北海道を雨から守る函館気象レーダーは、45年前に航空機事故があった横津岳にある
梅雨前線が北上し、前線上の低気圧が発達しながら北海道を通過中です。
このため、北海道の日本海側南部から太平洋側西部から大雨が降り、その後、北海道北部から東部でも大雨が降りました。
北海道の雨雲の多くは、西から東へ、南から北へと広がります。
このため、北海道の雨雲を最初に捕らえるのは、北海道南西部の山の上にある函館気象レーダーです。
函館気象レーダー
北海道で最初の気象レーダーは、昭和37年7月に函館市の函館山に設置された函館気象レーダーです。
観光客が多く訪れる展望台から尾根づたいに東へいったところに設置されました。
北海道で最初の気象レーダーが函館に造られた理由の一つに、昭和29年9月27日に函館を襲った洞爺丸台風があります。
洞爺丸台風は、日本海を北上し、函館湾で青函連絡船の洞爺丸が沈没するなど、5隻の青函連絡船が沈没して1430名が亡くなるなど、大きな被害を出した台風のことです。
昔、函館気象レーダーに勤務したことがあるのですが、展望台から見る函館の夜景は、扇が左にすこし傾いているように見えますが、函館山のレーダーがある場所からは左右対称の夜景が見えました。
デジタル式の採用
函館気象レーダーは、昭和50年に全国で初めてデジタル式を採用しています。デジタル式の採用で、観測結果の計算機処理が可能となり、地形などからの反射してくる電波と雨粒から反射してくる電波を自動的に分離することができるようになり、観測結果を普通の電話回線で遠く離れた場所に送ることが可能になりました。
デジタル式が採用されるまでは、観測者が、ブラウン管に映る様々な反射電波の中から雨粒からの反射によるものを目で見て判別し、透明な紙に写し取っていました。
函館山にあったレーダーから函館空港までといった短い距離のところは、テレメールなどを使って簡単な図が送れましたが、ほとんどは、観測結果の概要を数字で短く表し、電報で送るしか方法はありませんでした。
全国の気象レーダーでデジタル式が採用となった結果、アメダスと組合せて詳細な雨量分布である解析雨量や、降水短時間予報などが可能となりました。
レーダー観測は、デジタル式によって大きく変わりました。
その後、函館気象レーダーは、平成4年10月に函館市の北方にある横津岳に移転しています。長野県の霧ヶ峰にある車山気象レーダーに次いで、日本で2番目に高い山岳レーダーです。
これは、より高い所にレーダーを設置することによって、北海道の西側に広がる日本海からの雨雲をより遠くから捕らえるためです。
YS11「ばんだい号」事故
横津岳の山頂には、国土交通省航空局の航空監視レーダーが設置され、その近くの峰に函館気象レーダーがあります。山頂といっても、険しい場所はなく、イメージは丘という感じの場所です。
今から45年前の昭和46年7月3日、札幌の丘珠空港から函館空港に向かっていた東亜国内航空のYS11「ばんだい号」が、横津岳山頂付近の南麓斜面に激突し、乗員・乗客68名が死亡しています。
函館空港周辺は、雨や風が強かったとはいっても、安全着陸が可能な最低条件は満たしており、フライトレコーダーなどが搭載されていませんでした。このため、事故原因の解明はできていません。