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難病患者支援は本当に前進か~厚労省は同じ過ちを繰り返すのか?

中田大悟独立行政法人経済産業研究所 上席研究員

難病対策は前進している?

野党の強い反対がありつつも、現在開会中の第185回臨時国会において、社会保障改革プログラム法案が可決される見通しになっています。これで現政権による社会保障制度改革の、大枠としての工程表が国民に約束された形になったことは、ひとまずは評価すべきことです。

社会保障改革プログラム法は、まさに工程表であり、個々の制度改正の中身については、今後の議論にゆだねられているわけですから、野党が強硬に反対する理由は無いようにも思われますが、この工程表と平仄が合うように、今現在議論されている制度改正の中に、危惧せざるえない内容が含まれているのも事実です。なかでも、深刻と思われるのが難病患者への支援策の制度改正案です。

難病対策として、現在検討されている主な内容だけでも、以下のようなものがあげられます。

  • 難病患者データベースの整備と有効活用
  • 難病医療の拠点病院、地域基幹病院などの治療提供体制の整備
  • 公平で安定的な医療費助成の確立
  • 難病に対する国民理解の促進と社会参加、就業支援の拡充

個々の改正案や制度創設は、多くの難病患者への支援拡充につながるものであり、世界有数のわが国の医療制度が、さらに充実したものへと成熟する為にも必要性の高いものです。ただし、難病患者への医療費助成の改革案については、見過ごすことができない、重要な問題が含まれています。

政府案が示す難病患者助成の新しい姿

難病対策委員会で検討され、来年の通常国会で審議されるであろう、難病患者に対する新しい助成制度は、大まかに以下のようなものです。

  • 現行56疾患しか認められていない医療費助成の対象疾患をおおよそ300疾患に拡大(これに伴い助成対象患者は約78万人から100万人程度まで増大する見込み)
  • 症状の変動を考慮して入院外来を合算した医療費を助成する
  • 複数の医療機関での医療費を合算したうえで自己負担上限額を適用する
  • 「軽症」患者を助成対象から除外し、新規に設定する重症度分類に基づいて認定された「重症」患者に対象を限定する
  • 助成対象の難病患者の自己負担を現行の三割から二割に軽減するとともに、所得に応じた自己負担上限月額を別途設定する。

対象疾患を300疾患に拡充することは、これまで助成の対象とならずに高額の医療負担を負ってきた患者にとって喜ばしいことですし、入院外来の区別をつけずに助成するなど、支援が拡充されている面もありますが、同時に「軽症」患者の適用除外など助成制度の縮小を指向したかのような制度改正案も含まれています。助成対象から外れる「軽症」患者も、現在の継続的な治療の結果として「軽症」を維持している患者が多くいるであろうことは想像に難くないわけですから、負担増がこれらの患者の健康、生命に直結するような影響を与えないような措置が望まれます。

そして、最も懸念すべきは、所得に応じた自己負担の設定でしょう。厚生労働省の疾病対策部会難病対策委員会で提示された難病患者の自己負担金額を、議論された時系列で対比して視ると次のようになります。

難病患者の自己負担上限額(夫婦二人世帯の場合)
難病患者の自己負担上限額(夫婦二人世帯の場合)

一見して判るように、明らかな負担増が新制度に組み入れられています。自身が難病患者でもある作家・大野更紗さんが中心に活動されている「タニマーによる制度の谷間をなくす会」の試算(リンク先:東京大学「社会的障害の経済理論・実証研究」ウェブサイト)によると、世帯の稼得者が難病指定を受けた場合、現行制度であれば、治療費の自己負担が可処分所得に占める割合は2%以内に収まるのに対し、新制度案では最大11.7%にまで拡大すると推計されています(当初、難病対策委員会に出された新助成制度案では可処分所得の17.4%にまで負担が増大する所得階層もありました)。直近の報道によると、さすがにこれほどの引き上げは、あまりにも急激すぎるということで、最高2万円程度にまで抑える方向で再検討を進めるようですが、それでも、相当な負担増であることには変わりありません。

難病患者助成にかかる予算はいかほどか?

