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「笑っていいとも!」レギュラーから経営者へ。森田謙二郎氏が語る「落ちない」ことの価値

中西正男芸能記者
もりたげんの芸名でタレントとして活動し、今はメディア事業を手掛ける森田謙二郎さん

 5人組パフォーマンスユニット「B.I.G」としてデビューし、芸名・もりたげんとしてフジテレビ「笑っていいとも!」などレギュラー9本を抱えていた森田謙二郎さん(54)。約20年前にタレント業に区切りをつけ、マネジメント事務所やメディア事業の経営者、役員として第二のステージを充実させてきました。その大きな原動力となったのは恩人への思い。そして「落ちない」ことの価値とは。

次々とレギュラー増

 出身は愛知で、子どもの頃から歌が大好きだったんです。おふくろに連れられて地元の“カラオケ大会荒らし”みたいなことをやっていたり(笑)。周りからも「この子は大人になったら歌手になるんだろうね」なんて言われたりもしてたんです。

 実際、19歳の時に初めて受けたオーディションで合格し、ミュージカルのバックダンサーをすることになったんです。

 さらに仕事を広げるために上京し、仲間と5人組グループを組んで静岡のホテルでショーをやるようになりました。

 静岡第一テレビの番組もやらせてもらうようになり、そんな中、フジテレビのオーディション番組「ゴールド・ラッシュ!」に出ることになったんです。

 運良く勝ち上がってグランドチャンピオン大会にまで進み、スカウトされて本格的に芸能界デビューが決まりました。「B.I.G」というグループ名で、歌やダンス、コントをやるマルチパフォーマンスグループとして活動が始まったんです。

 番組でチャンピオンになったのが25歳。3年くらいは次々にお仕事をいただき、28歳の頃にフジテレビ「笑っていいとも!」の金曜レギュラーに入らせてもらいました。

 他にも「おまかせ山田商会」(テレビ東京)や「明石家多国籍軍」(MBSテレビ)など多い時はレギュラーを9本持たせてもらってもいました。

ロケの車に乗れない

 ただ、グループとしての仕事は徐々に減っていき、僕一人でリポーターの仕事をすることが増えていきました。そして、転機が訪れたのが32歳の頃でした。

 毎日スタッフさんらと車に乗って現場に行き、ロケをやって帰るという日々を2年ほど繰り返していたんです。

 ロケの車の中は独特な空気で、芸人さんたちは車に乗るところから“スイッチ”を入れてらっしゃいます。車の中からもう始まっているというか、現地に着くまでスタッフさんを笑わせることからロケがスタートしているといいますか。

 来る日も来る日もその生活。その中で、なんていうんでしょうね、今思うと心が疲れていったというか、持たなくなっていったんだと思います。

 しかも、僕はもともと芸人さんじゃなくて、グループでコント的なこともやるけど本職としてそればかりをやっているわけではない。小気味よく、調子良くしゃべれるかもしれないけど、一人になった時に自分の武器はこれだと打ち出せるものがあるわけでもない。

 そうこうしているうちに、ロケの車に乗れなくなったんです。体が受け付けなくなってしまった。さらに、この先どんな方向に行ったらいいのかも分からない。どんどん複合的に心がしんどくなっていったんです。

諸刃の剣

 このまま仕事はできない。何か違うことをやるしかない。そう思った時に、自分の特性として向いているかなと思ったのがスカウトマン的な仕事だったんです。

 突撃レポーターみたいな仕事が多かったので「初めまして」でしゃべるのが得意だった。となると、道行く人に声をかけてスカウトするのは向いてそうだと。

 そうやってスカウトした人を売り出して、自分も落ち着いてきたら、また出役の仕事に戻れたら。そういう思いで30代半ばからマネジメント事務所みたいなことを友人とやり始めました。

 僕自身が「スカウトに向いている」ということ。そして、この業界に「知り合いがたくさんいる」ということ。これがある種の“勝算”だったんですけど、この「知り合いがたくさんいる」ということが始めてみると、思わぬ形でネックにもなったんです。

 自分がマネージャーとしてタレントをテレビ局などに売り込みに行くわけなんですけど、現場には僕が出役として一緒にやっていたほぼ同期にあたる「キャイ〜ン」さんとか「極楽とんぼ」さん、「よゐこ」さんたちが当然いるわけです。

 売りに行く先に知り合いがいる。これは当初プラスになる部分だと思っていたのが、自分の想像以上に“負い目”や“恥ずかしさ”につながったんです。

 一緒にやっていた仲間がいる。しかも現役でバリバリやっている。たまたま東野幸治さんの番組に自社のタレントを連れて行ったら「あれ?マネージャー、『B.I.G』やんか」と東野さんに言われてテレビカメラがこちらを向いて、なんとも言えない気まずさを感じる。

 そもそも、僕がいわゆる裏方に転身するということをしっかりと周りにお伝えできてなかった部分もありますし、裏方も本当に大変な仕事なんですけど、なんというか、一方で現役を続けている人が行く先々にいる。言葉でうまく表現するのが難しい感情ですけど、負けた感じがするというか、常にドギマギ感があるというか。

