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在職老齢年金は改正すべきか

中田大悟独立行政法人経済産業研究所 上席研究員
(写真:アフロ)

在職老齢年金をめぐる議論が、結果として残念な結果となりそうです。在職老齢年金とは、60歳以降も厚生年金加入者として働く人が受給する老齢年金のことで、年金と給与を合わせた月収額に応じて年金額が減額される制度のことを指します。この制度は65歳未満と65歳以上で、年金減額が始まる基準が異なります(65歳未満:月28万円、65歳以上:月47万円)が、65歳未満については、今後、支給開始年齢の65歳引き上げが完了する(男性2025年、女性2030年)ため、自然解消されてしまいます。しかし、65歳以上については、今後もこの問題は残ることになります。

厚生労働省は、当初、60歳以上のすべての厚生年金加入高齢者について、在職老齢年金が発動する基準額を月62万円に引き上げる案を提示しましたが、政治的な批判を招き、基準額を月51万円とする妥協案を提示したものの、批判は収まらず、月47万円に揃える(つまり65歳未満は基準引き上げ、65歳以上は据え置き)という結論に落ち着こうとしています(自民党の年金委員会がこの案で了承したとの報あり)。

政治的に折れるしかなかった改正案

そもそもですが、現行制度において在職老齢年金を改正する(つまり基準額の撤廃や引き上げ)は、非常に難しい構造になっています。2004年制度改正(俗称100年安心プラン)以降、公的年金の保険料率は上限固定(労使合計18.3%)され、今後の年金会計に入ってくる保険料収入は概念上、固定されています。この中で、いますぐ在職老齢年金を変更するということは、所得階層間と世代間でパイを奪い合うゼロサムゲームのような側面があります。

高所得者優遇批判

まず起こった批判は、高所得者優遇という批判でした。厚生労働省年金局が社会保障審議会年金部会に提示した資料によると、65歳以上の受給権者のうち、現在、在職老齢年金の対象となっている(月収47万円以上)は1.5%程度に過ぎず、当初案の62万円となるとその比率は0.9%となります。

現在の厚生年金の平均受給額(基礎年金含む)はおおよそ15万円程度ですし、社会には国民年金のみ、しかもその国民年金でさえ減額された金額でしか受給できない高齢者も多いわけですから、この在職老齢年金にかかるような人たちは、紛れもない高所得者です。このような人たちの月収額を引き上げるような制度改正は、政治上好ましくないと捉えられたわけです。

世代間格差批判

さらに、改正案は世代間格差の観点からも批判を浴びます。同資料によれば、厚生年金モデル世帯の所得代替率(年金額と現役世代平均給与との比率)について、先の財政検証において推計された50.8%(ケースIII、2047年時点)が、65歳以上の基準額を当初案のとおり62万円まで引き上げると、50.6%へと、なんとなんと0.2%もの減少になると報告されました。つまり将来の年金給付が減る、という推計です。

この手の研究を生業としている私のような者からみれば、これくらいの変化は、推計の仮定の置き方次第でいかようにでも生じる程度の差でしかないのですが、政治的には世代間格差を広げるかに思えるような方向に政策の舵を切ることは難しく、政策への逆風となりました。

在職老齢年金の改正により生じるであろうこれらの問題は、後述するように、これらは本来、税も含めた総合的なパッケージで対処するべき課題であるのですが、そこまでの議論の余裕はない(桜吹雪で忙しい)というのが、現在の政治状況ということだと思われます。

不運だった厚生労働省

在職老齢年金制度の改正には、上記のような側面がある限り、政治的な摩擦は避けられない話であったわけですし、厚生労働省がそのことを知悉していなかったわけはありません。厚生労働省は、それでも今回、あえて長年の課題であった在職老齢年金改正に踏み切ったとみるべきです。在職老齢年金制度は、年金減額を通して年金財政の安定性に寄与する制度ではありますが、高齢者の就業抑制を招いているとの批判が、根強くありました。厚生労働省は、そこにメスを入れようとしたわけです。

