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中国が米アカデミー賞作品を国民に見せないこれだけの理由

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
「ノマドランド」のジャオ監督(右)と主演のフランシス ・マクドーマンドさん(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 米アカデミー賞作品賞を映画「ノマドランド」が射止め、中国出身のクロエ・ジャオ=中国名・趙婷(Zhao Ting)=監督(39)が監督賞を獲得した。国際舞台で「中国」の名声をとどろかせたにもかかわらず、中国国内ではアカデミー賞の報道が規制されている。いったい何が起きているのか。

◇「アカデミー賞は開催されていない?」

 当初、ノマドランドは中国でも大々的に評価されていた。

 今年2月末、この作品が米映画賞「ゴールデン・グローブ賞」の作品賞と監督賞を受賞した際、中国国営メディアは歓喜にわき、3月初めごろには「北京出身の趙さん」「中国の誇り!」という賞賛が駆け巡っていた。

 ところが、これを契機に中国のネットユーザーによってジャオ氏の過去の発言が蒸し返され、それが問題視されるようになった。

 ジャオ氏は2013年、米映画雑誌のインタビューで「私が若かったころ、中国での生活は嘘であふれていた」と語っていた。

 オーストラリアのメディアがジャオ氏の「しょせん、米国は私の国ではない」という発言を「結局、今は米国が私の国なのだ」と間違って伝えたことも重なり、中国の民族主義者を刺激した。「ジャオ監督は中国人なのか、米国人なのか」と勘ぐる動きが活発化し、「米国人なら、なぜ中国はジャオ監督の成功を祝うべきなのか?」という論調にもつながった。

 これが中国国内で広がり、賞賛から一転、「ジャオ氏は中国を侮辱している」と批判の対象となった。

 以上の背景があり、今回の歴史的な受賞に関し、中国国内で厳しい制限がかけられている。中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」では「趙婷」「ノマドランド」「アカデミー」などが「不適切表現」とされているもようで、関連する投稿の大半がネットから削除されている。中国最大の検索エンジン「百度(Baidu)」でキーワード検索しても、受賞に関するニュースは見当たらない。代わりに、今年3月に人民日報系「環球時報」の胡錫進編集長が書いた解説が上位に表示され、そこには「遅かれ早かれ、ジャオ監督は自分の言ったことの代償を払わなければならない」と書かれている。

 中国外務省の汪文斌(Wang Wenbin)副報道局長は26日午後の定例記者会見で、「ノマドランド」やジャオ監督への検閲に関して問われ、「それは外交問題ではない」と回答を避けている。

 微博ユーザーには当局の措置への違和感や皮肉を書き込む人がいる。

「リツイートや『いいね!』もブロックされてしまうのはなぜか。なぜ『本当のこと』をいう監督の話を聞くことができないのか」

「変だな~。今年は米国でアカデミー賞は開催されていないのかな。もう4月なのに、ニュースがない」

 ノマドランドは中国で今月23日に公開される予定だったが、現地ではまだ上映が始まっていないようだ。ネット上では「劇場から映画が撤去された」との情報も伝えられており、事実上の上映中止ではないかとささやかれている。

◇中国社会の問題点を連想させる

 ジャオ監督は北京で生まれ育ち、ロンドンの寄宿学校やカリフォルニアの高校などを経て、最終的にニューヨーク大学で映画製作を学んだ。ノマドランド以前は、低予算映画「Songs My Brothers Taught Me」(2015年)や「The Rider」(2017年)で高い評価を受け、知名度を上げた。

 父・趙玉吉(Zhao Yuji)氏は中国共産党員で上海の名門・復旦大学で経済学修士を取得。30歳にして中国の有力企業を経営し、人民解放軍関連企業のトップも務めた。現在は有力投資会社の董事長という著名人だ。その趙玉吉氏は妻と離婚後、ジャオ氏を引き連れて中国の著名俳優である宋丹丹(Song Dandan)氏と再婚している。

 こうした経歴からジャオ氏に関して「そもそも裕福な中国人の子供であり、恵まれた環境にあった」と、うらやむ声がささやかれていた。ただそれ以上に「裕福でも家庭環境は複雑だった」「縁のない異国の文化を理解し、それを本物のように表現した」「作品が評価されたのは努力と才能のたまものだ」という評価のほうが目立っていた。

 米雑誌に掲載されたプロフィールでは、中国の北方民族を「私の同胞」と呼び、「自分は中国から来た」と表現していた。生まれ育った国と、自分を大きく成長させてくれた国との間で感情が揺れ動き、「自身のアイデンティティが変化している」とも口にしていたようだ。

 ノマドランドは、過酷な季節労働の現場を渡り歩く現代のノマド(遊牧民)の姿を描いている。主人公の車上生活の女性が、その日その日を懸命に生き、行く先々でノマドたちとの出会いと別れを繰り返し、心の交流を重ねるという物語だ。旅する米国人の生活を繊細に描いたもので、監督を除けば、中国との直接的関係はみられない。

 中国の研究者の中にはノマドランドを積極的に上映すべきだと主張する声もある。

「中国が台頭して米国が衰退するという、中国政府の宣伝機関が発信してきた物語にピッタリの映画ではないか。米国の下層市民の危機、人々の困難な生活を深く描き出している。これを見せれば、中国式への自信、社会主義への誇りが強まるはずだ」

 一方で、ノマドランドは中国社会の問題点を連想させる映画でもある。この映画から読み取れる「高齢者」「格差」「棄民」「放浪」というキーワードは、まさに中国が直面、あるいは直面しようとしている課題のように感じられるからだ。

 中国の前途には超高齢化社会の闇が待ち受け、国内の貧富格差は深刻化するばかりだ。そんななかで棄民・放浪が続出すれば、統制がきかない国民が増えることになり、これは中国当局の脅威になり得る。

 ノマドランドには中国語で「無依之地」(身寄りのない地)というタイトルがつけられている。「誰も頼れない」という概念が「中国政府はあてにならない」「共産党は頼りにならない」という批判に関連づけられる――こんな懸念があるのかもしれない。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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