 売りに行く先はあるし、よく知ってるのに行けなかった。すごく複雑でした。何なんでしょうね、自分の妙なプライドというか、そんなものが邪魔をして2~3年ほどはそういったテレビの現場には売り込みに行けない期間が続きました。

 自分がタレントをやっていたから本当はタレントを作って、テレビに売り込むのが一番スムーズなはずなんですけど、そこには行きづらい。だから、業種違いのグラビアやモデルを育てて、自分の知り合いが少ないところに売り込みに行く。当初の目論見とは全く違うことをやってましたね。

 ただ、それでもこの業界での感覚というのは業種違いでも通じる部分は多かったですし、出役としてやってきたので普通のマネージャーさんよりは少しコミュニケーション力がある場合が多い。やっていくうちに少しずつ成果が出てきて、著名なキャンペーンガールも何人か生み出すことができ、そうなってくると、感覚が変わってきたんです。

 新たな分野での実績が伴ってくると、自分の頑なな心もほどけてくるというか、自信が後押ししてくれたんですかね。その頃から、またテレビの世界に売り込みに行けるようになって、タレント時代の僕を知っている人に会っても「頑張ったんですけど、ダメでした!」とテヘッとできるようになったんです。

 そこからは当初思っていたように「知り合いがたくさんいる」ことがやっと武器になっていった。そう感じています。その時で38歳でした。

恩人への思い

 ただ、仕事は上向きになっていっても、ずっと胸のつかえがあったんです。

 というのは、僕は小堺一機さんが大好きで、本当にありがたいことに縁あって「ライオンのごきげんよう」(フジテレビ)の前説も若い頃にやらせてもらっていたんです。

 前説を終えてからも、毎回スタジオの脇で小堺さんのおしゃべりをずっと見ていたんですけど、ある日、小堺さんが「げんちゃん、ちょっと行こうか」と表参道にある素敵なピアノバーに連れて行ってくださったんです。

 そこで小堺さんからありがたいでは足りないくらいの言葉をいただいたんです。小堺さんが「NTV紅白歌のベストテン」(日本テレビ)で前説をされていた頃のお話でした。

 「僕は堺正章さんが大好きで、前説が終わってからもずっと見てたんだ。ある日、堺さんが僕に『ずっと見てるね』とおっしゃって。さらに『僕がこれまで勉強してきた全てをキミに教えてあげるよ』と言ってくださった。僕にはげんちゃんがその時の僕に見えてる。僕が覚えてきたことは全部教えていくから頑張ってね」

 実際、そこから小堺さんがされている舞台にも出していただき、本当にお世話になりました。

 時を経て、自分が表舞台を離れて裏方にまわるということを伝えに行きました。そこで小堺さんから言われました。「…そうなんですね…」と。

 あんなに僕に目をかけてくださったのに自分は表舞台から退いた。その申し訳なさはもちろんありますし、だからこそ、なんとしてもこの世界で仕事を続ける。形は変わったかもしれないけど、小堺さんに教わったことをこの世界で具現化する。

 そして、少なくともかつての自分以上のタレントを作る。できればスターを作る。この世界を離れることなく、この世界で勝負して結果を出す。そうでないと自分の人生が「〇」にならない気がしますし、その思いで頑張ってきたのもまた事実です。

大成功でなくても「落ちない」

 一つ目のキャリアと全く違う分野で大成功する。例えば、元芸人さんが飲食の世界で大社長になる。これは本当にすごいことだと思います。

 ただ、僕は器用な人間ではないですし、一つのことを形を変えながら粘っていく。大社長になるような成功ではないかもしれないけど“落ちない”ということ。これも一つ意味のあることじゃないかなと僕は思うんです。“粘って、絶対に落ちない”。

 そして、一生懸命やってきたことは形が変わっても使えるアイテムとして自分の中に残っている。それも強く思います。

 もともとタレントだったとは思えないくらい、なんだか真面目一辺倒みたいな話になってしまいましたけど(笑)、事実、自分がやってきたこと、考えてきたことはそんな感じでして。これからも、自分だからこそできる形で、この世界で頑張っていけたらなと思っています。

(撮影・中西正男)

■森田謙二郎(もりた・けんじろう)

1967年4月22日生まれ。愛知県出身。地元・名古屋で芸能活動を開始する。20歳で上京。91年にアルバイト仲間と5人組マルチパフォーマンスグループを結成し、フジテレビのオーディション番組「ゴールド・ラッシュ!」に出演。5万人の中からチャンピオンに選ばれ、グループ名「B.I.G」(ビーアイジー)としてデビューする。芸名・もりたげんとして、フジテレビ「笑っていいとも!」など9本のレギュラー番組を持つようになる。約20年前にタレント業に区切りをつけ、以後は番組制作、タレントプロデュースなどを手がける会社を立ち上げ活動。現在は「株式会社kawaii nippon」を設立しメディア事業に参入している。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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