなく、いつものコンサートの最後と同じ「みんな元気でね~、バイバーイ!」でした。

 そして、安室奈美恵引退日の16日は、HANABI SHOWが晴天の中で行われました(タイトル画像)。

タイトル画像の出典:田地香織撮影・提供。

写真の出典:饒村曜(平成8年(1996年))、防災担当者の見た阪神・淡路大震災、日本気象協会。

図1の出典:饒村曜(平成12年(2000年))、図解・地震のことがわかる本、新星出版社。

図2の出典:気象庁ホームページ。

図3の出典:ウェザーマップ提供。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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