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3.11に辛い別れ…発達やいじめの悩みから親子支援、DVシェルター・658グラムで生まれた娘と歩む②

なかのかおりジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員
写真は斎藤さん提供

 658グラムで生まれた長女と共に、震災後とコロナ禍を生き抜く福島市の斎藤真智子さんの歩みを紹介する。(2023.3.11、講談社フラウの記事を再掲)

 現在は能登半島地震の被災地に思いを寄せながら、「まず自分にできることをする」と決意した斎藤さん。コロナ禍後に、対面での開催を復活させた子ども食堂や、小さく生まれた子の家族サポート、学習支援など地元での活動を継続している。#知り続ける
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 福島市在住の斎藤真智子さん(46)は、12年前の2011年3月11日、658グラムで生まれた長女が3歳のときに東日本大震災に遭った。震災後の母子避難と辛い別れ、いじめや発達の悩み、コロナ禍を経て、現在は小さく生まれた子と親の支援や子ども食堂の運営、ひとり親訪問に走り回る。3.11の頃に生まれた子たちは小学校を卒業し、長女は15歳でこの4月に高校生になる。このタイミングで、新たにDVにさらされている母親の支援を始めたいといい、チャレンジが続く。

 かつて新聞社の福島支局に在籍していた筆者は、子ども食堂を営む斎藤さんに取材をしたのを機に、交流してきた。新海誠監督の映画『すずめの戸締まり』を観て、斎藤さんと重なり涙が止まらなかったという。

『すずめの戸締まり』は震災知らない世代に語りかける

 斎藤さんは、東日本大震災が描かれた新海誠監督のアニメ映画『すずめの戸締まり』を長女と一緒に見た。主人公のすずめは震災で母を亡くし、様々な出会いを通してしなやかに成長していく。

 「親子支援に飛び回る中で、リフレッシュも必要と思って、娘と見に行きました。映像の中に、汚染土や福島の光景があり、号泣しました。12年経ったから、見ることができた。震災後すぐなら、胸が張り裂ける思いだったでしょう。地震の警報音も聞こえて、どきっとしました。福島の人も結構、見ていますよ。地元で原画展もあり、学校の先生が見に行ったらと勧めていました。

 今の子たちは、ほとんど震災のことを知らない。中学生の娘も、震災は覚えていないけれど、感動したと具体的なシーンを挙げて泣いていました。

 私は震災の時に福島にいたので、いろいろな思いがありますが、時がたち、震災を知らない世代も増えて、記憶が薄れていってしまう。映画を通して伝えるのは、一つのやり方だと思います」

 斎藤さんが2018年に始めた子ども食堂「子どもカフェたまご」は、休校中だった2020年3月11日にお弁当の配布をスタート、子育て家庭や高齢者とつながりを築いている。2021年3月11日には「震災のことも考えてね」と、LEDのライトと風船で作ったスカイランタンを空に上げるイベントを公園で開催。お弁当も配布し、母親たちへ「10年目の節目、震災のことをお子さんと話す時間を作り、召し上がって」とメールした。2022年も、コップにメッセージを書いてLEDを入れ、みんなで3.11の文字を形作った。

会えばよかった…震災で辛い別れ

 斎藤さんが『すずめの戸締まり』を見てとても苦しくなったのには、震災時の辛い別れも背景にある。

 「津波で、大事な人を亡くしました。あの日の直前に電話をもらって、会いたいと連絡がありました。いつもは、どんなに忙しくても断らないのに、その時はなぜか時間も遅かったし、また会えるからと電話を切ってしまいました。

 しばらく経って、知人からその人が亡くなったと知らされました。まさか、そんなことになるなんて……。娘を連れての避難が大変で、日々が過ぎていきました。なんであの時、会わなかったんだろう、言いたいことがあったんじゃないか。3.11が近づくたびに思い出します。知り合いが寄り添ってくれて、自分を少し許そうと思ったのが10年の節目でした」

