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中国テニス選手のセクハラ告発で目立ってしまった「目立たなかった元副首相」

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
バッハ会長(左)と握手する張高麗氏=新華網より筆者キャプチャー

 中国の著名女子プロテニス選手、彭帥(Peng Shuai)さんの動静に注目が集まるなか、告発された中国共産党最高指導部の元メンバー、張高麗(Zhang Gaoli)元副首相の人物像にも焦点が当たっている。張高麗氏は、表情をほとんど変えない、厳格な印象を持つ高級幹部だっただけに、告発内容とギャップが際立っている。

◇「『退屈な官僚のイメージ』そのもの」

 張高麗氏は中国共産党政治局常務委員だったころ、中国中央テレビなど国営メディアに頻繁に露出していた。ただその表情はいつも硬く、笑顔を見せたりすることはほとんどなかった。米シンクタンク「戦略国際問題研究所」(CSIS)のジュード・ブランシェット氏は米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)の取材に「張高麗氏は中国共産党が必死になって映し出してきた『退屈な官僚のイメージ』そのものだ」と表現している。

 張高麗氏は、石油関連会社の社長を経て、広東省や山東省、天津市など、中国で急成長する沿岸部で次々と指導的地位に就き、その間、スキャンダルも遠ざけてきた。

 そんな張高麗氏について、NYTは次のような人物評を書いている。

「私生活のすべてを中国共産党の支配層に捧げた幹部として、常に厳格で、保守的な姿勢を貫いた」

「文化大革命後の劇的な変化のあとに台頭した世代の役人。習近平(Xi Jinping)国家主席の前任である胡錦濤(Hu Jintao)氏が率いた集団指導のスタイルを堅持し、脚光を浴びないようにしていた」

 それゆえ「言動に細心の注意を払っていた張高麗氏は、世界を揺るがすスキャンダルの主人公になるような人物には見えなかった」(NYT)というわけだ。

 中国国営新華社通信は、張高麗氏の趣味を読書、チェス、テニスと紹介している。

◇中国とIOCの一致した思惑

 彭帥さんは今月2日、張高麗氏を中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」で告発したものの、投稿は20分程度で削除された。関係者の多くが2週間以上も彭帥さんと連絡が取れなかったため、著名テニス選手らから安否確認を求める声が上がり、女子テニス協会(WTA)も中国市場からの撤退を示唆するなど強硬姿勢を見せてきた

 一方、北京冬季五輪が約3カ月後に迫るなか、開催国・中国や国際オリンピック委員会(IOC)は、この問題がボイコットにつながるなど開催に悪影響を与えるのを避けるため、事態の収拾を急いだ。

 中国政府の立場を代弁する共産党機関紙・人民日報系「環球時報」の胡錫進(Hu Xijin)編集長は、中国で閲覧が禁じられているツイッターを使って、あえて英語で、彭帥さんに関する情報を発信した。彭帥さんが20日に友人らと食事した▽北京で21日開かれた青少年向けテニス大会決勝戦の開会式に姿を現した――とする内容で、動画も投稿されている。ただ、彭帥さんの声は確認できないようになっている。これを受け、中国外務省の趙立堅(Zhao Lijian)副報道局長は22日の記者会見で「これは外交問題ではない。彼女は公のイベントに出席した」と主張したとされる。

 IOCのバッハ会長も動いた。21日に彭帥さんとオンラインで約30分間通話し、「北京市内の自宅で、安全であり、元気にしている」という話を聞いたそうだ。IOCは彭帥さんがバッハ氏と笑顔で通話する様子を収めた写真を公開した。だが映像は公開されず、本人のコメントは伝わってこない。

 そもそも「連絡が取れない」はずの彭帥さんと、バッハ氏が通話できたこと自体、中国当局とIOCが連携してこの問題の着地点を探ってきたことの証左といえる。同時に、彭帥さんが中国当局の管理下に置かれていることを示す根拠ともなった。

 バッハ氏と言えば、東京五輪開幕前、「ジャパニーズ・ピープル」と言うべき場面で「チャイニーズ・ピープル」と言い間違え、「頭の中は日本よりも中国」と揶揄された人物。張高麗氏とも旧知の仲で、2016年に訪中した際にも、当時の五輪担当だった張高麗氏と面会している。

 一連の“露出”は、彭帥さんを気づかう選手や関係者を安心させる目的だったが、かえって疑念を深める形となり、西側のメディアを中心に「IOCが中国共産党の悪質なプロパガンダの共犯者になった」「五輪が開催される中国を守るためのショー」などと批判が相次いだ。

◇説明責任よりも秘密や管理

 現時点で、彭帥さんの告発の真偽が確認されたわけではない。趙立堅氏も「彭帥さんを取り巻く注目が『悪意のある憶測』になっている」と開き直っているようだ。

 中国当局は今、この問題を完全にタブー視し、自国のインターネット上で関連情報を閲覧できないよう規制している。彭帥さんと張高麗氏のコメントも見当たらない。

 振り返れば、習近平政権は初期のころ、「反腐敗」を掲げて高官のスキャンダルを大々的に報じていた。政権は党の浄化に真剣に取り組んでいることを強調し、国民もそれを支持していた。

 だが今は、説明責任よりも秘密や管理を重視する傾向が強まっている。問題を公に語ることが、習近平政権そのものの批判と受け止められる風潮もある。

 中国はこれから、この問題をどう扱うか。中国情勢に詳しい英ジャーナリストのルイザ・リム氏はNYTに、中国当局の立ち位置の難しさを次のように表現している。

「たとえ中国側が彭帥さんの告発を否定したとしても、『否定すること』がかえって、彼女の告発に一定程度の信ぴょう性を与えることになってしまう」

 張高麗氏は2018年に引退した後、政治の表舞台から姿を消している。中国では一般に、最高指導部メンバーまで務めた幹部に対して、高級住宅が用意され、質の高い医療が施されるなど、手厚い特典があるといわれる。ただ、警護・監視の対象ともなり、どこでだれに会ったのかも現指導部に報告されているといわれる。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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