朝ドラ「なつぞら」舞台にある農場、「社会不適応」でも働ける理由

子牛の姿も なかのかおり撮影

朝ドラ「なつぞら」の舞台である北海道・十勝に、生きづらさを抱える人たちが働く農場があります。共に暮らしながら農業・畜産業にあたり、そこで作るチーズは国際的に評価されています。働き方を自分で決め、ぶつかり合いを通して成長していくのが特徴で、社会に適応しにくい人も一歩を踏み出すことができます。

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●厳しい冬も、居場所求めて集まる

筆者が北海道新得町にある「共働学舎新得農場」を訪ねたのは、天気のよい秋の日だった。「なつぞら」で描かれた通り、冬は雪が1メートルも積もり、マイナス32度になるという。そのような厳しい環境にもかかわらず、農場には国内外から居場所を求める人が集まってくる。

登校拒否していた人、幻覚に悩み入退院を繰り返している人。仕事が見つけられなかった人、家族がいない人。生きる意味を見つけられず何もしたくない人、人と関わりたくない人。少年院から出た人、引きこもりや学習障害、アスペルガーがある人、DV被害者などだ。

代表の宮嶋望さんは、困難を抱えた人と一緒に、牧場を開拓し、生活する場と働く場を作り出してきた。福祉からの助成は受けず、生活に必要な経費は自分たちでまかない、それぞれに月1万5千円から6万円の生活支援費を渡す。

●朝食後にやりたい仕事を発表

農場の特徴は、自分で働き方を決められるという点だ。

朝食後、その日にする仕事を自分でみんなに発表する。「野菜の皮むきをします」「畑に出ます」「掃除をします」。何をしていいかわからない、休みます、という人もいる。他の人の手伝いを好む人もいる。

毎日、固定はしないし、午前と午後で違う仕事をするメンバーもいる。無理のない範囲の仕事なので、本人のストレスは小さい。

農場で生産するのは、牛乳、野菜、チーズ、肉、羊毛、工芸品と多様だ。仕事も、チーズ工場、食堂の掃除、片付け、牛の餌やりなど豊富で、何かしらできることがある。

学舎の風景 なかのかおり撮影
学舎の風景 なかのかおり撮影

●みんな何かが欠けている

働きたいという人が来たら、何の問題があるかわからないけれど、まず1日、2日は仕事を一通り見せて、やってみるようにする。

「およそ70人のメンバーは、みんな何かが欠けていると考え、違いを受け入れている。福祉施設のように指導員や事務職、調理師など肩書はなく、誰かが誰かを管理する関係がない。個性や能力に応じて、全員で責任を分かち合い、問題を解決していく。この障害とかこの病気とか、分けると意味がないし、行き詰まるので」(宮嶋さん)

●能率は上がらないけれど

ほとんどの人が、後ろ向きな気持ちで学舎に来る。初めは、自信もなく、意欲も見られない。「自分たちで働いてその生活を支えよう」と思うところまで来るには、長い時間と工夫がいるそうだ。

宮嶋さんは、こうした働き方をサポートする難しさも語る。

「みんなの意向を聞きつつ、全体をまとめるのは大変です。約束事を決めて問題を処理し、能率を上げていく一般の職場と比べて、問題は続くし、能率は上がりません。自由に働くことで、抑えられ閉じていた心の扉が開き、解放感が心地よいと感じる人がいます。同時に、隠されていた苦痛や不安が噴き出る。周りの人はそれを見守り、忍耐を強いられます」

でも、人と人とのぶつかり合いを通して、自信を持てなかった人が、自ら働くように変わっていく。最初は、働き方を自分で決めることに戸惑うが、自分の意思を持つようになる。

敷地内にあるカフェ「ミンタル」 なかのかおり撮影
敷地内にあるカフェ「ミンタル」 なかのかおり撮影

●問題行動するも才能ある少年

A君は自閉症があって、働けるだろうかと心配されていた。学校でも家庭でも会話が成り立たず、暴れてしまうので部屋に入れてテレビを見せていた。母親が作った食事は受け付けず、テレビのコマーシャルで見たものしか食べなかったそうだ。

支援学級を卒業後、学舎に来た。最初にしたのは、A君がテレビをつけて、宮嶋さんがそのたびに消すこと。やっとわかったが、宮嶋さんがサッカーの試合を見たくてテレビをつけると、消されてしまった。納得したルールは、覆さなかった。

スーパーに行って商品を持ってきてしまうのが、一番の問題だった。千円札を手に追いかけた仲間が、商品をレジに置き、A君に引き算させたら、レジを打つよりも早かった。A君は、会話はできないけれど新聞を読んで野球選手の名前を憶えていたし、計算も得意だったのだ。

●仕事ぶりが評価されて

お店で千円札を渡すと、おつりのコインが返ってくるのがおもしろく、A君はお金を欲しがるようになった。宮嶋さんは「お金が欲しいなら、仕事して」と伝え、食器洗い、野菜の皮むき、草刈りを教えた。手先が器用で、織物も得意。色選びや柄物まできっちりできて、売れるようになった。

その仕事ぶりが評価され、A君が16歳で月に2万5千円をもらっていたら、周囲から「なぜ彼はお給料が高いの?」と不公平感が出るようになった。宮嶋さんは、一日に千円、渡していた食費を少しずつ減らした。A君が文句を言わないので、500円にした。ところがそのうち、母親の財布から、全額の食費を持っていくようになってしまった。

チーズ工房の玄関 なかのかおり撮影
チーズ工房の玄関 なかのかおり撮影

●ためたお金を寄付、後押し得る

実はA君は、使わない500円をビンにためていた。自らの意思で、テレビ番組のチャリティイベントに、15万円を寄付しに行った。それを知った新得町長に呼ばれ、宮嶋さんは望みを聞かれて「屋根をください」と訴えた。この出来事をきっかけに、3千万円を超える助成を得られ、1984年にチーズ工房を建てた。地元の畜産大から研究者が来て、チーズ作りの研究も進んだ。

「だれも考えなかったことをA君がしたおかげで、人の心を動かして、チーズの生産が本格化し、みんなの生活の支えになった。言葉による会話が成りたたなくても、意思が通じれば安心して仕事できる。自由に言葉を使えると思っている人のほうが、かえって人の心が汲み取れず戸惑うのではないでしょうか」と宮嶋さんは語る。(続く)