産後の母親救ったボランティア 被災地で訪問サポート

震災後、不安定な生活に苦労した乳幼児家庭は少なくない(イメージ)(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

東日本大震災からまもなく丸8年。福島第一原発にほど近い福島県いわき市で、震災後に助産師がまとめ役になって産後の家庭をサポートする取り組みが続いている。子育て経験のあるボランティアが乳幼児家庭を訪問して母親に寄り添う活動で、イギリス発祥という。数年前、いわき市に避難してきたある親子がこの訪問で救われた。ボランティアのメンバーもまた震災後に人生が変わり、痛みを抱えながらも支える喜びを感じている。

●0歳・2歳抱えて引きこもりに

いわき市に住むAさん(40代)は3児の母だ。2015年に2人目を出産した時は1人目の長女と10歳以上の年齢差があり、大変だった記憶はなかった。ところが2歳差で3人目を出産し、0歳と2歳の子を抱えて、うつっぽくなってしまったという。

産後の家庭をボランティアが訪問する仕組みがいわきにあることは、利用した友人から聞いて知っていた。共感したけれど、Aさんは手続きしないままに出産を迎えた。

実際に0歳の子がいたら、気軽に外出できない。お産でダメージを受けた体が回復しないまま、数時間おきの授乳やおむつ替えで睡眠不足の生活が続く。Aさんは、活発になった2歳の子を外に連れ出したかった。夫は仕事で日中はいない。平日は、2人の子と3人で自宅に閉じこもっていた。産後2カ月ごろ、「引きこもりだな」と思った。

訪問ボランティアを思い出して、地元のNPO法人「Commune with (こみゅーん うぃず)助産師」に申し込むと、代表の草野祐香利さん(53)がAさんの自宅に来てくれた。状況を聞かれ、こうしたいと伝えると草野さんは「Aさんにぴったりな人がいます」と言う。

 子育て家庭に寄り添う助産師の草野祐香利さん
 子育て家庭に寄り添う助産師の草野祐香利さん

「年の離れた長女は多感な年ごろだったので、長女のことも含めて話せる人がいいんじゃないかと選んでくれたみたいです」とAさん。訪問ボランティアとして研修を受けたBさん(50代)を紹介された。Bさんも長女と同じ年ごろの子を持つ母だった。

AさんはBさんが来る日を心待ちにした。1カ月ほどして、Bさんが自宅にやってきた。「とても楽しみでした。第一印象は、やさしそうでハキハキしている人だなと思いました。長女の話をきっかけに、すぐ打ち解けました」

●避難先を転々…出身を隠していた

実はAさんは、福島第一原発の事故で大きな影響を受けた双葉郡の出身だ。出身地は今も、帰還困難区域になっている。震災後、家族で福島県の真ん中にあたる「中通り」を5~6カ所、転々とした。ある町には3カ月住んだ。長女はそこで通った学校が好きで「引っ越したくない」と言ったが、2011年の夏に家族で双葉郡に隣接するいわき市へ移り住んだ。

「双葉郡の出身だと知られると、『賠償金があっていいね』『出身を言わないほうがいいよ』と言われたこともあり、ママ友にも話さないようにしていました」というAさん。最初はBさんにも黙っていようと思った。

初めてBさんが来た日。子どもたちを連れて出かけた道の真ん中で、ベビーカーを押しながらBさんは大きい声でこう言った。

「私、双葉郡の出身なのよね」

Aさんはびっくりした。Bさんは「隠していたって、いつかはわかるんだから。こそこそしたってしょうがないよ」と続けた。Bさんは強い人だなと思って、Aさんはそれまでの肩身の狭い思いが一気に晴れたという。

乳幼児を連れて出かけるのは大変だ(写真はイメージ ペイレスイメージズ/アフロ)
乳幼児を連れて出かけるのは大変だ(写真はイメージ ペイレスイメージズ/アフロ)

