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658グラムで生まれた娘と歩む①3.11経験した福島ママ、能登に思い寄せ…ひとり親や子ども支援継続

なかのかおりジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員
(写真:アフロ)

 新海誠監督のアニメ映画『すずめの戸締まり』は『君の名は。』『天気の子』に続く天災の物語で、今回は実際にあった東日本大震災で母を亡くした女子・すずめが主人公。2023年、筆者が小学生の娘の希望で見に行くと、取材した東北の方たちが浮かび、親としても切なく涙が止まらなかった。災いを封じる閉じ師(声はSixTONESの松村北斗さん)や様々な人に出会って成長していくすずめの姿と美しい映像、RADWIMPSの音楽が相まって、号泣する若い観客が目立った。
 傷ついてもしなやかに立ち上がる主人公に、福島市で子ども食堂やひとり親支援の活動を続ける斎藤真智子さん親子の姿が重なった。658グラムで生まれた長女と共に、震災後とコロナ禍を生き抜く斎藤さんの歩みを紹介する。
(2023.3.11、講談社フラウの記事を再掲)
 現在は能登半島地震の被災地に思いを寄せながら、「まず自分にできることをする」と決意した斎藤さん。コロナ禍後に、対面での開催を復活させた子ども食堂や、小さく生まれた子の家族サポート、学習支援など地元での活動を継続している。#知り続ける

親類もいない福島で658グラムの娘と

 筆者が斎藤さんに出会ったのは、コロナ感染予防のため突然の休校になって、混乱していた2020年3月。小学生の子を持ちワンオペ育児をする筆者は、子どもの居場所や食の支援を取材する中で、斎藤さんの子ども食堂「子どもカフェたまご」を知り、電話取材した。3.11を体験した母である斎藤さんは2020年3月11日、休校で孤立する親子のために、お弁当配布をスタート。以来、コロナ前のように集まって勉強したりご飯を食べたりはできないが、毎月のお弁当配布やミニイベントで、地元の家庭とつながりを維持してきた。

斎藤さん提供
斎藤さん提供

 その後、斎藤さんはNICU(新生児集中治療室)に入った子の親の会「Nくらぶ」でも活動することを知った。筆者が新聞記者として福島に赴任していた二十数年前、Nくらぶ創設時のメンバーに取材してお付き合いがあり、ご縁がつながったことに驚いた。

 岩手県出身の斎藤さんは、福島の短大に進み、飲食の仕事をしていた。長女は658グラムで生まれ、福島の大学病院にあるNICUで、5ヵ月を過ごした。保育器に入った我が子に「生きてほしい」と願い、搾乳して届ける毎日。退院後は、仕事しながらのワンオペ育児で、近くに親類もいない。震災をはさんで6年間、地元の託児支援団体「すけっとくらぶ」を利用して助けられた。保育士や看護師といった専門職や子育て経験者が、ボランティア価格で長女を見てくれた。恩返しのため、今は支える側としてすけっとくらぶに参加し、低体重児や双子の家庭をサポートしている。

 Nくらぶには長女が小学生になる頃に入り、現在は運営委員を務める。他に、市の委託で養育支援の家庭訪問もする。体が小さかった娘に何とか食べてほしいと、飾り巻き寿司や、あん・バタークリームのフラワー作りを学び、その講師も続けている。

斎藤さんが作った飾り巻き寿司
斎藤さんが作った飾り巻き寿司

 「助けられたから、助けたい。自分が辛かったから、同じような親子を支援したいと、様々な活動に参加したり、立ち上げたりしてきました。産後すぐにNくらぶに入れば、同じ立場のお母さんたちに支えてもらえたと思う。当時は、わけあってワンオペ育児だったので、引け目を感じて入れなくて……。毎月、成長のフォローアップのため大学病院に通っていたので、相談は病院の先生にしていました」

東日本大震災が起きて母子避難

 東日本大震災が起きた2011年3月は、4月に長女が幼稚園に入る直前で、制服もそろえていた。ところが、母子で岩手の実家に避難することになった。

 「はじめは、県内の夫の実家に避難しましたが、ガソリンが手に入らず、余震もあって。長女は甲状腺の治療をしていたため、福島第一原発事故の影響が怖くて神経質になってしまいました。保育所の一時預かりを利用し、岩手と福島を行ったり来たりの生活を2年半。小学校入学を機に戻ることを決め、福島の幼稚園に通えたのは最後の半年でした」

