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三つ子母、次男死なせ実刑判決・産後うつ体験者が語る本当に必要なこと

なかのかおりジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員
授乳やおむつ替えも3人分。母親は1日中、休む間がなかったという(ペイレスイメージズ/アフロ)

愛知県で三つ子の母親が生後11ヶ月の次男を投げ落として死亡させたとして、このたび懲役3年6ヶ月の実刑判決を言い渡され、控訴しました。母親は産後うつの状態だったといい、子どもの命を守り、育児をサポートするには具体的に何が必要か、改めて考える機会になっています。産後うつになり、「自分が死ぬか、赤ちゃんに手をかけてしまうか」という状況を体験し、のちに母親たちを支援する側になった女性の話を紹介します。

●赤ちゃんに感情がわかなかった

10代の長男がいる40代のAさんは、産後うつをこじらせてうつ病に苦しんだ。その経験を生かして同じ悩みを持つ母親たちのサポートグループを始め、産後うつについて知ってもらう講師もしている。

Aさんは結婚する前、学校の先生をしていた。夫の転勤で地元を離れ、引っ越し先でパートの仕事を見つけた。妊娠中に切迫早産で入院し、仕事を辞めざるを得なかった。

出産は里帰り。実家近くの病院で緊急の帝王切開になった。Aさんは目が覚めて新生児室に行ったが、長男を見て何の感情もわかなかった。「自分は母性がないんじゃないか、人間失格なんじゃないか。こうした思いは人に言えないと感情に蓋をしました」 。夫はすぐに帰ってしまい、助産師にも言えない。食事中にいきなり号泣しても、誰も声をかけてこなかった。

Aさんのような反応は、産後によくある話と思われていたのかもしれない。足がパンパンにむくみ、看護師に訴えても受け流された。「相談しても無駄なんだ」と植え付けられた。1日に何回も、きっかけなく泣けてくる。「息子の体重を測っても増えていないし、母乳も飲んでいなさそうだし、助産師に頑張ってと言われる。ミルクを足す提案もなく、育児って過酷だな、どうしようと思ってまた泣きました」。

退院して1ヶ月は実家にいた。元気がなくても心配されなかった。親は、洗濯や沐浴など一般的な手助けはしてくれた。無理やり、長男をかわいいと思うようにした。

自宅に帰ると、夫がベビーベッドやいろいろな物を買い揃えていた。Aさんは喜ぶ夫に合わせていたが、本心は沈んでいた。その気持ちも言えなかった。 夫は朝早くから夜遅くまで仕事のためワンオペ育児で、知り合いもいない。孤独感が迫ってきた。

●泣き声は非常ベル

長男がナーバスなタイプでなかなか寝なかった。新生児が突然死するSIDSのパンフレットを退院時に渡され、「死んだらどうしよう」と心配だった。「産後は授乳で眠れません。よく赤ちゃんと一緒に昼寝しろと言われますが、神経がたってしまい、そばで見つめていてますます寝不足になりました」。

自宅に帰ってすぐ、全身にじんましんができた。かゆくてイライラする。夫が帰宅して、長男を見てくれても緊張が取れない。新生児を連れて病院に行く気にもなれなかった。

保健師の新生児訪問は、抱っこの仕方を教えてもらっただけ。息子が泣くのが怖くて、泣き声が聞こえると非常ベルのように感じて身の毛がよだつ思いだった。産後3ヶ月、家の外に出なかった。週末に夫がいる時、オムツを買いに行っても走って帰ってきた。買い物は生協の宅配を利用した。 Aさんは料理ができなくなって、菓子パンや麺類を食べていた。

長男が6ヶ月になったころ、親類のいる地域に引っ越し、預けてやっと皮膚科に行った。普通の薬をもらったが、良くならない。「ストレスかもしれないので精神科に行ったら」と勧められ、Aさんは「病気のレベルなんだ」と初めて自覚した。

そのころ心療内科にも行き、神経性抑うつ症と診断され抗うつ薬が出された。 その心療内科でも、産後うつのことは話題にならなかった。「産後のブルーは放っておいたら何とかなると思われていた時代。知識も行政の取り組みもなかったんです」 とAさん。

抗うつ薬はまじめに飲んだが、効いている感じはしなかった。問診で聞かれても、「前回と同じです」としか言葉が出てこなくて、「前の薬を出しておきますね」で終わる。当時はコミュニケーション力がなく、自分の症状を伝える術がなかった。2年ぐらい通ううちに、ジリジリと症状が悪くなった。

●自ら死ぬか、手をかけるか

長男が2歳半のころ、自分が死ぬことや、息子を殺すことが頭にちらつくようになった。タオルを見ると息子の首にかけて巻きつけている映像が浮かぶ。ベランダで洗濯物を干す時に、落ちるイメージが湧く。台所に行っても怖くて何もできない。お風呂も赤ちゃんを沈める想像をして怖い。

Aさんは、布団から出られなくなった。カーテンを閉めて、布団の脇におもちゃを置いて長男を遊ばせていた。ママ、と言われても、はねつけていた。 「そうしないと自分が何をするか分からなかった。夫が息子を見ている間は、そこまでしんどくない。台所に立つこともできたんです」。

そして長男と2人で過ごした日、帰宅した夫に「明日、帰ったらもう私いないかも」と告げた。 Aさんはその少し前に、「もう、死ぬか殺すかだ」と思い詰めて児童相談所に電話していた。「息子をネグレクトして、命の危険があるから保護してほしい」と訴えると、「そういう案件はいっぱいあるので、1ヶ月待ちです」と言われ、ますますこの世は冷たいと思った。