追い風とみられたのは、内閣が掲げる「全世代型社会保障」の金看板です。働く高齢者を増やし、社会全体で社会保障を支えていくという政策的流れの中で、高齢者の就業抑制の要因となっていると考えられる同制度の改正の絶好の機会と捉えられたのは、無理からぬことです。

ところが今回は、そこを突破するだけの政治的なエネルギーに欠けていたと言わざるを得ません。特に、余計なスキャンダルで政局が動き始めたことから、前回の衆院解散から2年以上が経過した現在、逆に与党が逆風を吹かし始めました。結果として、政治に背後から撃たれるような目にあってしまった厚生労働省には、同情の念さえ覚えます。

年金の原理原則からは完全撤廃が望ましい

高所得者優遇批判の論拠として、例えば日本経済新聞の社説(2019年12月2日付)は、在職老齢年金改正を「年金は稼得能力を失ったときの社会保険という基本的な考え方に逆行する」と批判しています。しかし、これは年金保険の機能の一部を拡大解釈しているに過ぎません。

たしかに、年金には引退後(つまり稼得能力を失った状態)の所得保障という機能があります。この点からみれば、まだ十分な労働所得を得る能力を持つ者が年金を受給する必要性はない、となります。しかしこの機能だけで年金を測るならば、煎じ詰めれば、老化や病気、障害で働く能力を失ってしまった者だけに年金給付を行えばよいという理屈になってしまいます。

年金には、他にもいくつかの機能があり、そのひとつは強制貯蓄の機能です。人間というのは、とかく近視眼的であり、貯蓄が過少になりがちであるということを見越して、政府が保険料として徴収し、年金を給付することで、現役時と老後の所得を平準化させるという機能です。

特に、年金のうち報酬比例部分の給付は、この機能を強く担っています。厚生年金は定率で保険料が徴収されますが、給与の高い人は高い年金保険料を支払い(例えば標準報酬月額が50万円であれば月額91,500円)、給与の低い人は低い年金保険料を支払います(例えば標準報酬月額が20万円であれば月額36,600円)。しかし、その結果として、現役時を通じて高所得であった人は高い給付額を得ますし、その逆もしかりです。

このような機能は、給付反対給付均等原則という保険の原則に裏付けられています。要は、給付額と保険料拠出額は比例していなければならない、という保険の原則です。損害保険などであれば、高額保障の保険は保険料が高い、という当たり前の原則ですが、年金においても、保険料を多く支払った者は給付額も連動して高まるという原則になります。

在職老齢年金は、年金を受給できる年齢に達したが、幸いにも所得が高いという人に、本来あるべき給付を支払わないという制度ですから、この原則から逸脱したものになります。この点からみれば、本来は在職老齢年金を完全撤廃して、ルールとして約束していたものは、(保険数理)公平的に支払うというのがあるべき姿と捉えることも可能です。

高所得層には税制改正で対応すれば良い

とは言うものの、やはり高所得者に年金の原資が使われることに、不公平感を抱かれる人も多いと思います。それに対する私の応えは、高所得には税で対応すべき、ということです。

現在、所得課税の中で、年金給付は公的年金等控除の対象として扱われており、その大部分が課税の対象から外れています。通常、年金は、拠出・運用・給付のどれか一つのタイミングで課税されることになるのですが、日本の場合、保険料を拠出した時点で非課税、運用時も非課税、給付時も実質的に大部分が非課税というのが実態です。

したがって高齢高所得者への対応は、この公的年金等控除を見直して、高所得層により多くの負担を求めるように税制改正を行えば対応可能といえます。年金は、給付と負担のルールに基づいて、可能限りシンプルに設計して人々に見通しを与えやすくしておいて、公平性は税で担保するのというのが、本来あるべき姿といえます。

また、高齢者の場合、格差はフローの所得(収入など)だけで生じているのではなく、ストック(資産)でも生じているものです。公平性のすべてをフロー所得への課税で追求するのは、甚だ道理に反します。垂直的公平性(高所得と低所得の間の公平性)は、年金の内部で行うのではなく、年金課税と資産課税の両面から見直しを行い、税制で一体的に取り扱うのが本筋であるといえるでしょう。

