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金与正氏談話の要約は「尹錫悦氏は沈黙せよ」と「米韓はわが国のミサイルを迎撃できない」

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
北朝鮮の金与正・朝鮮労働党副部長(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 北朝鮮の金与正(キム・ヨジョン)朝鮮労働党副部長が18日付で談話を発表し、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の対北朝鮮政策を「ナンセンス」と一蹴して尹錫悦氏に「沈黙」を求めた。金与正氏は、兄である金正恩(キム・ジョンウン)総書記の委任を受け、対米・対南政策を総括する立場だ。金与正氏は22日から始まる米韓合同軍事演習に不満を表示しており、ミサイル発射実験などでそれが表現される可能性がある。

◇尹錫悦政権「大胆な構想」

 尹錫悦氏は5月10日の大統領就任演説で「世界の平和を脅かす北朝鮮の核開発について、平和的解決のために対話の扉を開いておく。北朝鮮が核開発を中断し、実質的な非核化に転換するならば、北朝鮮経済と住民の生活を画期的に改善できる大胆な計画を準備する」と打ち上げた。

 今月15日には、その概要を「大胆な構想」として、次のような案を発表した。

 北朝鮮が核開発を中断し、実質的な非核化に転換すれば、その段階に合わせて北朝鮮の経済・民生の画期的な改善に向けて支援する。その方法は、大規模食料支援▽発電・送電・配電のインフラ支援▽港湾と空港の現代化▽農業技術支援▽医療インフラの現代化▽国際投資と金融支援プログラム――など。

 同17日の就任100日の記者会見では「重要なことは南北間の持続可能な平和定着」と強調したうえ「北朝鮮にさまざまな経済的・外交的支援をして、北朝鮮が自然に変化するならば、その変化を歓迎する」と呼びかけた。

 韓国政府高官は現地メディアに、大胆な構想を「北朝鮮にボールを渡すと同時に、国際社会の呼応を引き出すためのもの」との認識を示している。

 韓国各紙の報道を総合すれば、「北朝鮮が非核化交渉のテーブルに出てくるだけで、対北朝鮮制裁の一部解除に向けて、一歩踏み出す」という意味になる。

◇核放棄意思、全くない

 この「大胆な構想」に対する金与正氏の回答が、今回の談話で示されたわけだ。

「でたらめの極み」

「青黒い大洋を干しあげて桑畑にしてみると言っているようだ」

「『非核・開放3000』のコピーにすぎない」

「われわれの国体である核を『経済協力』のようなものと引き換えにしようとする発想が尹錫悦の青い夢」

 ここで言及された「非核・開放3000」は、韓国の李明博(イ・ミョンバク)政権(2008~13年)の対北朝鮮政策で、北朝鮮が核兵器をはじめとする大量破壊兵器を放棄し、国の開放を選択すれば、10年以内に北朝鮮国民の1人当たり所得を3000ドルにまで引き上げることを約束する――というものだ。金与正氏はこれを「世人の注目どころか同族対決の産物として見捨てられた」「歴史のゴミ箱に押し込まれた対北政策」と酷評している。

 次に「国体である核」という表現は「核兵器は北朝鮮政権と同義語とみる」とも読める。これまでも北朝鮮は核を「宝剣」「体制維持・生存の砦」と位置づけており、これと同じニュアンスを押し出しているようだ。

 北朝鮮の戦略的目標は「核兵器を持ったまま米国をはじめとする国際社会と正常な関係を結ぶ」ことだ。核問題はあくまでも米国との「核軍縮交渉」を通じて解決するものであり、韓国との交渉事項ではないという考えが底流にある。

 それゆえ、金与正氏は、尹錫悦大統領が「まず北朝鮮が非核化措置を取るなら」という前提条件を語ったこと自体が不満で、談話によって「核問題にむやみに触れてはいけない」というメッセージを発信したとみられる。

◇“正解”を明らかに

 今回の談話には異例の言及があった。金与正氏は17日未明の巡航ミサイル発射に触れた。

「われわれの兵器試射地点は南朝鮮(韓国)当局が下手に軽々しく発表した温泉(オンチョン)一帯ではなく、平安南道安州(アンジュ)市の『クムソン橋』だった」

 こう“正解”を明らかにしたうえ、米韓の監視態勢を揶揄しつつ「諸元と飛行軌道が判明すれば、南側がとても当惑し、怖気づくことになる」と威嚇した。

 北朝鮮国営メディアは20日までに、巡航ミサイルの画像を含め、詳細は公開していない。

 金与正氏が言及した安州市は、米韓当局が発射場所とみる平安南道温泉郡の温泉飛行場から北東に約90キロ離れている。ただ、金与正氏の指摘にもかかわらず米韓情報当局は依然、「温泉一帯」という評価を変えていない。

 金与正氏の意図は何か。「発射地点を正確にとらえる」=「そこを打撃する能力がある」であり、米韓が発射地点やミサイル諸元をリアルタイムで判断できなければ、迎撃は不可能――金与正氏はこれを強調しようとしているようにみえる。

 さらに、諸元と飛行軌道に「韓国側が怖気づく」とあえて言及したのは、今回の巡航ミサイルが「新型の兵器」である可能性を示唆したようにも思える。

 レーダーの探知が比較的容易な弾道ミサイルとは異なり、巡航ミサイルは低高度を水平に飛行するため対空レーダーで捉えるのが難しい。韓国の軍事専門家は現地メディアに「『クムソン橋』で発射され、低高度に飛行しながらレーダー探知を避け、温泉一帯で高度を上げた可能性がある」との見解も示している。

 そもそも、米韓当局が平時に投入できる監視・偵察資産には限界があり、分析に誤りが生じることもある。米韓当局は、情報資産が明らかになるのを防ぐため、追加の分析について内容は明らかにしていない。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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