「当時、子どもたちと行きたい公園が二つありましたが、赤ちゃんと2歳の子を連れて行く自信がなくて。1週間ほどして2回目の時は、『Bさんと一緒なら行けそう』と近いほうの公園に行ってみました」。散歩しながらBさんとおしゃべりもできた。産後は子どもたちと引きこもって、大人と話す機会が少なかったから楽しかった。

3回目にBさんが来た日は、遠いほうの公園に行った。Bさんがあうんの呼吸で子どもをかわるがわる見てくれて、Aさんは一人ずつふれあう時間が持てた。4回目は最後の訪問で、子どもたちとBさんとスーパーへ買い物に行った。それまでは子連れで買い物に行けず、土日に夫が買い出しに行ったり、宅配を頼んだりしていた。

●子連れで出かける自信がついた

AさんはBさんが寄り添ってくれた4回を通して、外出する自信を取り戻した。乳幼児を抱えているとおむつや授乳の用意など準備に時間がかかる上、子どもが泣いたり機嫌が悪くなったり、急なできごとで親はパニックになりがちだ。でもAさんは「このタイミングで出かける準備をして、この時間にお昼寝して」と時間の配分をイメージできるようになった。

「Bさんと別れるのが寂しくて『延長できないですか』と聞いたらBさんに『もう大丈夫』って言われたんです。甘えちゃいけない、自立しないとと思ってお別れしました。今でも外を歩いていると『Bさんはいないかな』ってきょろきょろするんです」(Aさん)

訪問は1回2時間。Aさんは公園に行くなど目標があって、双葉郡からの避難の話をじっくりしたわけではない。だけど避難の話題になれば、Bさんは「そうだね」と共感してくれた。Aさんにとって、震災後からの精神的な重圧を解放できる時間でもあった。

今もAさんは「避難してきた」とオープンにできないが、心にはずっとBさんの存在がある。「毎日、子どもたちとにぎやかで楽しいです。でも、いわき市にずっと住むかはわかりません。流れに従うしかないから」と語るAさんは、しなやかな強さを身につけていた。

訪問が終わったころAさんは家族に誕生日を祝ってもらった。とても嬉しかったという(Aさん提供)
訪問が終わったころAさんは家族に誕生日を祝ってもらった。とても嬉しかったという(Aさん提供)

●支える側も予想外の人生に

明るいオーラをまとったBさんは、他の家庭を支える余裕があってパワフルな人に見えた。でもボランティアを始めたきっかけを聞くと、双葉郡出身のBさん自身も、震災と原発事故によって予想外の人生を歩んでいるという。

Bさんは長年、双葉郡の学校で教師をしていた。「いつでもあの日の感情を思い出せます。3月11日の一晩、学校に泊まりました。翌朝の放送で避難しなければならないと告げられました」。夫も教師。学齢期だった子どものために、住む場所を決めようと双葉郡からは遠い県内の会津地方に避難した。家を借り、Bさんは知り合いもほとんどいない会津の学校に勤めることになった。

会津は雪が多く、海側の生活に慣れていたBさん一家にとって過酷だった。心身がきつくなり、受験を控えた娘は学校に行けなくなった。「娘は希望したいわきの学校を受けられず、私立校に進むための学習会に参加しなければならなかった。息子を夫に任せて、私と娘が金曜夜に会津を出発し、いわきで土日の講習に参加。その間に住む所を探して不動産めぐりをすると300件待ちでした」(Bさん)

その後、Bさん一家はいわきに引っ越して、夫婦で教師の仕事も決まった。会津の学校になじんだ息子は、本当は引っ越したくなかったという。「転校後、息子は学校に行けなくなった時期があり、『自分の子を自宅において、学校の仕事に行く意味は何だろう』と考えました」

BさんのサポートでAさんは外出する練習ができた(写真はイメージ GYROPHOTOGRAPHY/アフロ)
BさんのサポートでAさんは外出する練習ができた(写真はイメージ GYROPHOTOGRAPHY/アフロ)

●家庭を修復するため退職を決断

そのうちBさんも過労で倒れ、休職した。定年まで勤めるつもりだったのに、震災後に家庭が壊れてしまった。「何かがぷつっと切れました。教師の仕事は大好きだけれど、勤め先に傾ける情熱があったら自分の子を見なければいけない時だと思いました」。Bさんは震災から数年して退職した。