難病は、生きていれば誰でも、ある確率で罹患する可能性のあるビッグリスクです。原因不明で、かつ効果的治療方法が確立されていない難病患者は、人生の中で先の見えない戦いに挑まなければならない状況におかれているわけですから、公的な制度で可能な限りの支援が望まれる対象と言えるでしょう。

では、現行制度でこれらの難病患者の医療費助成に、どれほどの税財源が投じられているかというと、平成25年度予算において440億円、関連する保健福祉事業等を含めても総額549億円です。国民医療費は38.5兆円(平成23年度)ですから、相対的に見れば、その規模が存外小さいことに驚かれる方もいるかもしれません。また、所管も使途も全く違いますが、米の減反政策(生産調整)に参加することを条件として米農家に支払われる一律補助金「戸別所得補償制度」の予算額が年間1,552億円(平成24年度実績)ですから、その三分の一程度の予算で難病患者を支えている計算になります。

端的に言えば、難病医療の助成制度は、難病患者に多大な自己負担を求めてまで規模拡大の抑制を図らねばならないような制度ではないのです。確かに、この国のひっ迫した財政状況と毎年一兆円以上のペースで増大し続ける国民医療費を鑑みれば、野放図な拡大路線はいかなる制度であっても許されないわけですが、仮に政府が本気で医療費全体を効率化しようと考えるのであれば、難病医療費助成のような例外的な支出に手を入れるのではなく、日本的ゲートキーパー機能の導入、医療機関の機能分化、地域連携の強化といった、医療制度本体の改革へ斬り込んでいくべきでしょう。その方が財政的にはるかに大きな成果が得られます。しかし、そういった方向へは動きださずに、政治的な交渉力に恵まれているわけではない少数の人たちが関わる制度に、先ず手をつけるというのは、改革の順序としても正当性を欠いているように思われます。

難病患者の医療負担は生涯ベースで考えよう

厚生労働省の「患者調査(平成23年度)」によれば、その年に退院した患者の平均在院日数は32.6日間、後期高齢者に限ってみても50.2日間です。勿論、傷病の種類や地域によってバラつきはありますが、現在の日本では、治癒できる疾患であれば、平均的にこれだけの日数の治療で日常に戻る過程に入れるといえます。また、治癒までの総額医療費も、疾病によって差は大きいものの、ある範囲の金額内で想定できるものになるはずです。

しかし、難病の場合、状況は大きく異なります。難病の特徴として、原因が分からない、治療法が確立されていない、ということに加えて、疾患の影響が長期間にわたって続く、そしてその疾患が希少である、ということが挙げられます。稀に治癒できる患者もいますが、多くは生涯にわたって治療に取り組んでいかねばなりません。さらに、その疾病が稀なものであるがゆえに、治療に用いられる薬剤についても大量生産されることがないため、非常に高額になっているものが少なくありません。

この意味において、通常の疾病患者とおなじ基準で負担の水準を議論することには、極めて慎重な態度で臨む必要があります。月額の負担としては、通常の疾患と比べて低負担であったとしても、それが永続的に続く負担になるという前提の上で議論される必要があるのです。これに対し、政府は、新しい助成制度には三年程度の移行期間を設けるので問題は緩和される、という立場のようですが、三年経った後でも疾病と向かい合って生き続けなければならない難病患者の立場に立てば、これがいかに虚しい経過措置なのか、わかるはずです。

後期高齢者制度の苦い思い出

助成の対象疾患が300程度まで増えるなど、議論されている改正内容に評価できる点が全くないわけではありません。これによって、今後の治療生活に大きな希望を見出せる患者も少なくないでしょう。しかし、ある難病患者グループを救うために、他の難病患者グループを犠牲にするような、ちぐはぐな改正案であるのも事実です。

難病患者の生存権に直結するような負担の変化の問題に関し、先の参院の厚生労働委員会で、野党民主党の国会議員が、この改正案でどれだけの患者の負担が下がり、どれだけの患者の負担が増大するのか、という至極まっとうな質問を政府に投げかけました。驚くべきことに、これに対する政府の回答は、わからない、というものでした。この光景を視て、わたしは後期高齢者医療制度の導入前後の出来事を思い出さずにはいられませんでした。

