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新型コロナ危機最中の金正恩氏「重病説」……外部からの北朝鮮独裁体制揺さぶりか

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
金委員長の現地指導を伝える中央日報のウェブサイト(筆者キャプチャー)

 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の「重病説」が米国発で流され、その真偽の確認が続いている。北朝鮮が新型コロナウイルス阻止のため国を閉鎖状態にし、強烈な経済的打撃を受けている。そんな中で独裁的指導者の健康不安情報が広まれば、国内に動揺が広がりかねない。北朝鮮は近く、国営メディアを通じて「重病説」の打ち消しを図るとみられる。(参考資料:「二重の閉鎖」で北朝鮮経済にさらなる危機)

◇「最高尊厳」の「絶対秘密」

 金委員長の「重病説」について、韓国大統領府関係者は「金委員長は現在の側近らと地方に滞在中と把握している」「正常に活動しているとみられる」「党、内閣、軍部のどこにも特別警戒のような動きはない」と火消しに務めている。韓国紙・中央日報も22日に独自情報として、金委員長が北朝鮮の江原道で、非公開の現地指導をしていると報じている。

 一方、米国は「誰も確認していない。報道通りなら非常に深刻な状況であるが、彼が健康であることを願う」(21日・トランプ大統領)、「どのような状況にあるかわからない。(後継問題は)時期尚早だ」(オブライエン大統領補佐官)と確認を避けている。

 北朝鮮にとって金委員長は「最高尊厳」であり、その動静に関する情報は厳しく管理される。特に健康問題は「絶対秘密」であり、北朝鮮住民には「口にするだけで処罰される」たぐいのものでもある。

 しかし今回、国外でその「絶対秘密」が報じられ、国際社会に不完全な形で広まっている。そこから「後継者はどうなる?」「北朝鮮内部で権力争いが生じないか」などの論議が導き出されたのち、何らかの形で国内に伝われば、住民の動揺に結び付いてしまう。当局は早急に「重病説」を打ち消す必要性があり、朝鮮労働党宣伝扇動部を中心に発信方法を検討しているようだ。

◇父親のころの健康不安説

 今回の「重病説」を読み解く際に参考となるのが、父・金正日総書記の事例だ。

 金総書記は08年8月14日に軍部隊視察が伝えられた後に動静が途絶えた。9月9日の建国60周年という節目の行事に姿を現さなかったことで、米AP通信が西側情報関係者の証言を引用する形で「金総書記が祝賀行事に参加しなかったのは、重い病気であるため」「深刻な健康障害」「おそらく脳卒中を患った」と伝えた。

 金総書記は美食家のうえ、若いころから暴飲を繰り返してきた。50歳を越えたころから、健康不安説が韓国メディアを中心に報じられるようになり、心臓疾患や肝疾患、糖尿病、腎臓病のほか、肥満により「血中コレステロール数値が高い」などの話がたびたび伝えられていた。ただこれが「生命の危険」という見立てにつながるわけではなかった。

 ところがAP通信など欧米メディアが当局者の話に基づいて「重病説」を伝えたことでモードが変わり、それを裏付ける情報が次々と発信されるようになった。重病説は規定路線となり、「ポスト金正日」時代について議論されるようになった。金総書記の動静は約50日後の10月4日に再び伝えられた。

 この当時、北朝鮮側は「重病説」について「一顧の価値もないどころか、一つの謀略策動だとみなしている」(宋日昊・朝日国交交渉担当大使)としきりに否定していた。だが、実際には「一時、昏睡状態に陥っていた」(金総書記を治療したフランスの神経外科医)という深刻な状況だった。

 当時の各国政府も「具体的な内容はコメントしない」(日本の町村信孝官房長官=当時)、「確認できない。コメントする立場にない」(米国務省のマコーマック報道官=当時)などと言及を避けていた。

 脳卒中で倒れる2カ月前、金総書記は、平壌を訪問していた習近平・中国国家副主席(当時)と会談していた。当時、筆者が取材した中国側関係者は「金総書記はこのころから調子が悪く、判断力が急激に低下していると感じた」と話していた。

 最高指導者に異変が起きたという情報が広まれば、統治システムにほころびが生じる。そこに付け込んで金王朝を倒そうと考える勢力が現れる恐れがある――北朝鮮当局が最も懸念しているのはこのシナリオだろう。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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