夫は教師の仕事を続け、Bさんは別の仕事を見つけて勤めた。子どもにかかわる仕事で時間の融通がきき、初めて新聞をめくるゆとりができた。ある日、目に入ったのが草野さんの写真だった。ボランティアが乳幼児のいる家庭を訪問する「ホームスタート」という活動の記事を見て、「人とかかわるのは好き。教師をやめた今なら時間がある」と応募した。7日間ほどの研修を受けて、訪問する「ホームビジター」になった。

●困難抱えた家庭の役に立ちたい

活動を始めて、2人目に出会ったのがAさんだ。「ホームスタートの目的は協働と傾聴。できることがあれば一緒にしましょうというもので、シッターや家事サービスではありません。プライベートに踏み込むのは良くないと研修で学んでいましたし、草野さんからAさんの家族構成ぐらいしか聞きませんでした」

Bさんはこう振り返る。「最初に訪問した日、Aさんは思うように出かけられなくて、もどかしさがあったようです。でも、もうちょっと時期が過ぎたら、あんなこともあったよねと笑える人なのだろう、はつらつとした生活を送れるんだろうと思いました。家庭訪問を利用したいって申し込むのも勇気がいること。4回の関わりの中で、今週はこうしてみよう、これができたねと変わっていきました」

再会したAさんとBさん。手のぬくもりでお互いの頑張りが伝わった
再会したAさんとBさん。手のぬくもりでお互いの頑張りが伝わった

避難区域に隣接するいわき市には、故郷から遠くない土地として避難してきたり、復興事業や仕事のため引っ越してきたり、知り合いがいない中で子育てする家庭も多い。「自分も避難してきて、いわきでお世話になっている。縁に導かれて訪問した親子の笑顔を見ると、『自分も役に立てる』と喜びを感じます」。Bさん一家は、痛みを抱えながらも前を向いている。

今年2月、取材のために集まってくれたAさんとBさん。2年ぶりの再会に、会話は止まらなかった。子どもたちの写真を笑顔で見せるAさん。「2年前とは別人みたいに明るくなったね」と声をかけるBさん。それぞれに頑張ってきた時間が、一瞬でふわっととけた。

●訪問ボランティアはイギリス発祥

この活動は「家庭訪問型子育て支援ボランティア」と呼ばれる。NPO法人「ホームスタート・ジャパン」(東京都新宿区)によると、イギリスで1970年代、3児の母である創始者が近所の親子と交流するうちに、頼まれて家庭を訪問するようになった。プロの資格はない。母親という同じ立場でありのままの自分を提供する。「まず親をサポートすると子どもにとってもいい」という考え方で、地元から国内・海外と活動を広げた。

ホームスタート活動のパンフレット
ホームスタート活動のパンフレット

日本でも2009年に正式スタート。現在は全国30都道府県で、NPOや社会福祉法人など100組織が主体になり、ボランティアをまとめる「オーガナイザー」を置く。ボランティアは30代~70代の2100人がいる。

2016年には、一部地域で産前の訪問を始めた。産前・産後と切れ目ない支援ができれば、母親の孤立感が和らいで虐待の予防にもつながる。課題は運営の体制だ。半数以上の団体が公的予算を得て研修や保険代・交通費などにあてるが、資金は必ずしも十分でないという。

●いわきに避難してきた人も参加

いわきでホームスタートに取り組む草野さんは地元出身の助産師。小学校の養護教員や大学の講師も務め、自身の出産を通して家庭的な助産院の良さを知り、助産師に戻った。

こみゅーんのキッチン。産後の体にいい料理を作ったり離乳食の講習をしたりする
こみゅーんのキッチン。産後の体にいい料理を作ったり離乳食の講習をしたりする

いわき市の起業家を支援する事業を利用して小さな部屋を借り、2006年に仲間と4人で子育て相談を始めた。行政が主催する産後の家庭訪問では相談しにくいという母親、うつっぽくなっている母親もいた。

