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近代サッカー史を彩ったウクライナとロシア両国が輩出したレジェンドたちと、両代表チームが残してきた足跡

中山淳サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人
2006年W杯で初出場を果たしたウクライナ代表の主将シェフチェンコ(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

大きな転換期は旧ソ連代表の分裂

 アジアでは日本を含む4チームが予選突破を確定。今年11月21日に開幕するW杯カタール大会出場が決定したが、激戦区ヨーロッパでは残り3枠となった本大会出場権を巡って、プレーオフが開催されている。

 しかしながら、プレーオフに出場予定だったロシア代表には出場禁止措置が適用され、ウクライナ代表はスコットランド代表とのプレーオフ準決勝が6月(予定)に延期となった。

 ロシア代表とウクライナ代表。昨夏に開催されたユーロ2020にも出場していた両国は、過去を振り返っても、間違いなくヨーロッパの有力チームに数えられる。実際、代表シーン、クラブシーンにおいて、サッカーファンの記憶に残る好チームが生まれ、数多くの名選手を輩出してきた。

 今から約30年前の1991年12月、旧ソビエト連邦が解体されると、一時的に旧ソ連代表チームは、バルト3国(ラトビア、リトアニア、エストニア)を除いてCIS(独立国家共同体)代表チームを編成。スウェーデンで開催されたユーロ92に出場した。

 その後、旧ソ連代表を現ロシア代表が継承すると、それ以外の独立国にはそれぞれの代表チームが設立された。

 ウクライナ代表もそのひとつで、その他にはジョージア代表、モルドバ代表、ベラルーシ代表、アゼルバイジャン代表、アルメニア代表、カザフスタン代表、そして現在アジアサッカー連盟に属するウズベキスタン代表、キルギス代表、タジキスタン代表、トルクメニスタン代表が誕生している。

サッカー史を彩る両国の名選手たち

 旧ソ連代表チームの分裂後、初めて迎えたW杯が1994年アメリカ大会だった。

 ウクライナ代表が不参加を決めた一方、パヴェル・サディリン監督率いる新生ロシア代表は予選突破を果たして本大会に出場。残念ながらグループリーグで敗退したが、カメルーン戦で5ゴールを量産したオレグ・サレンコが大会通算6ゴールを記録し、ブルガリア代表の名手フリスト・ストイチコフとともに大会得点王に輝いている。

 ちなみに、当時は過渡期ということもあって、ウクライナ出身の名DFヴィクトル・オノプコもロシア代表としてW杯に出場。また、マンチェスター・ユナイテッドのレジェンドのひとりでもあるアンドレイ・カンチェルスキスも、ウクライナ出身選手ながらロシア代表でプレーしていたが、こちらは大会前に監督との確執から出場を辞退した(ユーロ96ではロシア代表として出場)。

 ロシア代表は、その後もアレクサンドル・モストヴォイやヴァレリー・カルピン(現ロシア代表監督)らを擁してユーロ96の舞台に立ったが、次第にタレントが枯渇。98年W杯とユーロ2000で予選敗退の憂き目に遭い、8年ぶりに出場した2002年W杯でも、ホスト国の日本に敗れてグループリーグ敗退に終わった。

 一方のウクライナでは、ロシアが下降線を辿り始めた90年代後半に入ると、旧ソ連時代に多くの代表選手がプレーしていた名門ディナモ・キエフが、世界的名将ヴァレリー・ロバノフスキー監督のもと、クラブシーンで旋風を巻き起こした。

 とりわけチャンピオンズリーグの舞台で脚光を浴びたのが、アンドリー・シェフチェンコとセルゲイ・レブロフのアタックコンビだった。

 多くのサッカーファンの記憶に刻まれるのは、1997-98シーズンのグループリーグ第4節だろう。バルセロナの本拠地カンプ・ノウで、シェフチェンコが前半だけでハットトリックを達成し、後半にレブロフがダメ押しゴールを決め、0-4で完勝した伝説の名勝負だ。さらに翌シーズンには準々決勝でレアル・マドリードを撃破し、ベスト4入りを果たしている。

 シェフチェンコもレブロフもまだ当時は20代前半。ディナモ・キエフの躍進がそのまま代表チームの成績に反映されるまでには時間を要し、98年W杯、ユーロ2000、2002年W杯、ユーロ2004と、たて続けに予選敗退。そこで登場したのが、旧ソ連代表のレジェンドのひとりで、現役時代にはバロンドールを受賞したこともあるウクライナの英雄、オレグ・ブロヒン代表監督だった。

 ブロヒン監督は、2006年のドイツW杯で、ウクライナ史上初となる本大会出場に導くと、本大会でもラウンド16でスイスを破ってベスト8に進出。準々決勝ではイタリアの前に涙を呑んだが、29歳になったシェフチェンコと32歳のレブロフがW杯のピッチに立ったことは、ひとつの時代の象徴的出来事として、ウクライナのサッカー史に刻まれている。

 ちょうどその頃は、ロシアもウクライナも豊富なエネルギー資源をベースに飛躍的な経済成長を遂げていた時代。特にロシアでは各クラブに大企業の資本が投下されるようになって、国内リーグが発展期に突入する。次第に地方クラブの成長が顕著になり、サンクトペテルブルクを本拠地とするゼニト、カザンを本拠地とするルビンが国内タイトルを制するようになっていった。

 その時代を象徴する出来事が、2007-08シーズンにアンドレイ・アルシャヴィンを擁するゼニトが成し遂げたUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)初優勝の快挙だ。そのアルシャヴィンを大黒柱とするロシア代表も、フース・ヒディンク監督の下、オーストリアとスイスで開催されたユーロ2008に出場すると大躍進。準々決勝でオランダを破ってベスト4進出を果たしている。

いち早く平和が戻ることを願うばかり

 2010年代になると、力強い経済を手にした両国は、競技面以外でもヨーロッパサッカー界の先頭集団に加わった。2012年、ウクライナはポーランドとともにユーロのホスト国になり、2018年にはロシアがW杯を初開催。

 残念ながらウクライナは自国開催のユーロでグループリーグ敗退となったが、ロシアは過去最高成績となるベスト8に進出。ロシア国民も大いに盛り上がったことは記憶に新しい。

 近代サッカー史において、このような発展を遂げてきたロシアとウクライナ。この両国の代表チームは、ユーロでは直近3大会で同時出場を果たしているが、まだ同じW杯の舞台に立ったことはない。

 平和のうえに成り立っているのがスポーツゆえ、現在の国際情勢を鑑みれば、今回のプレーオフの措置はあって然るべきだと言えるだろう。そして今後も、今回の戦争が両国のサッカーにどのような影響を及ぼすのか、見通せない状況が続く。

 いち早く平和が戻り、またロシアとウクライナのサッカー界が日常を取り戻すことを願わずにはいられない。

(集英社 Web Sportiva 3月22日掲載・加筆訂正)

サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人

1970年生まれ、山梨県甲府市出身。明治学院大学国際学部卒業後、「ワールドサッカーグラフィック」誌編集部に入り、編集長を経て2005年に独立。紙・WEB媒体に寄稿する他、CS放送のサッカー番組に出演する。雑誌、書籍、WEBなどを制作する有限会社アルマンド代表。同社が発行する「フットボールライフ・ゼロ」の編集発行人でもある。

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