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羽生結弦『notte stellata』の3日間で「自分の幸せを削ってでも」伝えたかった希望と覚悟

野口美恵スポーツライター
(c)notte stellata

 羽生結弦さん(28)が座長を務めるアイスショー『羽生結弦 notte stellata』が10日〜12日、宮城県で開催された。東日本大震災から12年、羽生さんの中で変化してきた震災への思い、そして「希望」のメッセージの真意とは。

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 タイトルでもある『notte stellata(星降る夜)』は、自身も被災した羽生さんが、2011年3月11日の夜、停電で真っ暗になった仙台で見上げた夜空をイメージしている。その時、満天の星から希望のメッセージを受け取ったことから、アイスショーのテーマを「希望」とした。

 3月11日をまたぐ3日間で行われるアイスショーである。それでも、あえてメッセージを鎮魂や追悼とせず、「希望」としたのはなぜか。3日間のショーを通して、羽生さんは、12年かけて変化してきた震災への思いを紡いでいった。

「僕たちのプログラムが輝く星のように、みなさんの希望となるように」

 ショーは、羽生さんのソロ『notte stellata』からスタート。会場全体に映し出された星空の中を、羽生さんが舞う。

「オープニングで僕が演じたあと星が降ってくるような形で、流れ星のように今回のキャストのスケーターさんたちを見せていきたいと、(総合演出の)デイビッド(ウィルソン)さんと話していました。『ノッテステラータ』と、その後に続くオープニングが1つのプログラムとして見える感覚になっています」

羽生さんに続いて8人のスケーター達が登場し、幻想的なオープニングを飾った。マイクを握り、羽生さんが語る。

「僕たちスケーターの一つ一つのプログラムが、輝く星となれるように、みなさんの希望となるよう、思いを込め滑らせていただきます」

 演目は、仙台出身の本郷理華さん(26)から始まった。『Prayers』の美しい音色のなか、全身から祈りが溢れるような滑り。無良崇人さん(32)は『燦燦』、羽生さんの振付師でもあるシェイリーン・ボーン・テュロックさんが『Fire Dance』、そして田中刑事さん(28)は平昌五輪シーズンのSP『メモリーズ』でトリプルアクセルを軽々と跳びこのショーへの気合いを感じさせた。羽生さんとアイスショーで共演してきたヴィオレッタ・アファナシエワさんに続き、トロントでのチームメイトのジェイソン・ブラウン選手(28)が『melancholy』、宮原知子さん(24)の『Gnossiennes』と続く。前半は、それぞれが震災に対して抱えてきた思いを、祈りとして捧げていくような時間だった。

(c)notte stellata
(c)notte stellata

夏冬の王者が共演、ぶつかりあうエネルギーと化学反応

 そして前半の最後、新たな挑戦があった。五輪を連覇した夏冬のレジェンドによる共演だ。まず羽生さんが胸元に金の刺繍がほどこされた黒い衣装で登場し、ジャンプを跳んだ。お揃いの衣装を着た内村さんが、リンク上に特設された「ゆか」で5連続バク転などを披露すると、羽生さんが氷上側転で応じた。続いて、内村さんが円馬で旋回、羽生さんはコンビネーションスピンを同時に披露し、2人の回転が見事にシンクロすると、思わず会場から歓声が起きた。

 さらに羽生さんは一呼吸おくと、一気に加速してジャンプコースに入っていく。内村さんも、つばをゴクリと飲み込むと助走始めた。まるで試合のような緊張感。羽生さんは4回転トウループを、内村さんは伸身の2回転ひねりを、バシッと決めた。最後はグータッチで、2人の王者が、新たな扉を開いたことを実感しあった。

 まさに2人のパワーがぶつかりあい化学反応が起きたひととき。しかも、両者は細かく打ち合わせたわけではないという。

「内村さんとの打ち合わせや、振り付けの相談はほとんどありませんでした。お互いの本気のエネルギーが混ざり合うところを出したいという意識だったので『お互い集中しましょう。自分たちのことに集中して、それがきっといい掛け算になります』って言い合いながら作っていきました」(羽生)

「やっている本人たちは必死で、どういう風に見えているかは全然、分からないんです。ただ、滑っているのが横目で見えるので、お互いが合わせようとしているのが伝わり合うのが面白くて。呼吸は結構、合っていたと思います。お互い似たもの同士、結果もオリンピック2連覇ですし、競技を極めたい、まだ極めきっていないと思っている者同士。お互いのことをリスペクトしているので、呼吸も合いやすいのかなと感じました」(内村)

 お互いへの刺激も大きかった。内村さんは、羽生さんの集中力に間近で接した。

「本番前、五輪や世界選手権の試合前の羽生くんが集中している、あの感じを生で見られて、『本当に全力なんだな』って。自分がこうしていきたいんだって思いをしっかりぶつけられる人間だなと。試合じゃなくてもあの感じを出せるのは、すごくこだわってショーをやっているんだと感じました」

 羽生さんもこう応じる。

「(内村さんには)僕のことに集中してやらないと自分の演技が流されてしまう、というくらいのオーラがありました。そういう意味でプロ。競技とか技とか技術とか、そういう枠を超えて人を惹きつけるカリスマ性的なものがあって、単純な言葉にすると『かっこいいな』って思いました」

(c)notte stellata
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3日間で変化した挨拶、初日は「皆さんの希望となりますように」

 第二幕はBTSの『Dynamite』のダンスから始まり、希望や夢を感じさせる、心温まる演目が続く。二幕の最後は、内村さんと羽生さんが、それぞれソロを披露。内村さんは、4つの大技を繰り出し、夏の王者のオーラを漂わせた。

