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ヤングケアラー、祖父を介護・グレーゾーンの親子も…学童保育で対応しきれない子のSOS

なかのかおりジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員
注目されるようになったヤングケアラー(写真:アフロ)

 厚生労働省はヤングケアラーの実態を知るため、今年1月、およそ2万4500人の小学6年生に実態調査を行い、およそ9700人から回答を得た。「世話をしている家族がいる」と答えたのは6.5%で、15人に1人にのぼる。

 日本財団は、多様な困難を抱える子どもたちが安心して過ごせ、将来の自立に向けて生き抜く力を育む「子ども第三の居場所」プロジェクトを全国で進めている。関東地方のC拠点は、学習支援に取り組むNPOが運営し、貧困の連鎖を断ち切れない家庭や、うまく気持ちを表現できず手が出てしまう親子に向き合ってきた。ヤングケアラーも少なくない。

 C拠点レポート後編は、なぜ既存の枠組みでは、困難な家庭の支援が十分でないのかということと、他の福祉やケアにつなぐ必要性を考える。

〇既存の枠組みできめ細かなケアは難しい

 小学生の居場所としては、放課後や長期休みに過ごす学童保育がある。働く親の子たちが放課後に過ごす場所として昔からあり、1990年代に児童福祉法に基づく事業として法制化された。運営の形は自治体の直接運営、社会福祉法人・民間企業・NPO法人などに委託、保護者が自主的に運営とさまざまだ。

 定員がいっぱい、利用料が高い、詰め込みで環境が良くない等、課題も聞く。問題行動のある子どももいて、職員の負担は重く人手不足も叫ばれている。ケガやトラブルも起きがちで、食事提供や個々の学習支援までは難しいのが実情だ。

 「子ども第三の居場所」C拠点で、さまざまな家庭と向き合ってきたスタッフの石川さん(仮名)に、なぜ既存の枠組みではサポートし切れないのか、聞いた。

 「学童保育は、子どもを預かって、安全に過ごすのが目的でつくられている制度で、彼らの成長に介入する視点がありません。人員の体制にしても、子ども60人にスタッフが3人程度。私たちの拠点は、子ども10人にスタッフが数人と、さらにボランティアもいて、きめ細かいケアをしています。何のためにあるかという目的と、人員の面で、既存の学童保育では、多様な困難がある家庭に対応するのは難しいと思います。

 子どもの課題は一つではなく、複雑な事情を抱えています。療育なら療育だけ、学校は勉強して友達と仲良くするところ、と分業され、一カ所に通っても全部は解決されないから、どこかが改善されても、別の問題が出てきてしまう。複雑な課題に、まとめて対応できる仕組みが、日本にはないと感じます」

 「子ども第三の居場所」は、困難な家庭とつながり、子どもが放課後に安心して過ごせるだけでなく、既存の枠組みを超えて、柔軟にサポートしている。

 「少人数できめ細かいケアをするため、人件費がかかり、財政的支援は欠かせません。運営する団体の活動内容によって、得意な分野が変わってきます。例えば、保育園が主体の場合は、食事や生活習慣の支援は慣れている。学習支援をする団体なら、学習支援については慣れている。そうした特色を生かすことができます。けれど苦手な分野はあり、地域によって課題もそれぞれ違います。

 運営団体に、学ぶ姿勢がないと対応できません。私たちスタッフも、新しい知識を学習しようと、児童相談所の方を呼んで福祉の研修をしたり、社会福祉士の話を聞いたりします。スタッフに、学童保育や学校の先生の経験者は多いです。私は拠点の仕事を始めてから、保育士の資格を取りました」

〇母も子も障害が…スタッフのジレンマ

 それだけ努力を重ねても、拠点ではできないこともあり、機能は区切らなければならない。福祉や介護といった、他の支援と連携することも大事だという。

 C拠点に来た小学生のハナコさん(仮名)は、発達上の障害があった。

 「ハナコさんは医療機関で診断は受けていないのですが、お母さんもグレーゾーンで行政の手続きができません。拠点でサポートして、ハナコさんの療育が受けられるように手帳をもらいに行きました。お母さんはパート勤務をしていますが、支援の必要性が分からず、2人きりで社会から孤立してしまっていました。ハナコさんは、学校の支援学級には通って、学習の支援は受けていました。

 お母さんは理解力に難しいところがあり、拠点からのメールやお手紙はひらがなに直して送りました。ハナコさんのことを話しても、伝わっていないようで、お母さんの思い込みで物事が進んでしまいます。そのような困難を、誰にもサポートされずに生きてきたことが心配でした。お父さんは行方が分からず、支援が望めません」

