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「ユヅは“引退した選手”ではなかった!」ブライアン・オーサーが見た、羽生結弦のトロント帰省

野口美恵スポーツライター
4月末に帰省したトロント・クリケットクラブのカーリングリンクにて(c)Brian

 今年4月末、トロントの名門スケート場『クリケットクラブ』では、コーチのブライアン・オーサーとトレーシー・ウィルソンが、羽生結弦(28)の“里帰り”を温かいまなざしで迎え入れた。3日間の滞在を見守りながら、オーサーは11年を振り返りさまざまな話をしてくれた。プロ転向を表明した愛弟子のさらなる飛躍を、オーサーはどう見つめたのか。

卒業生たちが教えてくれた『新しい幸せ』

 羽生がクリケットクラブを訪れたのは、4月下旬のこと。オーサーは、その連絡を受けた時のことを『びっくりするタイミングだった』という。

「実は、ユヅが来るという話の前の週に、ちょっとショックなことがあったんです。世界選手権で銀メダルを獲得したチャ・ジュンファン(韓国)が『これからは韓国で練習することになった』と連絡してきたのです。8年間一緒にやってきて、さあこれから、という時だったので、心に大きな穴が空いた感じで……。そういう時って、ちょっと自信を失いそうになりますよね。そんな時に、ユヅが帰ってくるという連絡を受けて『おお、なんというタイミング!』と思い、それと同時に、だいぶ心が軽くなりました。ユヅに会えると思うと、ジュンファンに対して色々と後悔しそうになっていた思考が止まり、ただただ韓国での今後の幸運を祈るという気持ちに変わりました。そんな意味で、ユヅの訪問はすごいタイミングだったんです」

 これまで多くの教え子を輩出してきたオーサー。別のコーチに移籍した選手もいれば、引退後は顔を見せない選手もいる。しかし『ユズとハビ(ハビエル・フェルナンデス)は違うんだよ』と、オーサーは強調した。

「ユヅとハビ。あの2人と共に世界のトップを走った数年間は、コーチとしてこれ以上の幸せはない時間だと思っていました。自分の生徒が世界一を争い、リンクサイドでその2人を見守るなんて、光栄なことじゃないですか。でもね、もっと違う形の幸せがあるんだなということに、今回気づかされたんです。それは愛弟子が卒業して、そして再びリンクに顔を見せてくれること。それは、経験したことのない、コーチとしての新しい幸せでした」

 その“コーチとしての幸せ”について、オーサーは語った。

「ハビは2019年に引退後、何度もクリケットクラブに遊びに来てくれています。そして、子どもたちの先頭に立って滑ってみせてくれたり、ちょっとしたスケート教室をやってくれたりしました。ユヅがまだここで練習していた時期に、ハビが卒業生としてやってきて、一緒に滑ったこともありました。ハビは本当に手のかかる生徒だったので『よくもまあこんな大きくなって』という感じで、我が子の成長を見守る喜びがありました」

クリケットクラブの生徒たちと(c)Brian
クリケットクラブの生徒たちと(c)Brian

「ユヅは新たな航海へと出発していた」

 そして「ユヅはさらに違う形の卒業生だったんです」と言って、今回の帰省の様子を話した。

「ユヅが来た初日は、僕は別のセミナーを受け持っていたので、同じリンクに乗ることができませんでした。でも、リンクの外でウォーミングアップしているユヅを見かけて、驚きました。まるで今から試合の公式練習にでも臨むのか、という雰囲気で、完璧なウォーミングアップをしていたんです。集中しているので声をかけられなかったくらい。元選手として挨拶に来ただけなら、そんな念入りなアップは必要ないですよね。昔と変わらないユヅの背中を見て、すごく懐かしい気持ちになったと同時に、どんな練習が繰り広げられるのか、気になって仕方ありませんでした。ユヅは初日、トレーシーのセッションに参加することになっていたので『見逃してしまった!』という気持ちでした」

 羽生がクラブに滞在したのは3日間。その間、さまざまなセッションに参加し、若い選手達と共に練習をした。その姿を見たオーサーは、改めてこう感じた。

「ユヅは、“引退した選手”ではありませんでした。完全なコンディションを保ち、今すぐにでも試合に出られる状態でした。そして若いスケーター達の前で、リクエストにこたえて次々とプログラムを披露してくれたんです。しかも試合と同じジャンプ構成で、パーフェクトの演技。引退した先輩が来てちょっと滑ってくれるんだろう、くらいに思っていた子どもたちは、あまりにもレベルの高いものを見せられて言葉を失ってしまいました」

 なぜこれほどまでに素晴らしいコンディションを保てるのかーー。オーサーは、思わずそう質問した。

「ユヅはこう答えたんです。『コンディションを保つのは本当に大変です。でもファンのためにいいスケートをしたいんです。僕は応援されているからこそ、常に最高の滑りを見せる責任がある。僕だけが出るショーであればなおさら、その責任は僕一人が背負わなければならない。真剣なんです』と。ユヅは、プロになったからプレッシャーから逃れてスケートを楽しみたい、なんていうタイプではありません。新たな航海に出発したんだな、と納得がいきました」

クリケットクラブの生徒たちへメッセージを送る羽生(c)Brian
クリケットクラブの生徒たちへメッセージを送る羽生(c)Brian

「ユヅがやってみせると、カーブも傾斜もスピードもすべてが違う」

 羽生は滞在中、クリケットクラブの名物でもある基礎スケーティングのクラス(ストローキングクラス)にも参加した。11年前に羽生が初めてトロントに来た時は、オーサーやトレーシーが先頭に立ち、羽生が後をついて滑った。しかし今回は、コーチ2人がリンクサイドで見守るなか、羽生が先頭に立って約10名の選手たちを率いた。