 こうした体験も、斎藤さんの親子支援の原動力になっている。3.11を前に、福島の冬は寒い。物価高の最近、電気代が上がって、ひとり親世帯は大変だという。子ども食堂に、ある会社員女性から「私は正社員で、コロナ禍も勤められる。子ども食堂を利用するママが、派遣切りに合ったので」と、かなり大きな寄付があった。

 「ひとり親さんから連絡をもらって、支援物資を届けることも多いです。子どもたちの様子を見ていると、コロナから3年経って、居場所もサポートもまだまだ必要な状況。子どもらしい生活が送れないままに、3年過ぎました。遊びも勉強も、思い切りする場面が少なくなった。周りに感染した子がいると気を使いますし、放課後遊びも減り、公園で遊ぶ子や、家を行き来する機会も少なくなりました。やはり、友達との関わりが薄くなったと感じます。

 学校では学年ごとに分けて行事が行われ、中学の卒業式は保護者も在校生も、出られることになりました。卒業生はマスクを外す、歌う際はつけるなど、ルールに沿って開かれます。部活は戻ってきて、コロナの感染が出たらストップし、また再開するの繰り返しです。

 寄り添う活動は大変でしょう?って言われるけど、自分が体験したことしか、やっていません。震災や小さく生まれた娘の子育て、コロナ禍と、その時々でどん底も絶望も味わって、同じように辛い人はたくさんいるよねって思います。私が子どもの頃にいじめにあった時は、家庭か学校しかないから、死にたいと思った。当時は祖父母に支えられ、産後に岩手の実家に母子避難して不安定だった時も、力をもらいました」

DV受けて逃げられない母たち

 コロナ休校から3年、3.11から12年、斉藤さんは、2023年に新たな支援活動を始めようとしている。娘が高校生になることも大きい。「もう思いつかないで、考えるなって言われますが。DVや虐待を受けた親子の、避難所を開きたい」という。

 「支援を通して様々な家庭を間近に見て、家の中の実情はわからないと思いました。公的なシェルターは手続きが大変で、門限もある。福島市でDVの相談は年間300件、虐待は60件ぐらいと聞きました。多いか少ないかより、1人でもそういう人がいるのならサポートが必要なんじゃないかって。ある団体からの助成金を施設の費用にあて、大家さんの理解も得ています。

 1〜2世帯が1週間ぐらい滞在する場にして、いろいろなサポートにつなげていきたい。弁護士の協力もあり、その先の選択肢を一緒に見つける。子ども食堂でつながった、同じ活動をしたいという団体もあります。できる範囲で私が入って、お世話したいと思っています。

 昔は、お酒を飲むと手を挙げる父親がいましたよね。修羅場があって、子どもが裸足で逃げたりしても、世間体のために別れず、外には気づかれない。私も経験があります。しかし現代も、そういう悩みを持つお母さんは、多いんです。

 誰が食べさせてやっているんだ、と言う父親。お母さんは行き場がなく、我慢している。おかしいことだけど、判断力も鈍り、情報も入らない。どこともつながれず、行政が動いてくれない。先が見えない。子どもを抱えて出られない。けれど、出たほうがいい。ドアを閉めてしまえば、周りにわからない。核家族化も原因だと思います。前から、そういう家庭のサポートが必要だと思ってきました」

ジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員

早大参加のデザイン研究所招聘研究員/新聞社に20年余り勤め、主に生活・医療・労働の取材を担当/ノンフィクション「ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦」ラグーナ出版/新刊「ルポ 子どもの居場所と学びの変化『コロナ休校ショック2020』で見えた私たちに必要なこと」/報告書「3.11から10年の福島に学ぶレジリエンス」「社会貢献活動における新しいメディアの役割」/家庭訪問子育て支援・ホームスタートの10年『いっしょにいるよ』/論文「障害者の持続可能な就労に関する研究 ドイツ・日本の現場から」早大社会科学研究科/講談社現代ビジネス・ハフポスト等寄稿

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