 ハナコさんと母親は、互いに相手の気持ちが考えられず、よくぶつかっていた。

 「小学2年生ぐらいから、ハナコさんの自我が芽生え、けんかが増えたそうです。でもすぐに忘れてハグして終わってしまい、問題が解決せず終着点がない…その繰り返しでした。ハナコさんへのアプローチとしては、周りの子とのコミュニケーションが難しかったので、拠点のスタッフが間を取り持つようにしました。お互いがどういう気持ちで関わっているのか、言葉で代弁して伝えました。拠点に来なかったら、家に1人でいるか、お母さんとけんかするしかない、狭い世界で生きていました。

 ハナコさんの将来を考えると、困ったときに、人を頼る力をつけてあげるのも大事です。もちろん、拠点にいる他の子たちも、大変な状況にあることが多いです。まずは、スタッフが一人一人との適切な関係性をつくった上で、子ども同士の関わりを取り持つようにしています。話すのが苦手でも、一言でいいから『いいよ』『あげる』と言ってごらんと促し、ハナコさんがコミュニケーションできるようにしました」

 もう一つ力を入れたのは、生活面のサポートだ。

 「ハナコさんは食事をあまり取っていなくて、お風呂も入っていなかった。小学2年生になってもおもらしをしてしまい、拠点では、トイレや食事のサポートをしました。ハナコさんの場合、特性がはっきりしていたので、専門機関にもつなぎました。療育が受けられるように、手帳を取るサポートをし、障害のある子が通う放課後デイサービスを探して連携しました。拠点を卒業する3年生後の居場所を確保するため、拠点と、放課後デイサービスの両方に通うようにして、少しずつデイに通う日を増やしていきました」

〇養護施設へ…正解は分からないけれど

 スタッフがサポートし、環境も整ったハナコさん。

 「実は、お母さんからの虐待の案件があって、児童相談所が引き取り、養護施設で暮らしています。生活サポートのためには、よかったかもしれません。本人の希望は、お母さんと生活したいとのことで、私たち拠点で最善を尽くせたのかと、もどかしい思いはあります。

 スタッフとお母さんの信頼関係は築いていました。はじめは、迎えに来ても目も合わせず、一言も話さなかったのですが、半年ぐらいすると、子育てや学校の先生とのことなど、何でも相談してくれるようになりました」

 ゼロか100か指向があり、依存度が高い関わりではあったが、信頼関係を築く努力はした。

 「これから死のうと思う、と深夜にメールを送ってくる時期もあり、ハナコさんと2人きりで生活するのは心配でした。私たちも、適切な養護のもとで生活した方がいいのかと、悩んでいるところでした。その後、お母さんの私生活に変化があって、ハナコさんと一緒に暮らせるように頑張りたいとか、前向きなメールが拠点にくることもあります。拠点にいる間に、ハナコさんが療育を受けられるように手続きできたので、今後の人生で支えになると思っています」

〇ヤングケアラー家庭、介護の支援も

 3年生のソウシくん(仮名)の家庭については、子どもの支援だけでなく、保護者を別の支援につなげるサポートもした。

 「ソウシくんは祖父母に育てられています。おばあちゃんが外国人で、おじいちゃんは認知症になり、徘徊をしたり洗濯機にものを詰めてしまったり。生活保護を受けていますが、おばあちゃんが、世話になるのが申し訳ないと言って、深夜にお弁当を作る仕事をしていました。ソウシくんのことは、はじめはおじいちゃんが迎えに来ていました。しばらくすると認知症が進み、ソウシくんがおじいちゃんの介護もするようになりました。

 土日に遊びに出かけても、バスを間違えるおじいちゃんを、ソウシくんが支えるヤングケアラーでした。ソウシくんは、メンタルが落ち着かなくなり、かんしゃくを起こすように。スタッフが家庭での不安を聞くようにしました。おばあちゃんは日本語が分からないので、おじいちゃんが通訳できなくなり、話ができません。家庭の大変なところをソウシくんが担い、拠点に来て爆発して、友達とけんかして泣きじゃくることもありました」

 拠点のスタッフは、祖父のデイサービスが利用できるように関係者と連携し、介護施設に入ることができた。

 「スタッフがおばあちゃんに、『働きに行くと、ソウシくんは夜に1人になってしまう。それは日本では虐待って言うんですよ』と伝え、『でも今まで一生懸命に育ててきましたよね』とメンタルをサポートしました。今はおばあちゃんも仕事を減らし、ソウシくんは私たちのNPOの学習支援につながっています。介護の役割がなくなって明るくなりました」