「そんなふうに見えなかった」と驚いた夫は、Aさんが電話したばかりだったが、改めて児相に電話した。緊迫感が伝わり、「すぐ来てください」と言われ、3人で訪ねた。長男の様子もおかしく、急きょ保育園に入れた。朝早くから夜の延長時間まで、夫が送り迎えして最大限に利用した。

保育園を利用し始めて数日間、Aさんはこんこんと寝ていた。産後初めて、休むことができた。「2週間ほど経って、自分もニュースで見るような虐待の事件と紙一重だったと気づきました。辛い思いをしているお母さんはいっぱいいるだろう、仲間同士でリアルな本音を話したいと思いました」。

●しんどいと言える会を始める

Aさんは長男が0~1歳の時、自治体の親子サロンに行って、みんながキラキラと楽しそうで打ちのめされた。母親がしんどいと言える会を作りたかった。でもママ友もいないし、当時はSNSもなかった。長男が3歳になる前、地域のセンターにお知らせを貼って仲間を募集。保健師にも声をかけてもらった。登録サークルにし、少しずつ集まるメンバーが増えた。ブログを始め、ネットに情報を出すと遠くから来る人も出てきた。

児童相談所に行った後、夫に病院を変えるよう言われていた。何軒か探してやっといい病院が見つかり、薬を変えたら症状が良くなった。 隣県に産後うつの会があり、そこに行って話してみたのもよかった。「私は産後うつだったんだ、と初めて自覚できました」 。そしてその姉妹サークルとして、産後うつのサポートグループを始めた。

Aさんは、大学の聴講生として心理学も勉強した。上手な病院のかかり方もわかり、症状をうまく伝えられるように。例えば、不眠といっても夜中に起きてしまうのか、寝付きが悪いのか、朝の寝起きが辛いのか。そうしたことがうまく伝えられるとQOL(生活の質)が上がる。

また長男が5歳ぐらいになると、会話ができるように。自分を無条件に愛してくれているとわかって、辛い経験が薄れていった。「 体が疲れると精神的に不調になるとわかった。気力だけではダメなんだと」。子育てが楽しくなり、家で季節の行事もこまめにできた。

小学校に入ると学童保育も利用した。 「学校は送り迎えもなく、親が体を使って遊んであげることもしなくてよくなったので、体力が温存され精神的に改善しました。そして薬が減りました」。

●家族と別の生活を選ぶ

その後、Aさんは順調に回復したわけではなかった。息子が小学校低学年の時に、回復は頭打ちに。薬を増やすのは嫌だったので、仲間と話すほか、カウンセリングに行きだした。「カウンセリングを受け、仲間と話す。保育所に入ったり引っ越したり環境を整える。薬を変える。この3つをバランスよくするとうまくいくんです。カウンセリングを受けて、自分を大事にしたいと思うようになりました」。

ただ、Aさんがサポートグループのために出かけ、ネットを駆使して前向きになると、夫とはすれ違いが生まれた。「ネット界は繊細な人が多いからリアルに話が合う。私はとても元気づけられたんですが、夫は理解できなかったみたいで。夫も仕事をしながら家事を担う毎日で、疲れきっていたのでしょう。口げんかが増えました」。Aさんは少しずつ体調が悪くなって、入院もした。息子が4年生の時に、離婚という選択をした。

Aさんが家を出て、父子の近所に住み、行き来する。 サポートグループの活動をするほか、体調を見ながら派遣の仕事をしてきた。長男の成長に応じて課題もあり、見守っているという。

●まず自分を大事にして

Aさんに、産後の母親たちへのメッセージを聞いた。

「お母さんは自分を犠牲にして子育てすると思われているけれど、お母さんが元気でないと家庭は成り立たない。まず自分を大事にしたほうがいいです。体がしんどかったら休む。仲間に本音を話して気持ちを共有する。頑張らなくても、ミルクも市販の離乳食もある。産後、お母さんがいかにご機嫌に過ごせるかが大事なんです。今思えば、産後に入院するとか、ファミリーサポートに預けるとかして、とにかく休む時間があったらよかった」

さらにこう訴える。「周りの人も、産後の母親が休むのをオーケーと思って下さい。産後うつは人間性の問題ではなく、ホルモンバランスの変化で起こる病気です。特に夫が産後のしんどさをわかってたら、違うと思う。夫が『ナーバスになっているようだけど、相談したら』『話を聞くよ』と声をかけて」

産後、渦中にある本人はわからないので、周りがおかしいと気づければ支援や治療につながる。「もう一つ大事なのが、産後うつになっても治るという知識。知っていたら、『産後うつになっちゃったから、休むわ』と言える。それができれば、こじらせて長い時間、苦しむこともないはずです」

この春、Aさんはつらい気持ちを話しあう会の運営を仲間に任せた。自身の産後から時間がたったこともある。啓発をする講師は続けていく。「最近、産後うつのサポートグループをやりたいという連絡が相次ぎ、アドバイスをしています。全国で草の根の運動が活発になってきて嬉しいです」。

(2018年4月13日、THE PAGE掲載)

ジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員

早大参加のデザイン研究所招聘研究員/新聞社に20年余り勤め、主に生活・医療・労働の取材を担当/ノンフィクション「ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦」ラグーナ出版/新刊「ルポ 子どもの居場所と学びの変化『コロナ休校ショック2020』で見えた私たちに必要なこと」/報告書「3.11から10年の福島に学ぶレジリエンス」「社会貢献活動における新しいメディアの役割」/家庭訪問子育て支援・ホームスタートの10年『いっしょにいるよ』/論文「障害者の持続可能な就労に関する研究 ドイツ・日本の現場から」早大社会科学研究科/講談社現代ビジネス・ハフポスト等寄稿

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