後期高齢者医療制度は、急速に進展する人口高齢化の中で、高齢者も含めた国民全体で老人医療費を分担し合い、それまで国民健康保険に加入していた高齢者と被用者保険の被扶養者として医療保険に加入していた高齢者との間での保険料負担の不公平性を解消することが期待された制度でした。「姥捨て山」であるとか、様々な批判が寄せられた制度ですが、その方向性自体は間違っているわけではありません。そして、当時の厚生労働省は、後期高齢者医療制度の導入により、それまで国民健康保険に加入していた高齢者の保険料負担は減少する、と想定していましたし、様々な機会にその旨の答弁を出し、国民の不安を和らげることに力を注いでいました。

ところが、制度導入後の実態調査(長寿医療制度の創設に伴う保険料額の変化に関する調査)で、実際に保険料負担が減少した世帯は69%にとどまることが判明し、特に、低所得層中心に負担が逆に増えたという世帯が続出していました。これに驚いた政府は、低所得世帯向けの更なる保険料軽減措置を打ち出さざるを得なくなったわけですが、それまでの厚生労働省の説明と、事後的な実態との乖離に、なんとも後味の悪さを感じた人は多かったでしょう。

この時は、後期高齢者医療制度で採用される保険料の算定式と、全国の各国民健康保険で取られているであろう保険料の算定式を機械的に比較し、保険料負担は下がるはずだ、という主張を厚生労働省が出していたのですが、計算において、各自治体で独自にとられていた保険料負担の軽減措置が十分考慮されておらず、この点での見通しの甘さは批判されても仕方のないものでした。

統計分析に基づいた事前の政策評価を積極活用すべし

後期高齢者医療制度のケースでもそうですが、新制度の実施が人々の生活に定量的にどのような影響を及ぼすのか、厚生労働省が、データに基づいた分析を事前につめておけば、避けられた混乱が少なくなかったように思われます。政策を事前に評価する手法には様々なものがありますが、例えば、マイクロシミュレーションという手法を用いることで、制度導入前後の負担変化を所得分布とともに予測でき、より細かな情報を基にした政策立案の議論が可能であったはずです。医師が、患者を診断、治療する際に適切な検査結果と統計データを必要とするように、政策立案する際にも、事前に統計分析で適切な政策を探るという手順がとられるべきです。これは厚生労働行政に限ったことではなく、すべての政策分野について言えることです。

今回の難病医療助成についても、あるプランで政策を実行すれば、どういった属性の人たちがどれだけの負担の変化となる、といった情報が公に公開されていれば、それを基に、より実りある議論が可能となるはずです。特に、難病患者の生命がかかっているような政策の変更には、それくらいの慎重さが望まれると考えます。

とはいえ、そのような考え方は理想論であって、現実の政策立案の現場では、とてもそのような余裕も資源もないのだ、という批判があるでしょう。特に、統計に基づいた分析と言っても、現実に存在する政府の業務データというものは、そもそも分析のために作られているわけではなく、また、すべてが綺麗に整理蓄積されているわけでもありません。すべての業務データをデータベース化することは、費用対効果の面からみて正当化できないでしょう。

しかし、誤った判断や不正確な意思決定によって生じる有形無形のコストは、最終的には国民自身が負ってしまうものです。国民生活にとって重要と思われる政策課題については、ある程度のコストがかかったとしても、短期的にでもデータベースを構築して、政策実行の事前事後の評価が可能な状態にしておくべきです。いつまでも、行政官の勘と度胸に依存した政策立案を続けていてはいけないのです。

独立行政法人経済産業研究所 上席研究員

1973年愛媛県生れ。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科単位取得退学、博士(経済学)。専門は、公共経済学、財政学、社会保障の経済分析。主な著書・論文に「都道府県別医療費の長期推計」(2013、季刊社会保障研究)、「少子高齢化、ライフサイクルと公的年金財政」(2010、季刊社会保障研究、共著)、「長寿高齢化と年金財政--OLGモデルと年金数理モデルを用いた分析」(2010、『社会保障の計量モデル分析』所収、東京大学出版会、共著)など。

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