「本当に面白い現象でした。ストローキングのクラスでは、僕やトレーシーは氷に乗る必要がありませんでした。というのも、ユヅがステップやスケーティングをすべて、8年間一緒にやってきた日々の通りに、そのまま実践してくれたからです。ユヅはこれらの技術の利点を完全に理解したうえで、3年たった今なおそれをルーティンでこなしていることが分かりました」

 そして、こう続ける。

「少し技術的なことでいうと、例えば8つのモホークステップを組み合わせたサークルステップがあるのですが、これを完璧な足さばきでやってみせるわけです。このステップにはすべてのエッジの乗り分けと、同じ軌道のなかで左右の足を換える動作が入っています。とても簡単なステップなので、選手からすると『こんなの試合のステップシークエンスでは使わないよね』という動きなのですが、ユヅがやってみせると、すごいスピード、深い傾斜、大きなトレース、そして一歩の伸び、すべてが違う。子どもたちはそれを見て、簡単な技を美しくやることが世界の頂点に繋がったのだ、ということを体感したのです」

 さらにオーサーは、「唯一残念だったのは」と苦笑いしながら付け加える。

「せっかくユヅがお手本を見せてくれたので、僕も一緒に滑りたかったのですが、ここしばらく左股関節に痛みがあるんです。それで今度、人工股関節置換術を受けることになりました。だから次にもしユヅがトロントに来るチャンスがあったなら、今度こそ手術後の元気な足で一緒に滑りたいなと思います。卒業生を眺めるのももちろん幸せですが、僕はまだまだコーチとして現役でありたいですからね」

2018年平昌五輪後、羽生は金メダルをクリケットクラブのコーチ一人ひとりの首にかけて感謝を伝えた(c)Brian
2018年平昌五輪後、羽生は金メダルをクリケットクラブのコーチ一人ひとりの首にかけて感謝を伝えた(c)Brian

アスリートを育てるのではなく、人間を育てる

 さまざまな形で卒業生を見送ってきたオーサーは、コーチとして伝えてきたことはなにか、振り返る。

「トレーシーとデイビッド・ウィルソン、そして僕によるチームは2007年、キム・ヨナへの指導から始まりました。その時から、軸となるコーチングメソッドは変わっていません。英語で『if it's not broken, don't fix it』(壊れていないなら、直してはいけない)という言葉があるのですが、それが僕たちの考え方です。選手の技術にとやかく口出しはしません。成長とは、選手が自分の内面から何かを発見したときに起きるものです。ユヅが自らの努力で進化していったことは、言うまでもありません。ハビはちょっと時間がかかりましたが、すべての技術を身に着けた瞬間、ライフジャケットなしで深いところに飛び込むようになった。英語では、『you either sink or you swim』(一か八か)と言いますが、ある時を境に、選手自身が自由に羽ばたけるようになる。その日まで、方向性を示すことに徹して、じっと待つ、という感じです」

 その指導法を貫いてきたオーサーは、今回の羽生が帰省した姿を見て、改めて確信したことがあるという。

「僕たちの方針に信念を持ってやってきましたが、常に『この指導で十分だろうか?』と考え、悩むときもあります。でも今回、ユヅやハビの卒業後の姿を見て、確信しました。2人とも、最高のアスリートから、最高の人間へと成長していたんです。ユヅは、クリケットクラブの氷に触れて『ずっとこの氷が恋しかった』と言いました。それですべてが伝わってきました。ユヅは、あの8年間の日々が自分の礎になっていることを感じてくれている。僕たちの目標は、こうやって人間を育てていくことなんだと、改めて感じることが出来ました」

平昌五輪で使っていたティッシュケース(c)Brian
平昌五輪で使っていたティッシュケース(c)Brian

プーさんのティッシュケースの行方は……

 プーさんのティッシュケースの行方について尋ねると、オーサーは笑いながらこう言った。

「実は、僕もどこにあるのか探してみたのですが、クリケットクラブのオフィスにはありませんでした。たぶんユヅが住んでいたマンションで留守番していたんじゃないかな。パンデミックが始まったときに、一時帰国の気持ちで日本に戻り、そのままカナダに入国できなくなっていましたから。今回のトロントへの帰省で、きっと再会できていると思いますよ。2人が素敵な再会を果たしている写真を、僕も見てみたいです」

 そして最後、今後のスケート界についてこんな話をした。

「ユヅは、長い間トップに存在し、スケート界をけん引してきました。毎年、新しいチャンピオンは生まれるものですが、でもユヅのような存在にはなり得ません。ヨナや真央も、彼女らに代わる存在というのは、そう簡単には現れませんよね。ただユヅが生まれたのは偶然ではありません。彼が、正しい方向性を信じ抜き、努力し続けた結果なのです。そしてユヅはその努力を、いまもやめていない。年齢を重ねるほどに多くの努力が必要になっていきますが、彼はそれを続けるでしょう。いま再びユヅを見て確信したのは、ユヅが唯一の存在だってこと。そのコーチであることが、僕の何よりの誇りです」

3日間の詳しい滞在の様子は『Number PREMIER』に掲載。「ユヅは感極まって泣き始めて…」ブライアン・オーサーが語る“3日間の奇跡”

スポーツライター

元毎日新聞記者。自身のフィギュアスケート経験を生かし、ルールや技術、選手心理に詳しい記事を執筆している。日本オリンピック委員会広報としてバンクーバーオリンピックに帯同。ソチ、平昌オリンピックを取材した。主な著書に『羽生結弦 王者のメソッド』『チームブライアン』シリーズ、『伊藤みどりトリプルアクセルの先へ』など。自身はアダルトスケーターとして樋口豊氏に師事。11年国際アダルト競技会ブロンズⅠ部門優勝、20年冬季マスターゲームズ・シルバー部門11位。

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