2009年にはNPO法人に。仲間の力でいわき市内の大通り沿いに独立した建物を建て、親子そろっての産後ケア入院ができるようになった。授乳のサポートや離乳食の講座などもする。

草野さんは震災前から、お産のサポートだけでなく子育て支援をやりたいと準備していた。ホームスタートの趣旨が「待つ支援から届ける支援へ」と知り、これだと思った。2010年、翌年4月に始めようとしていたら震災が起きた。

産後に親子で入院できるケア事業は、震災後の利用が多かった
産後に親子で入院できるケア事業は、震災後の利用が多かった

震災後、草野さんは山形県で開かれたホームスタートの研修に参加し、オーガナイザーになった。「まだ生活が落ち着かない中、ボランティアを募集しました。いわきに避難してきて、仕事のなくなった人も応募してくれました」

2011年10月に研修を開いて12人のホームビジターが生まれた。2018年9月までに延べ448回、訪問している。

●地域のつながりが見えない現代

「震災があってもなくても、乳幼児のいる家庭の支援は必要なことです」と草野さんは強調する。父親は仕事のため日中は不在の家庭が多い。実家が近くても親が仕事をしているか、高齢だったら頼れない。

こみゅーんは地域の人が立ち寄れる「おうち」のようだ(写真に加工しています)
こみゅーんは地域の人が立ち寄れる「おうち」のようだ(写真に加工しています)

時代の変化もある。「昔なら近所の人が助けてくれました。今はマンションが増えて地域のつながりが見えない。地域の人が支えるためにホームスタートのような仕組みがいる」という草野さん。震災というできごとで、活動にエンジンがかかった。

自治体の助成はなく、ビジターの交通費や研修費は寄付でまかなう。市から委託される産後ケアや相談などの事業があって、ホームスタート活動もできるのが現状だ。

それでも草野さんの気持ちは変わらない。「震災の時に子どもだった若い世代が、成長して親になっていく。放射能の影響など心配があれば専門家を紹介して悩みを聞き、ずっと支えたい」

こみゅーんのお風呂プレート。赤ちゃんを見てもらうと母親は入浴できて助かる
こみゅーんのお風呂プレート。赤ちゃんを見てもらうと母親は入浴できて助かる

●自殺予防・虐待防止にも

妊産婦の死亡原因で一番多いのは自殺だと2018年、初の全国的な調査で明らかになった。虐待される子どものニュースも後を絶たない。それだけ大変な産後・子育ての時期に、東日本大震災や熊本地震、西日本豪雨など災害が重なった親子もいる。日ごろから地域に根ざしたサポート体制があれば、非常時も含め救われる母親が増えるのではないだろうか。

筆者は産前産後に夫が単身赴任で、身内は高齢・遠方のため安心して頼れる人がいなかった。初めての子育てだと「ママ友」も少ない。当時、ホームスタートを知っていたら違ったかもしれない。

草野さんは赤ちゃんの人形を使って授乳や抱っこのアドバイスもする
草野さんは赤ちゃんの人形を使って授乳や抱っこのアドバイスもする

また娘が小学生になった現在も、悩みを相談できる人は少なく、子どもの病気やワンオペ育児時によりどころのない心細さを感じる。「父親も育児休暇を」と掲げられてはいるが、実際は長時間労働や転勤も含め、組織が主導の働き方は変わっていない。社会でも「子育ては母親が主にするもの」という先入観はいまだ強く、母親の孤立感が増す。

保育園や学童保育は足りず、待機者が多い。地域の赤ちゃん広場などに行きづらい親もいて、行政の支援だけでは不十分だ。支援にたどりつけない家庭をカバーするのに、ホームスタートのようなセーフティネットはかかせない。

ただ、無償ボランティアで成り立っている活動には大変さもある。支援が多くの家庭に届くようにするためには、行政・企業による助成や地域の理解を得て、より持続可能な仕組みにしていくことも必要だと思う。

(クレジットのない写真は筆者が撮影)

【この記事は、Yahoo!ニュース 個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】