財務省と厚労省

このように述べてみたところで、次のように思われる方も多いと思います。即ち、「高所得層から税を取ったところで、年金財政がよくなるわけではない」という批判です。これは実にごもっともな批判です。

税は財務省が所管しており、社会保険は厚生労働省が所管しています。したがって、年金課税を強化して、税収を増やしてみたところで、その税収は財政の持続可能性強化に向けられることはあっても、社会保険の安定化には向けられないのではないか、という疑念が生じます。おそらく、財務省と厚生労働省が独立に意思決定すれば、このようになる可能性が高いでしょう。

しかし、これこそが政治の役割といえるところです。例えば、年金課税であげられた税収を、現役世代の保険料負担の軽減に投入する、と政治が意思決定し、それを国民に約束すれば、財務省と厚生労働省間で調整が進みますし、世代間格差の是正や年金財政の安定化にも寄与します。

政府が掲げる全世代型社会保障や一億総活躍社会の実現は、年齢や性別で社会的役割が固定化されることなく、社会の支え手が増えていくことが最も重要な課題です。その意味からも、ブレーキとアクセルを同時に踏むような政策は、可能な限り廃していく必要があります。全世代型社会保障の実現には、税と社会保障を一体的に見直す必要性があるのですから、各省庁内での奮闘に任せるのではなく、積極的に政治がイニシアティブをとって、改革の全体像を国民に示すことが望まれます。

繰り下げ受給の姑息な「減額」を止めよう

さりはさりとて、もう在職老齢年金の改正案の方向性は、政治の上では粗方固まったと考えるべき段階ですから、原理原則論を振りかざして、けしからんと言ってみたところで詮無きことです。

そこで、在職老齢年金改正を補完する「改正案」を提示したいと思います。それは、繰り下げ受給制度の再改正です。

現行の年金制度では、自主的に選べる年金の受給タイミングの上限として、70歳が設定されており、仮に70歳に受給開始とした場合、給付額が42%増額されることが謳われています。しかし、この制度にはトラップがあります。もし受給開始を70歳まで遅らせたとしても、それまでの間、頑張って働いて在職老齢年金制度に適用されるような給与所得を得てしまっていたら、その在職老齢年金で減額された部分については、繰り下げ受給の増額対象としてカウントされないのです。

社会保障審議会年金部会(2019年10月9日)提出の年金局資料より抜粋
社会保障審議会年金部会(2019年10月9日)提出の年金局資料より抜粋

つまり、政府の方針どおりに65歳を過ぎて頑張って働いて、年金も我慢して社会に貢献し、引退していざ年金をもらおうとしたら、全く増額されない、ということが起こりうる制度になってしまっているのです。この制度は、2004年の年金制度改正(俗称100年安心プラン)のときに、ひっそりと導入されたもので、それ以前にはなかったものですが、これを撤廃すれば(再改正すれば)、政府が掲げる全世代型社会保障制度や一億総活躍社会の実現に資するものとなると考えますが、さて、如何でしょうか。

[追記]

在職老齢年金制度の就業抑制効果は65歳以上については不明確、という指摘があります。たしかに実証研究において、これが明確に確認されたということはありません。難しいのは、65歳以上で働いているという人は、すでに65歳未満の在職老齢年金を乗り越えて働いていた人たちであり、この世代をサバイブしてきた人たちが在職老齢年金適用者の多くを占めるため、検証しにくいという技術的な問題があります。したがって、就業抑制効果が否定されたということではない、ということには注意が必要です。

独立行政法人経済産業研究所 上席研究員

1973年愛媛県生れ。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科単位取得退学、博士(経済学)。専門は、公共経済学、財政学、社会保障の経済分析。主な著書・論文に「都道府県別医療費の長期推計」(2013、季刊社会保障研究)、「少子高齢化、ライフサイクルと公的年金財政」(2010、季刊社会保障研究、共著)、「長寿高齢化と年金財政--OLGモデルと年金数理モデルを用いた分析」(2010、『社会保障の計量モデル分析』所収、東京大学出版会、共著)など。

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