 その頃、斎藤さんはNくらぶに入って、小さく生まれた子の親と交流するようになった。

 「コロナの前は、対面の交流がメインでした。おひな祭りやクリスマスといった機会に集まりました。同じNっ子なので話しやすくて、会員同士で自然と相談に乗ったり、一緒に涙したり。命がけの産後も大変なのですが、N I CUに入院中は時間がある。むしろ、幼稚園に上がる時や小学校入学のタイミングで、悩むんですよね」

発達に悩みながら、中学では合唱部に

 658グラムで生まれた長女は、2023年4月に高校生になる。身長は150センチに伸びて、大学病院のフォローアップ診察も年一回になり、薬も必要なくなった。以前は、喘息や甲状腺の治療をして手術も受けたし、小さい頃は中耳炎を繰り返した。

 「未熟児網膜症の影響で弱視があり、メガネで対応しています。見た感じはわからないものの、グレーの発達障害もあるんです。小さい頃、つまようじをずっと出し入れしたり、気になることがあって、フォローアップの先生に相談したら、『ゆっくりやれば、覚える力がある。できる力がある』と言われて、障害者の手帳は取らないできました。

 心を許した友達や大人とは、すごくしゃべる。でも初対面や、みんなの前だと話せなくなる場面緘黙(ばめんかんもく)があります。小学高学年の頃は、いじめもありました。昼休みはしゃべれるのに、授業中は話せなくなることで、男子にからかわれて。娘がいじめられていると友達が話してくれて、そのお母さんから連絡が来て知りました。このことが、子ども食堂を2018年に始めるきっかけになったんです」

 公立中学校に進むと、長女の希望で合唱部に入った。学校見学の際に合唱部と出会い、感動した長女は、休まず練習に出た。朝ドラ「エール」で窪田正孝さんが演じた作曲家・古関裕而の出身地でもあり、合唱王国の福島。部は少人数ながら、長女は発表会のステージに立ち、ソロも歌った。

 「それでも、通常級に行けない時期もありました。支援級に通えていたから、大丈夫かなと思っていたら、後になって面談で『通常級にも出ないと評価できない』と言われて。高校受験の内申点や成績に響いたみたいです。

 場面緘黙が強い娘は、行きたかった私立高校の面接でヘルプマークを出せなくて、受け答えもできなかった。合格した高校の親子面接では、泣いてしまって、私から特性やこれまでについて説明しました。今度は部活のない学校ですが、多様性が認められる人気の学校で、不登校の子も多いです。

 小さく生まれたNっ子は、幼い時にはフォローがあるけれど、就職に向けてがまた大変なんです。仕事や人との関わりが難しく、個別に考慮してもらえるわけではないですし……。病院では障害者手帳はなくて大丈夫と言われても、現実の生活を考えたら追いついていないところがあるなと思います」

 まだ心配はありながらも、成長した長女は、斎藤さんの活動を手伝う。食材を詰めたり、子どもたちに配ったり。「今年の3月11日は、私が新しい活動の研修で留守なので、娘と仲間のお母さんが地元の子どもたちに、お土産を配ります。これからは、娘が得意なパソコン仕事を手伝ってもらえたら嬉しいですね」

ジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員

早大参加のデザイン研究所招聘研究員/新聞社に20年余り勤め、主に生活・医療・労働の取材を担当/ノンフィクション「ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦」ラグーナ出版/新刊「ルポ 子どもの居場所と学びの変化『コロナ休校ショック2020』で見えた私たちに必要なこと」/報告書「3.11から10年の福島に学ぶレジリエンス」「社会貢献活動における新しいメディアの役割」/家庭訪問子育て支援・ホームスタートの10年『いっしょにいるよ』/論文「障害者の持続可能な就労に関する研究 ドイツ・日本の現場から」早大社会科学研究科/講談社現代ビジネス・ハフポスト等寄稿

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