〇拠点を卒業した後のケア

 C拠点は、ハナコさんやソウシくんの例のように、他の支援と連携しつつ、アフターケアも用意している。基本的に小学3年生まで拠点で過ごし、卒業した後は、NPO独自の居場所や学習支援につなぐ。

 「できれば、学校でサポートされるようになったらいいと思います。C拠点では、学校の先生と拠点での様子を共有し、こうしていただきたいと伝えています。スクールソーシャルワーカーは、自治体によって立ち位置が違います。この地域では、不登校のお子さん対応となっています。

 他の拠点も、他の民間団体と普段から関係をつくっておき、卒業したらスムーズにつなげられるようにしています。ただ、都心ではやりやすいですが、地域によってはそうした団体がなくて厳しいでしょう。公的な児童館につながれるように、最後は行政の責任で子どもの成長を見てほしいと思います」

〇気軽に行けない公共の場・民間団体のジレンマ

 学童期の子どもの支援としては、学童保育の他、子ども食堂や無料塾、児童館などがある。さらに困難を抱える場合は、社会的養護・生活保護・就学援助等が関わってくる。

 公的な支援は、条件が厳しい。小学1年生と、ひとり親や障害など優先される児童で満員の学童保育もある。行政が運営する「学校内の居場所」も、コロナ禍は勤務証明を出す必要があり、多子世帯やワンオペ家庭が利用しにくくなったと言われる。児童館はコロナ禍に制限があったものの、気軽に行ける。だが悩みを相談できるかどうかは、職員との関係性による。

 子ども食堂や、学習支援に奮闘する民間団体は多い。ありがたいが、盛んな地域とそうでない地域とで差が生まれている。対面の集まりを頻繁に開き、駆け込み寺として機能する団体や、月に何回かであっても、弁当・食材配布で心のつながりを保つ団体がある。

 一方で、「子どものために何かしたいけれど、場がない」という高齢者の声も聞いた。財政支援の他、人材をつなぐコーディネーターが求められる。

〇第三の居場所に求められること

 路上生活者の自立を支援してきた団体に取材すると、食材配布に並ぶ子連れや、女性の相談も増えたという。担当者は「生活保護を受けた方がいい状況でも、申請に抵抗があるようで…。子どもだけでなく、その保護者こそ支援が必要」と話している。

 C拠点のような居場所に通えれば、親子の複雑な課題に向き合うスタッフがいる。利用できる時間や、内容に制限があっても、学校との連携や、福祉・介護等につなぐことで、切れ目のない支援が可能だ。

 厚生労働省は、居場所のない子どもに対する居場所の提供と保護者へのカウンセリングを目的として、2022年度にモデル事業を始める。日本財団の「子ども第三の居場所」と共に、経済的な困窮だけでなく、共働きによる孤立、心の問題、親子関係などにも対応し、多様な家庭を受け入れる場として持続してほしい。

(日本財団ジャーナル 学童保育では対応しきれない…さまざまな障害のある家庭を福祉・介護につなぐ「子ども第三の居場所」C拠点レポート後編を再編集)

〈プロフィール〉

なかのかおり

ジャーナリスト、早稲田大参加のデザイン研究所招聘研究員。早大大学院社会科学研究科修了。新聞社に20年余り勤め、地方支局や雑誌編集部を経て、主に生活・医療・労働の取材を担当。著書に、パラリンピック開会式にも出演したダウン症のあるダンサーを追ったノンフィクション『ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦』(ラグーナ出版)。調査報告書に『ルポ コロナ休校ショック〜2020年、子供の暮らしと学びの変化・その支援活動を取材して見えた私たちに必要なこと』『社会貢献活動における新しいメディアの役割』など。講談社現代ビジネス・日経電子版・ハフポスト等に寄稿している。

ジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員

早大参加のデザイン研究所招聘研究員/新聞社に20年余り勤め、主に生活・医療・労働の取材を担当/ノンフィクション「ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦」ラグーナ出版/新刊「ルポ 子どもの居場所と学びの変化『コロナ休校ショック2020』で見えた私たちに必要なこと」/報告書「3.11から10年の福島に学ぶレジリエンス」「社会貢献活動における新しいメディアの役割」/家庭訪問子育て支援・ホームスタートの10年『いっしょにいるよ』/論文「障害者の持続可能な就労に関する研究 ドイツ・日本の現場から」早大社会科学研究科/講談社現代ビジネス・ハフポスト等寄稿

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