「最後の技は2回半ひねりです。あ、でもトリプルアクセル(3回半)ってことにしておいてください(笑)」と内村さん。

 羽生さんは『春よ、来い』を披露。氷に祈りを捧げるようなハイドロブレーディングは、いつも以上にしっとりと、そして長い弧を描いた。

「『春よ、来い』を選んだのは、「希望」というのが大きな趣旨です。『GIFT』だったり『プロローグ』だったり、いろんな場面でこのプログラムを滑らせていただいていますけど、今回は、直接的に震災のことを考えたり、『震災にあわれた方々の希望っていうものは何だろう』ということをイメージしながら、そして『僕自身がそれになれるのだろうか』ということも考えながら滑らせていただいていました」

 フィナーレは総出演で、内村さんもスケート靴を履き、宮原さんらに支えられて氷上に立ち、GReeeeNの『道』で観客へ手をふる。そして最後、羽生さんがマイクを握る。この挨拶は、3日間、大きく変化していった。羽生さんが3月11日をまたぐ3日間、考え、祈り、受け入れていった感情のすべてが、伝えられた。

 初日はこう話した。

「もうすぐあれから12年という時が経とうとしています。震災だけじゃなくて、きっとこれからの人生でつらいこと、幸せなこと、苦しいこと、悲しいこと、寂しくなること、いろんなことがあると思います。ただ今日という日が、僕らの星みたいに輝いてくれたプログラムたちが、皆さんにとって少しでも希望となりますように。心から願っています」

 ショーの後のインタビューでは、こう話した。

「みなさんの前でこの感情とともに、(明日の)3月11日に、こういう企画の中で演技をするのが初めてなので正直、凄く緊張はします」

(c)notte stellata
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3月11日、氷に何度も触れた羽生さん、その葛藤

 3月11日、午後2時46分には出演者の黙祷が行われ、夕方に開幕。羽生さんは、公演中には何度も氷に触れた。そして最後の挨拶で、思いを吐露した。

「こうやって希望や祈りをたくさん届けたつもりですけど、なぜここの氷にたくさん手をつけていたか、そして手をついて上に気持ちを上げていたか、少しだけ宮城県民として説明させてください。ここは宮城県民、仙台市民、そしてすべての人々にとって本当に特別な場所です。ここは遺体安置所だったんです。だから3月11日という日に、氷を張って、この場所に集まって、その中で僕がこんな演技をしてしまって良いのだろうかという戸惑いはすごくありました。

 ただ今日『notte stellata』をやって、ちょっとでも希望だったり、優しさだったり、そんな時間ができたのではないかなと思っています。僕が生きて、今日という日を皆さんの前で、この会場で迎えることができたのは、少しでも意味のあるものになったのかなと、自分を肯定できます」

同日、会場や県庁に置かれた献花台には、このショーに来た観客たちの姿も多く見られた。この日にこの場所でショーを行ったこと。黙祷を捧げる背中が、それが間違いではないことを物語っていた。

(c)notte stellata
(c)notte stellata

12年が経ち、刻んだ覚悟「すべてを背負って進んでいく」

 3月12日の千秋楽は、空気が一変した。震災13年目の1日目となり、「希望」のメッセージを前面に押し出す。グランドフィナーレの後には、BTSの『Dynamite』では羽生さんが生ダンスを披露。最後の挨拶は、笑顔だった。

「昨日はあんなに苦しくて、悲しくて、つらくて、すごくつらい日でしたが、一日たってみると、悲しさも越えて前に進んでいかなきゃなという気持ちと、僕が暗い気持ちになっていたら今日はダメだなと思って、頑張ってはっちゃけて、希望になろうと思って頑張っていました。

こうやって、12年と1日という月日が過ぎて、穏やかな日々にだんだん慣れていってしまって、そんなことに罪悪感を覚えるような日々もあります。ただ、僕がこの12年間を生きて、一番つらかったであろう場所にリンクを張って、皆さんに希望を届けることができて、幸せであると同時に、これからも色々なことを背負って、スケートのためだけに日々を過ごしたいと思っています。精一杯、自分の幸せを削ってでも、ずっと羽生結弦としてすべてを背負って進んでいくんで、どうか応援してください」

 羽生さんは、誰もが抱える震災への葛藤の代弁者である。気持ちが変化していくことの怖さも、前に進む希望も、すべてを見せてくれた。

12年前、自身も被災した日に、夜空から受け取った希望はまだ小さなものだっただろう。

 2014年のソチ五輪で金メダルを獲得した時、震災のことを質問され、戸惑いを隠さずにこう語った。「僕1人が頑張っても復興に直接つながるわけでなない、無力感を感じています。五輪金メダリストになれたからこそ、これからが復興に何か出来るスタートだと思います」。

 2018年平昌五輪で連覇を達成した時は「仙台でたくさんの方々が応援してくださっています。被災地の人々が笑顔になるきっかけになれれば」と、自身が希望になろうとしていた。

 そして今回の3日間で、新たな覚醒があった。皆に希望を与える星として強い覚悟を背負い、13年目の一歩を記した。

スポーツライター

元毎日新聞記者。自身のフィギュアスケート経験を生かし、ルールや技術、選手心理に詳しい記事を執筆している。日本オリンピック委員会広報としてバンクーバーオリンピックに帯同。ソチ、平昌オリンピックを取材した。主な著書に『羽生結弦 王者のメソッド』『チームブライアン』シリーズ、『伊藤みどりトリプルアクセルの先へ』など。自身はアダルトスケーターとして樋口豊氏に師事。11年国際アダルト競技会ブロンズⅠ部門優勝、20年冬季マスターゲームズ・シルバー部門11位。

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